限界到達の敗北者 下
戦後、新たなる可能性は大きく変わった。
数が大幅に減少し、新しく加わった者もいるが、現在は、たったの8人しかいない。
つまりは8位までが新たなる可能性になる。
戦争で多くの人間を殺して、それでも俺は未だに人間を殺したいと願う。
何せ1人だって新たなる可能性を殺せてないんだからな。
俺は人間を許さないし許せない。
その思いは、俺が最後の大観覧祭に出場してから20年経った今でも、変わることなく残り続けている。
戦の悪魔王に誘われた、大阪侵攻。
気は乗らないが、行けば研究材料の入手には事欠かない。
俺はその日に備えて、慎重に準備を進めていた。
戦力の備蓄。
夜襲、誘拐、完成した術式で多くの命を傀儡にした。
数十、数百と、傀儡を操り悪魔たちの下へと向かう。
戦の悪魔王の拠点。
そこは冷たい空気が張り詰め、しかしなぜか居心地がいい。
自分が人間をやめ……人間を超え、人の死をつかさどる立場になったからこそ、そう思うのかもしれないな。
悪魔たちから警戒されながらも心地よいと思える場所。
そんな場所で重い扉を押し開き、悪魔王の待つ部屋へ入る。
「来たか、ブルグルフ」
「理想郷のアジトと言う割には、意外と小さい施設なんだな?」
「あまりに広いのでは目立ってしまうだろう?」
一大組織にしては小さいアジトだと思ったが、そういう経緯があるのか。
「ここに来たということは、協力してくれるということでいいのだな?」
「構わねぇ。強くなれるからなぁ?」
「強く、なれる?」
人への恨みは増すばかりだ。
悪魔王は何が何だか分かっていない様子だが、悪魔王の理解など必要ない。
俺は俺、敵は人間、それ以外の者はひたすらに利用する、それだけだ。
「ゼルランド、つったか?」
「なんだ?」
大阪侵攻は、俺にとって単なる復讐ではない。
大阪に攻め、モルモットを確保し、同時に傀儡も増やす。
そのために俺はゼルにつく。
「捕虜にした人間は俺に寄越せ」
「なぜだ?」
「簡単な話だ。俺には研究のための人間が必要。呪いは生きていないと意味ねぇんだよ」
「そうか。ならばなるべく貴様に回すとしよう」
「攻める時は呼べ。あばよ」
「待て」
踵を返したところで、風格のある重たい声に止められる。
絶対に逃がせないという強い意思、なんらかの意図が感じられるその声は、その意図を感じさせておいて、しかし見えないように、言葉を綴る。
「これは忠告だ。貴様は弱い。もし強者に当たったのなら、貴様は負けるぞ?」
忠告?
挑発にしか聞こえなかった言葉を、俺は気にも留めることなく、部屋を出て行く。
やがて俺は、その言葉の意味を知る。
施設内を見て回る。
狭い施設だがかなりの数の悪魔がいる。
大阪侵攻は、自分たちが暮らせる土地を確保するもの、ゲルマン民族の大移動に似たようなものだ。
世界の明るみに立つ人間を退け、大都市の一つを奪う計画。
資源の多くを人間が持っていくため、悪魔の生活は産業革命前だ。
しかし機械がなくとも、電気がなくとも暮らしていける魔法という便利な力。
俺が悪魔に生まれていれば、何度もそう考えたほどに、悪魔という存在は努力に依存する。
2人、悪魔王とこいつを除いて。
「来るそうだな、ブルグルフ」
どこか不思議な感じのする悪魔の名前はバレル。
俺に大阪侵攻について教えてくれた者だ。
「お前の活躍、期待しているぞ」
「勝手にしてろ。俺は自由に動くだけだ。そっちこそ、間違えて俺の傀儡を攻撃するなよ」
「善処しよう」
善処すると言った場合はやらないと相場決まっている。
戦場は選ばないとな。
「まあ、俺は戦闘向きではない。ゼル様の命令がなければ戦うことはないだろう」
やはりこいつはゼル様万歳の忠犬か。
アホくさ。
従うだけなんて、俺の傀儡となにも変わらない。
くだらない生き方だ。
自分で判断できないやつが、生き残れるはずがない。
俺に邪魔にならないように死ねよ?
俺は夢を見る。
俺が兄を殺した、あの日のことを。
何度も見た夢。
兄は俺を、殺した。
兄は俺に人間をやめさせた。
その方が俺が救われると思ったんだろう。
実際俺は人間側に戻ってはいない。
階級で価値を決める人間は、やはり俺には厳しい空間だ。
優しく笑う兄は遠ざかっていき、やがて向かってくるアランや観衆たち。
やめろ!
そんな目で、俺を見るなああああ!!!
そう叫ぶ俺の声は、雪のように解けて消えていく。
真っ暗な空間に取り残された俺は、何も見えず怯え縮こまる。
人間、必ず、滅ぼしてやる……!
ほとんど眠ることができず、まだ朝だというのに目を覚ましてしまう。
寝られない俺は少し歩いて、人間の暮らす寂れた街に繰り出す。
俺はどこに向かっているのだろう?
ぼんやりと目的もなく歩き彷徨う。
日本の知らない土地、人の少ないその街は、時代から取り残されてしまったかのようで、敗北者であるこの俺にはお似合いの街だな。
暗い表情の人ばかり。
高位の能力者は一人だって感じ取れない。
元々商店街だったのか、駅前に並んだシャッターの下りた連なった建物を見て、それが俺の感じていた孤独と重なる。
そこには一軒だけ店がやっている、そんな姿も、俺の孤独を刺激しているのかもしれない。
その店の前に行く。
小さなおもちゃ屋だ。
店員はひどく淀んだ雰囲気のおばあさんだ。
「お前、どうして続けているんだ?」
そんなおばあさんを見ていて、つい口から溢れた。
「どうしてだろうねぇ……」
薄っすらと目を開いたその人は、ゆっくりと席を立つと、沸かしていたやかんから急須にお湯を注ぐ。
しばらく待ったのちに、急須から湯呑みに茶を入れて、お盆に乗せて俺に差し出す。
「いや、俺は……」
断ろうとして、しかし強く断れない。
なぜだ?
分からない。
俺はそんな気もなかったのに、話しかけていた。
そして振る舞われた茶を、断り切ることができなかった。
憎んでいる人間からの施し、そんなものを受け取りたくはないのに、なぜか、受け取ってしまう。
「この商店街ねぇ、昔はとても賑わっていてねぇ…」
悲しみのこもった声で語るおばあさんは、聞きたくもないことをつらつらと語り続ける。
「20年くらい前かねぇ。大型スーパーができて、客を持ってかれてしまってねぇ。みんな店をたたんでしまってねぇ……」
懐かしむように語るおばあさん。
あの頃は楽しかったと、声から伝わってくる。
「今ではこんなばあさんが1人だけ、細々と続けているだけになってしまってねぇ……」
ひとりぼっちの商店街。
1店舗だけの商店街。
なぜだ、なぜこんなにも気になるんだ。
「それでも、続けるのか」
「私の一人息子の家族がねぇ、よく遊びに来てくれたんじゃ」
「そうか。それなら寂しくなくてよかったな」
俺が茶に口をつけることなく出ようとすると、その薄い目に店を出る姿が映っているのかいないのか、話をそのまま続ける。
「……前の大戦でねぇ、連絡がつかなくなってしまったんじゃよ」
その言葉が、俺の足を止めた。
なぜ止まった?
俺はこんなとこ、さっさとおさらばしたいのに、なんで?
力じゃ動かない。
感情じゃ動かせない。
そんな不思議な何かを、体が勝手に働かせている。
「ここでこうしているとねぇ、いつか、会いに来てくれるような気がしてねぇ……」
背中で聞いたその言葉は、消え入る前に俺の体に染み込んでいく。
分からない。
どうしてこんなにも俺は苦しいんだ。
俺はしばらくその場に立ち尽くし、結局そのままその場を去った。
「作戦開始は明日。宣戦布告はもうしてある。存分に暴れるがいい」
ゼルランドがそう言うと、悪魔たちが拳を掲げて声を上げる。
戦力として十分かと言われると、決してそんなことはない。
むしろ、狩人の本拠地に攻めるにしては少ない方だと思う。
それにゼルは、昼間に攻めるなどとのたまっている。
バカな!
悪魔は夜にその魔力の真価を発揮するし、死霊使いである俺もその例にならう。
つまりは夜に攻め込むべきなんだ。
俺は壇上から下りたゼルを呼び止めて、直接話を聞くことに。
「なぜ昼なんだ?宣戦布告なんてしたんだから、確実に万全の態勢で迎えてくるぞ?こっちだって夜に万全を期した状態で行くべきだろおが」
「それが、そうでもない」
「何?」
「宣戦布告したのは日本という国に対して。それも、最重要都市を攻める、と言った」
「だから?」
「分からないか?」
何が言いたいのかさっぱりだ。
日本の最重要都市は大阪だって言いたいのか?
「日本にとっての最重要都市は、人間にとってはまず間違いなく東京だろう」
意味が全く分からない。
どうしてそれが東京なのかも分からないし、その宣戦布告で、どうして大阪に攻め込むのかも分からない。
「仕方ない。一から説明してやろう」
俺が理解していなかったからか、親切な悪魔王に説明してもらう。
「人間にとっての最重要都市という認識は、基本的には政治中枢を指す。だから人間は最重要都市を攻めると言われれば、間違いなくそこに注目する。さらには日本は経済の中心も東京だ。間違いなくそこを攻められる思う」
そんな嘘をつくようなマネ、たとえ大義を掲げていたとしても、到底許されることではない。
悪魔からの信頼だって失われるだろう。
なぜそんなマネを……
「だが、悪魔にとって最も厄介な存在は狩人だ。つまり、狩人の中心地である大阪が、最重要都市なんだ」
そういうことか。
それなら人間の勘違いで貫き通せる。
「さらに、やつらはこちらが夜に攻めて来るものだとも思っているだろう。何せ悪魔は、夜の生き物なのだからな」
だからあえての昼に攻める。
夜用に備えていても、昼間に攻められては調子を崩される。
だが、相手だって大阪に攻め込む可能性を考慮してないってことはないだろう。
昼間に攻めて来ることだって考慮しているだろう。
「たとえ考慮されていたとしても、戦力の分散は成し遂げられる。間違いなく東京の方が固い。だから必ず半減はする。さらに昼と夜とで戦力を分ける必要がある。奇襲で寝ているそれらを殺してしまえば、それでさらに半減だ」
もしかしたら半減じゃ済まないかもな、と気味悪く笑うゼル。
戦の悪魔王と呼ばれるだけのことはあるな。
まあ、なんだっていいさ。
人間に報復できれば。
攻め込む悪魔たちの先頭を走る。
悪魔たちが魔法で人を焼き、吹き飛ばし、痺れさせ、ためらいなんてなく、殺し続ける。
悪魔と人間、容姿の似たもの同士、殺す時はいったい、何を考えているのだろう?
やはり人間のように、悪魔を殺すことはいいことだと、善行を積んでいるんだと思っているのか?
俺は逃げる人間を、追いかけては殺す。
追い回して疲れ果てたところで、呪い殺して傀儡にする。
こうして人間を殺し続けて、大阪の端の方までくる。
何川かは分からないが、川を越えてその先で逃げ惑う人を殺し、殺し、殺す。
もはや軍隊。
気付けば俺は、何百、何千もの傀儡を従えていた。
これほどの傀儡を連れていても、俺はまだ足りないと思う。
子どもを抱え、子どもの手を引き逃げる母親。
俺はそれを執拗に追い回し、やがて子どもがこけて追いつく。
背後から悪魔の不粋な火球が放たれ、子どもを庇うように覆い被さる母親の隣を走っていた男に直撃する。
中級悪魔の火球、直撃すれば即死だ。
案の定蒸発した男。
その悪魔は続いて、子どもを庇う母親に手を向けた。
戦う力のない者を操ったところで、俺の戦力にはならない。
俺は別の獲物を探すか。
そんな風に考えて、すぐにその獲物を見つける。
向こうからやってきた。
俺は悪魔と少し距離を置いて、その様子を見守る。
悪魔の放った火球。
それは母親に向かい、しかし途中で何かにぶつかり止められる。
「優日、男の子なんやから、そない怯えとったらあかんで!シャキッとせえ!」
人間と悪魔の間、それを隔てるように氷の壁が突き立っている。
その向こう側に立っている人。
ようやく対峙する機会が巡ってきたか。
高位能力者だ。
肌を刺すような冷気。
瘴気を操り自分の身を冷気から守る。
母親と子どもは逃げていってしまったが、それでいい。
この戦いに、水を差されたくない。
「くっ、これはまずそうだ。ここは任せた。私は引かせてもらっーー
言葉の途中で飛来した氷の槍に、頭を弾き飛ばされ鮮血を撒き散らすこともなく、地面に突き刺さった槍で体を固められ、一瞬にして体が動かなくなる。
これが、高位能力者……
アランなんかとは桁違いじゃないか!
だが今の俺には、数千の軍隊がいる。
「やめとき。惨めになるだけや」
「なにぃ?」
「お前さんじゃ足りん言うてるんや」
俺が何者か分かっていないようだな。
今周囲を囲っているのが、人間の味方だも思ってんのか?
残念ながら、そいつら全員俺の傀儡だ!
「本当に足りないかどうか、試してやるよぉ!」
一斉に傀儡を仕向ける。
それらは一瞬にして、粉微塵にされる。
ただ腕を一振りしただけで、俺の長い時間をかけて集めた兵隊たちは、ボロボロと崩れ塵へと変えられた。
何が起きたのか、俺には全く分からない。
圧倒。
ここまでの能力を見せつけられると、人間に底なしの恨みを向ける俺でも、畏れ屈服してしまうほどだ。
しかし俺は兄のことを思い出し、無理矢理に自分を奮い立たせる。
「面白ぇ……やってやるよお!」
なにも面白くなんかない。
今の一瞬で勝敗は決した。
それでも戦う。
戦わなければならない。
「お前、危ういのう。いや、もう外れちまってんねやなぁ」
「そうだ。俺はもう外れてんだよ。引けないところまで来てるんだ!」
「ワシはお前を知っとる。フランスで起こった階級廃止運動の、引き金となった人物。大観覧祭の伝説や」
そんなことが起こっていたのか。
だが、それは俺が望んでいたことではない。
階級の廃止なんてありえない。
むしろ、階級で判別しなければ多くの不公平が生まれる。
「それを話して、なんだと言うんだ?」
「お前の叫びは、フランス語だが翻訳されて、今では各国で知られとる。かく言うワシだって聞いとる」
「だったらなんだってんだあ!」
「そんなお前だから名乗ったる。ワシは朝秘。日溜朝秘や!」
勝鬨のつもりだろうか、高々にそう宣言する朝秘。
舐めやがって……
「俺の名は、ブルグルフだあ!」
負けじと叫ぶが、やつは負け犬の遠吠えとでも思っているだろう。
名乗った意図がこれっぽっちも分からないまま名乗り返した俺は、心では負けまいと、眼光鋭く朝秘を睨む。
「ワシはお前が戦うべき相手や。恨みの対象、第6位、新たなる可能性なんやからな」
俺の恨みの相手。
高位能力者。
それを聞いて安心する俺がいる。
なぜ俺は安心している?
まさか、負けるのが新たなる可能性なら仕方ないと、そう誰もが認めてくれるからだと、そう思ってるのか?
この道を選んで、それでも高位能力者には勝てないと分かって、それで負ける口実ができて、喜んでるのか?
ふざけるな!
何が新たなる可能性だ!
俺は認めない!
そんな自分を、認めない!
俺が強く決心したところで、俺を後ろから追いかけていた悪魔たちが、俺たちを追い抜いてその先、人間たちが逃げて向かう場所へと、追い込みをかけようとする。
しかしその悪魔たちは、すぐに塵となり跡形も無くなってしまう。
「わざわざワシが毎回何かすんのも、面倒やなぁ」
朝秘は無防備にも背を向ける。
しかしそれは決して無防備な状態などではない。
今近づけば塵にする、そう語っている。
何をするつもりだ?
最上級の能力者のやることだ、きっととんでもないことをするのだろう。
悪魔たちがこれ以上逃げる人間を追うことがないように、逃がした家族を守るために、朝秘は力を使う。
「数多の道は死に続き、やがてそれが薔薇を染める。これがワシの新たなる力!」
技の解説か、正直意味の分からない口上だ。
しかしその意味を、技の成り立ちと形成された形で理解する。
道路の先に氷の道が伸び、それが空へと向かっていく。
それは俺の目の前だけで起こっていることではなく、この街に存在する数多の道路の先から伸びている。
それは空中で巨大な柱のようになり、棘を形成し、根を地面に張り、大きな花を咲かせる。
その柱は、どうやらいくつもの道路が連なってできた、螺旋構造になっているようだ。
巨大な氷像、それを一瞬にして作り出した朝秘には、若干の疲れが見られる。
疲れて当然だ。
むしろこれだけのことをして、倒れない方がおかしいんだ。
「ほな、ワシらの戦いを、始めよか!」
「追いついた……おい!ブルグルフ!先に行き過ぎだ!」
バレルとその部下の一人が追いついてくる。
「手伝います!」
「こいつは俺の獲物だぁ!手ぇ出すな!」
俺が叫ぶと、バレルはそれを尊重し、姿を消した。
その部下だけが残り、俺たちの戦いを見守る。
「やっぱサシやないと意味あらへんもんな?」
俺のことを分かっているかのように振る舞うそいつが、気に食わない。
「お前は必ず、俺の傀儡にしてやるんだよお!」
「やれるモンなら、やってみろや」
静かにそう言って笑う朝秘に苛立ちを覚えながら、予備としてとっておいた傀儡を出現させる。
それらを向かわせるも、やはり塵になってしまう。
「ワシはそんなモンでかかって来い言うてるわけやない」
「何?」
「呪いなんて捨ててかかって来い言うてるんや!」
「そんなことをしたら、お前の能力で木っ端微塵だろうが!ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」
「ワシがそんなこすいことするわけないやろが。能力を捨てて戦ってやる言うてるんや!せやからお前も、呪い捨ててかかって来い言うとんのや!」
純粋に拳と拳でぶつけ合うつもりか。
自分の拳に自信があるみたいだが、単純な殴り合いなら俺に負けはない!
「行くぞおおおお!」
突っ込んでいく。
真っ直ぐに、拳を固めて。
体が消えていくことはない。
朝秘が何かしらの構えをとる。
なんだかは分からないが、CQC極めた俺に、そんな見せかけだけの攻撃はムダだあ!
俺は飛びかかり右の拳を突き出す。
その拳は朝秘の拳と衝突し、弾かれる。
相殺か、やるな。
そう思っていた矢先、重い一撃が腹に刺さる。
相手も仰け反っているものだと思っていた。
しかし、その反動をバネにもう一方の拳を振るった。
なんてやつだ……!
弾き飛ばされた俺に、飛び上がりくるくる回った朝秘は、そのかかとを叩き込む。
頭に当たる直前に、俺は腕を入れてなんとか守る。
しかし腕が、肩が外れて上がらない。
だらんと垂れ下がった両腕。
こいつ、たしかに能力を使っていない。
だというのに、圧倒的に強い……ッ!
よろよろと後退し、近くの道路標識の側に来る。
「どした?もうおつかれなんか?」
「はっ!そんなわけ……ないんだよなぁ!」
標識に思い切り肩をぶつけて、外れた肩を無理矢理はめる。
もう片方も、とやろうとしたところで、俺は踏み込んできた朝秘の拳を躱す。
標識に拳がぶつかり、なぜか標識の方が折れる。
なんて威力だ!
こんなの、デタラメだ!
俺はガードレールを飛び越え、すぐに壁に肩をぶつけてはめ込む。
荒療治だが、こうしなければ闘えない。
両肩をはめ込み構え直すと、すぐに朝秘が迫ってくる。
壁際、逃げ場はない。
振られた拳を後退して躱すと、それを読んでいたのか、続けて繰り出された蹴り。
それをなんとか受け止めると、その掴んでいる足を折り曲げ体を持ち上げた朝秘が、俺の首の後ろを掴み空いた膝を食らってしまう。
足を放してよろけ倒れようとする俺に、空中で一回転した朝秘は、そのまま今度は掴まれていた方の足を折り曲げ膝を叩きつけてくる。
なぜだ、なぜこうも派手な技が、次々と決められてしまうんだ!
咳き込み血を吐く。
鼻血が口へと流れ込んできて、俺はそれを唾を吐き捨てるように排出する。
見せつけるように握り込まれた拳。
躱すことはできないが、ただ受けてやるつもりはない。
俺はその拳に頭突きで応戦する。
朝秘を退けた俺は、地面を転がってそのままの勢いで立ち上がる。
強い、が、取り付く島がないほどじゃない。
「お前のそれ、何かしらの武術かあ?」
「せや。闘技。暗技に並ぶ最強の武術や。完璧に使いこなせてるわけやないけどな」
その技術を俺が持っていれば、俺はこんな道辿らずに済んだかもしれない。
兄が死ぬことも、アランに負けることも、なかったかもしれない。
偶然か、必然か、俺はこうなってから、そんな技術と巡り合う。
努力を嘲笑う才能と幸運。
「倒し甲斐があるってもんだあ!」
完全に使いこなせていないなら、まだ勝つ望みはある!
本当に?
俺はそうやって勝つ望みがあると信じ続けて、結局アランに勝つことはできなかった。
それでも自分を奮い立たせて、持てる力を出し尽くす。
拳をぶつけ合い、脚を交えて、額を重ねる。
ただの力押し。
そんなものが通じる相手ではない。
しかしCQCが届かないのではそうするしかない。
基本的には俺が一方的にやられるだけ。
たまに攻撃がぶつかり、しかし弾かれるのは俺。
勝てないのか?
また、負けるのか?
嫌だ。
俺はもう、負けたくないぃぃィィ!!!
拳のぶつかる回数が増えていく。
ダメージを受けるのは敵だけではない。
俺だってものすごく痛いし、すでに拳の感覚がほとんどなくなっている。
限界は、近い。
少し距離を置いたところで、お互いに一息つく。
「お前とやり合うてよかったわ」
「どういうことだ?」
「お前はあの日叫んどった。その叫びを見た。ほんでそれが真実なんやと、こうして拳を交えてみて、確信した」
その言葉を、今更聞きたくなかった。
人間をやめて、人間を殺して、戻れないところまで来てしまって、それでそんな言葉、聞きたくなかった!
なんで今になって、そんな言葉を、俺が人間だった時、最も欲していた言葉を言うんだ!
「むしろ拳を交えて、気付かん方がおかしいんや。お前は教科書の動きを完璧にしとる。基礎を固めるんは才能やない。努力や。せやのに、天才だなんだと言っとったやつがおる」
なんでお前が、あったばかりの、才能だらけの、お前なんかが……ッ!
「必死になって戦ったんやろなぁ。それでも勝てんくって、せやからそないな力に頼ったんやな。よお戦ったな。頑張ったな」
「どうして、褒めるんだ……?」
「お前は他の誰にもできんことをした。ほんで戦い証明したやないか。お前という人間の生き様を」
恥ずかしいことを軽々と言ってのける朝秘。
生き様、ね。
「だが、負けちまったら、何の意味もねぇ」
「そないなこと、あるはずないやろが。お前の拳が、お前の声が、どれだけ人に勇気与えたか、お前はちっとも理解しとらん。どれほどの人がお前目指したか、ちっとも理解しとらん」
朝秘の目には、子供のようなキラキラしたものが、憧れと対峙しているかのようなワクワクが、つまりは俺には分からないものが、鮮明に映し出されていた。
「お前は天才なんかやない!せやけどな……せやからこそ、お前は目標になんのや!」
「うるせえ!今更何言われようと、俺はもう後戻りできねぇんだ!俺は俺をやめることができねぇんだよお!」
「分かっとるわ、そんくらい」
揺らがぬ瞳、映るのは俺の姿。
固く拳を握った姿が映る。
「せやけど、変わることはできる」
「言うだけなら簡単だ」
「やっぱお前さん、なんも理解しとらんわ」
「何ぃ?」
「ええわ。教えたる。本当の強さっちゅうモンをなあ!」
「本当の強さぁ?人間を超えた俺が弱いとでも言うのかあ!」
「せや。人間を超えた思うとる思い違い野郎やからな」
「俺は死霊使い!死を超えた存在だあ!人間が抗うことができない、死をつかさどる者だあ!この俺が人間を超えずして誰が超えると言うんだあ!」
「誰も超えへん。それに、本当の意味で死を超えとらん!せやから、教えたる。お前さんに、足りんモンを」
大切に思っていた兄、そんな兄同様に、俺を認めてくれた朝秘。
嬉しそうに悲しそうにする朝秘は、そんな矛盾だらけの拳を構える。
「行くでえええええ!!!」
「うおおおおお!!!!!」
同時に駆け出し、拳を振るった。
鈍い音が響く。
一つじゃない。
二つの音が重なって、一つの音に聞こえただけだ。
俺と朝秘の拳が、互いの頰に刺さっている。
強烈な一撃。
俺は痛みに耐えながらその場に立ち続ける。
足が震えている。
立っているのが奇跡だ。
やがて、お互いの拳が頰から離れていく。
俺は拳を握ったまま、立ち尽くしている。
朝秘がゆっくりと倒れ、しかし俺は戦いが終わったと理解できずに動けずにいる。
「強いなぁ。やっぱ憧れは、遠いっちゅうことか」
朝秘の言葉は、俺の勝利を祝福していた。
朝秘の全力、死霊使いになって、人間より痛みに強くなった。
だから、なんとか耐えられた。
ズルして勝ったようなものだ。
俺が、納得できない。
「治せ。治して、また戦え。俺はお前と、本当の真剣勝負がしたい」
「ほうか。それは嬉しいのう。やり残したことがぎょうさんあるからのお」
兄とは明らかに違う朝秘は、なぜか兄と重なる。
俺が手を伸ばし、立ち上がらせようとする。
その手を掴むと、俺は引かれて倒れる。
逆に朝秘は立ち上がる。
「お前ーーーッ⁉︎」
爆発。
俺を庇うようにして立つ朝秘。
人の焼ける臭い。
「お前何してやがる!」
「アンタが嫌いだったんだよ!何もしてないのに、ゼル様やバレル様に気に入られている、アンタが!」
「理由なんてどうだってええ。ワシらの戦いに水さして、ただで済むと思うなよ!」
朝秘はふらつく足で悪魔に迫る。
「チッ!まだ動けるのか!」
悪魔が魔法を何度も撃ち込むが、それを微動だにせず朝秘は進む。
逃げようとする悪魔。
しかしその足は地面に貼り付いて離れない。
その両肩に手を置く。
「うおおおおおおおおおお!!!!!」
咆哮。
悪魔の体に霜が降りて、やがて悪魔は動かなくなる。
悪魔から手を離した朝秘は、ふらふらと後退し、その焼けただれた胸を見せつけるように、仰向けに倒れ薄っすらと笑みを浮かべる。
腫れ上がった顔で、名残惜しそうに笑う。
「おい!」
立ってることがやっとの足を、無理して動かし朝秘の近くで倒れこむ。
それでも這って、朝秘のそばで体制を変える。
立ち上がることはできなかったが、なんとか座ることはできた。
片膝立てて座る俺は、朝秘の重たい頭を少し持ち上げ、体を少し起こさせる。
「なんでこんな真似をしたあ!」
それに対する朝秘の返事は、遅い。
「なんで、なんやろなぁ……」
歯切れの悪い。
「能力を使えば、あの程度簡単に防げただろおがあ!」
「あれだけ、やり合うて、使えるわけあるかい」
途切れ途切れの言葉。
「なんで俺と拳でやり合おうとしたんだ!さっさと倒していれば、こんなことにもならなかったのに!」
疑問しか残っていない結果に、俺は再び声を荒げる。
「ワシは、さっきまで東京におった。大阪に急行して、ほんであの技や。体が持つはずないやろが……」
あの言葉は勝つための誘導だったのか。
バカバカしい!
あの言葉は嘘だったとでもいうのか!
「ワシはお前さんに、憧れとった……強くあろうとする姿勢、負けたくないと足掻く姿、当時のワシには、眩しかった。せやから、目標になった」
「なに言ってやがんだあ!このままだと死んじまうぞお!」
「教えて、やれんかったようやな……ま、それはそれで、しゃーないのう……」
「……本当の強さ、だったか」
「お前はまだ、超えとらん壁がある。せやから、それを教えてやりたかった。せやけど、あかんかった。その影は、それほどに、お前に密接に絡みついとった」
なんのことを言っているのかさっぱりだ。
俺はなんとか治せないかと、呪いによる治療を試みる。
しかし呪いはそんな力じゃない。
これは俺が昔使っていた呪いとは違う。
神聖術とは違う力なんだ。
「もう何も言うなあ!それ以上話したらお前、死ぬみたいに聞こえるじゃねえかあ!」
「みたいやのうて死ぬんや。もう……残された時間は、あらへん。せやから、最後に伝えたいことがある」
「最後じゃねぇ…最後になんてするなぁ……」
俺を認めてくれた数少ない人間。
失ってたまるか!
俺はこいつを、なんとしてでも助ける!
「家族を見逃してくれて、ありがとおな」
力が抜けていく朝秘。
「ふざけるなあ!好き勝手言って死のうとしてんじゃねえぞ!クソがあ!教えるとか言って勝手に死のうとしてんじゃねえぞ!クソがあ!勝手に礼言ってんじゃねえぞ!クソがあ!」
「はは…堪忍なぁ……」
「笑ってんじゃねぇぞ……クソがぁ…」
なぜだ……?
どうしてだ……?
涙が、止まらねぇ……
こいつは兄じゃないのに……会ったばかりのこんなやつに……
知らないはずのこんなやつのために、なんで俺は泣いているんだ!
なんでこんなに悲しいんだ!
悔しい!
こんなところでこいつを死なせるのが、悔しい!
「諦めてんじゃねぇぞ!お前がここで倒れるって言うなら、お前の体は俺がもらうぞ、いいのかあ!そんでもって、お前使ってガキ殺しに行くぞ!いいのか!クソがあああああ!!!」
死んで欲しくない一心での言葉は、しかし届かず苦笑を返される。
「そいつは、困るのぉ……せやけど、もう一度あいつらに会えんのなら、悪ないかもしれへんのぉ……」
クソッ!
こいつはもう諦めきってる!
なんでだよ!
なんで俺を認めてくれた人は、みんな俺の前から去ろうとするんだよ!
「ワシの体、お前さんに預けるわ。そしたら、もう一度、家族に会わしてもらえるんやろ?」
焦点の合わなくなってきた瞳が、俺の顔を捉えようとして激しく揺れ動きながら探す。
「……ほんなら、心残りが、一つ、消えるわ」
「バカヤロォ……」
「ありがとお」
「……おい!…おい!」
力なく頭が垂れる朝秘。
バカ野郎が……
勝ったはずなのに勝った気がしねぇ。
なんなんだよ、このモヤモヤとした感情はぁ!
俺はもう一度、もう一度お前と戦いたい!
なのに……なにカッコつけて死んでんだよクソがあ!
俺は朝秘の体に通わせていた瘴気で術式を編む。
俺の最後の力だ。
絞りかすだが、やってやる。
約束だ、お前の家族に必ず会わせてやる。
残り少ない瘴気を使い果たして、朝秘の体の傷を修復する。
今まで苦に思わなかった作業、それがこんなにも苦しいものだとは知らなかった。
クソみたいな現実だ。
クソ、クソ、クソ。
世界はクソなもので満たされてる。
止まらない涙で視界がぼやける。
ああ、こんな世界、見ていても苦しいだけだ。
こんなに苦しいならいっそのこと、見なければよかったんだ……
曇り空がぼやけていき、しだいに何も見えなくなった。
視界には何も映らない。
瞼の裏には、これまでの俺が知る世界のみが、延々と映し出されている。
これはこれで地獄だ。
やがて泣き疲れた俺は、大の字になってその場に倒れた。
俺は、生きている。
「目が覚めたか?」
何も見えない。
ここはどこだ?
「電気、つけてくれ」
声の主に向けてそう言うが、そいつは不思議なことを聞いたような感じで答える。
「おかしなことを言うな。電気ならついているだろう?」
「バカな……真っ暗じゃねぇか」
「今は昼だ。カーテンからだって光が差し込んでいるだろう?」
「昼?冗談はよせ。月の出てない夜なんだろぉ?」
相手からの返事はしばらくない。
どうしたんだ?
声の主の姿が見えないのが怖い。
誰なんだ、いったい……
「……まさか、目が見えていないのか?」
そう尋ねてくる相手。
「俺が?そんなバカな!」
「なら、俺が見えているか?」
そんなことを言われても、何も見えていないのだから、分かるはずがない。
声は聞き覚えがあるが……
「俺だ、バレルだ。ともあれ、とりあえずゼル様のところに行こう。お呼びだ」
俺は寝起きのふらついた足取りでベットから数歩歩いて、足がついていかず倒れる。
「……どうした?」
「いや。ただ躓いただけだ」
俺は暗闇の中をひたすら引かれるまま進む。
「そうか、目が見えなくなったのか……」
気を利かせて二人きりにしてくれたバレル。
実際には分からないが、扉の開閉音が聞こえたから、おそらく出ていってくれただろう。
「お前が向こう側に戻ると、踏んでいたんだがな」
「向こう側に?冗談だろ?」
「あいつに会えば変わると、そう踏んでいたんだがな」
「朝秘のこと、知っているのか?」
「当然だとも。だからこそ、貴様に行くよう頼んだらのだからな」
どういうことだ?
あれが東京に呼び出されない保証はなかったし、その後であいつが戻ってくる保証もなかったはずなのに……
「あれのことはよく知っている。だからこそ、死んでしまったことには残念だと思う」
「どうしてそれを……」
「そのことについて謝っておく。あの悪魔は我の直属の部下ではない。だが、我の部下であることには変わりない。だから、教育がなっていない、我の責任だ。戦いに水を差した。申し訳ない」
今ゼルは何をしているだろう?
頭を下げているだろうか?土下座でもしているのだろうか?それともどうせ見えないからと、鼻でもほじっているのだろうか?
「俺は何も見えなくなった。だから今、全てが怖い。お前じゃないと分かっていても、俺は激しい憤りを覚えるし、同時に見えないからこそさらに恐怖が増す。
だからここにはもういられない」
「行くあてはあるのか?」
「あるさ。日溜の家がなあ……」
「送ろう」
「断る。見えないからって見下すな。俺はお前らも信じない。もう全てが、憎くて憎くてたまらない」
大きな代償。
兄と朝秘、死んだ二人だけが俺の味方だ。
それ以外は、何もいらない。
何人たりとも許してやるつもりはない。
俺は死霊使い、ブルグルフだ。