4話 狼少年
二つの月が空にはあった。
夜の草原に風が吹き、草の掠れ合う音がさざ波のよう。
寝静まった君たちの知らない所で家の囁き。
猛獣らとて仲間の為に毛繕い。明日の獲物が待ち遠しい。
この落ち着きを愛してしまっていいのだろうか。心を水で満たしたかのような平穏。ただそこにあるだけの、なんでもない日々の境目。
あぁ、もうすぐ人間社会では大きな潮流が起ころうとしている。
ドワーフ共は指を咥えて見ていればいい。
誰かは願う。ただ、それでもこの静けさは変わらずにあってほしい。
そして薄暗い朝がやってきた。
パラ=ティクウのある大地。ルナトリス山脈に隣接するレイトフリック高原では、聖国程ではないにしろ、少ない日照時間や土壌の関係上農耕が難しくある。
その為、この町では昔から盛んに牧畜が行われてきた。
これに伴い伝統なども発達してきた。また、遠方から持ち込まれた文化と混ざり合ったりもした。もちろん、この町特有の現象という訳ではないが。
なによりも牧羊犬。「セナウ」と呼ばれるビルケール原産の犬。ほっそりした頭と大きな体、たれ耳、口からはみ出そうな舌、毛は長くて寒さに強い、色の方は黒か灰色を主体に白と茶とこげ茶のどれかを合わせたツートンカラー。
皆に求められて生まれてきたんです。
「おーい、どうしたんだベネット。メイトリックスまで。」
とある農家の家にて、セナウ達が厩舎に向かって吠えていた。
「どうしたのー、サルヴァちゃん?」
「あ、マンマ。ちょっとセナウが騒いでるようだから見に行くんだよ。」
これを困惑した様子で宥めようとする彼がいた。
「なんなんだよ、もう。」
彼の名前はサルヴァ・ベネ、17歳。好きな食べ物は山豚のミートパイ、好きなものは冒険話と英雄譚、尊敬している人物は剣聖テオドール・サン=ジェリコ、普段着は兄のお下がりであるダサいシャツとダサいズボン。
そんでもってオバケが未だに恐怖の対象だ。おぉ、コワや。
将来の夢は考古学者とかになってモテモテになること。
いや、本当に、深読みするまでもないただの青年だ。
最近だってそう。同年代の奴らに屁理屈で胸派だったことにされて内心キレていたのに、悲しくもあったのに、仲間外れにされないように話を合わせている。
で、まだ収まらないセナウ。ついには鶏も混じってコケコッコー。
「あぁ、ほら、鶏も騒ぎだしちゃったじゃん。」
サルヴァはいつまでも騒ぐセナウを抱きかかえた。幸せ空間に手を入れて、堪能しつつ、ゆっさゆっさと犬小屋へ輸送する。
まだ若いセナウだし、こんな日もあるだろう。
そう彼が思っている時だった。
「いや、えッ?」
二度見した。厩舎の鍵が外れていた。
「嘘だろ...。」
犬に聞いた。尻尾を振った。
サルヴァは恐る恐るに厩舎の扉に近付き、扉を少し開いて中の様子を覗いてみる。けれども、厩舎の羊は普段通りに暢気にしていた。
乱暴された訳じゃなさそうだ。家畜泥棒でもなさそうだ。
じゃあ、なんで鍵が開いているのだろうか。
どうしても彼はこれを単なる閉め忘れとは思えなかった。だって、そんなことをしたら親父にボコボコにされるもん。そういう訳でだ。
おっと、ここで怖がる主人に痺れを切らしてセナウ達が先行していく。扉の隙間を押し通る。羊が道を譲る。どんどん奥地へ進む。
「犬の方がよっぽど勇気があるんじゃねーか?」
すると、厩舎から少年の声がした。
「何者なんだ!!!!」
サルヴァは驚きのあまり怒鳴り気味の声が出た。
同時に、急いで扉を全開にしていった。
「別に何者でもねぇ。ここをただ一晩借りただけだ。」
そして姿を見た。
黒目、黒髪、荷物を枕に厩舎の隅でふんぞり返っている。なんとも偉そう。他人の敷地内にいてこの寛ぎよう。少なくとも敵意が無さそうなのは凄くいい。
だけど、困った。悪漢ならば単純明快な答えを出せるのに。
ある意味で、まさかの状況に言葉を失ったサルヴァは口をパクパクさせる。
そこからようやく絞り出した声。
「だから、君は―――。」
「あ゛あ゛ん??」
(ガラが悪いッ!)
取り敢えず、サルヴァは深呼吸をしてから対話を試みた。
「本当に何も取っていないんだな?」
「ここに盗めるものなんかねぇよ。」
「なんだ、その言いぐさ。」
次はこめかみを掻きながら辺りを見てみる。
「だから、盗っていないって言ってるだろ。でも、まぁ、分かったよ。とにかく、すぐ出て行くから俺のことは気にすんな。」
「あぁ、その、違う。ごめん。なんか複雑そうだなって。」
何故か、壁際のそいつにセナウも羊も懐いていた。だから生き物を無暗に傷付けるような性格じゃないのは分かった。だからこそ違和感が凄くあった。
放浪者というものは大概心が荒んでいるものだろう。
だから、その、えっと、やっぱり駄目だ。残念ながら、その先を言葉にする力が彼にはないので自分がどうしたいのかさえもよく分かっていない。
「...あー、サルヴァ・ベネだ。よろしく。」
「ジェドだ。」
「なんで、こんな所にいるんだ。」
「俺にも分からねぇ。」
「そうなのか?」
「「......。」」
先程からずっと歯切れの悪い会話を二人でしている。
(なんか、すげぇ気不味いんだが。)
ジェドもどうしようかと頭を悩ませる。こっちも不器用な男なので自分の意見を押し付けるか暴力で押し通す以外の方法が思い浮かばない。
この場の支配する地獄みたいな不協和音。全く以って精神衛生上よろしくない。
じゃあもう厩舎から退散してしまおうという選択肢もあるにはある。
だけど、彼は思ってしまう訳だ。ここで逃げたら自分が会話のできない奴みたいになるじゃねぇか。こんな意地すらも捨てたら俺には何も残らねぇぞ。
それはそうとして出せる話題がないので沈黙するしかなかった。
不思議そうに二人を見つめるセナウだけが癒しです。
だから何だという話だが、一匹の羊が二人の間に割って入って座った。
それと蠅がうるさく飛んでいる。
――――――出せる話題がない。とは、言えどもこのままでは埒が明かない。
ミイラになるまで睨めっこする気もない訳で。
居た堪れなくなってきたジェドは情報収集も兼ねて質問した。
「グラティア家って知っているか?」
「いや、知らな...あっ...。」
「「......。」」
またもや沈黙だ。ちくしょう。
サルヴァが申し訳なさそうに突っ立っている。
(どうしろってんだ。)
ジェドは苛立つ。急ぐ用事がある訳ではないが、かなり腹立つ。
サルヴァにではなく自分に対してだ。
こんな所で足踏みしているのが気に食わない。
むしろ、こういう牧歌的な生活には憧れすらある。そこに開拓者精神を感じてのことだが。いずれにしても自立というものを好ましく思っている。
(まったく、なんか急に事件でも起きてくれねぇかな。)
(......バカか、俺は。)
瞬間、彼は不機嫌そうな顔となり。
「邪魔したな。」
そう言って厩舎から出て行った。
「えっ、あぁ。そうか。」
それをサルヴァは簡素に答えて眺めるだけで精一杯だった。
ジェドが立ち去って暫くしたころ。
「...なれなかったな。テオドールに。」
目を閉じる。深呼吸をする。気分を切り替えて前を見た。
「サルヴァちゃん、そう言えば暖炉の掃除やったの。速く片付けないと灰から悪魔が出て来て攫われるよ。ちゃんとしなさい。」
「もう、17だよ。いつまでそんな脅しをするつもりだよ。」
そうしてサルヴァはセナウを連れてまたいつもの生活に戻るのであった。
ちょっと変わった日常だったなと振り返りながら。
その後、厩舎の鍵をかけ忘れて親父にボコボコにされた。
「まったくな朝だった。」
パラティクウ下層、時刻は昼前、ジェドは昨日見た内容にまた出会う。
と、思いきや酒に溺れていたあの男の姿だけはなかった。
まぁ、そんな奴なんて端からどうでもいいさ。
そこから彼は真っ直ぐ中層に移動する。ここもまた昨日とほぼ同じ風景、そも一朝一夕の内にどれほどの変化があるというのだろう、つまらないんだ。
(なるほど、トップドッグが人気になる訳だ。)
近所の闘技場を思い出す。
(あの闘技会、わざわざ外国人も参加しに来ていたぐらいなんだよな。)
(チャンピオンが出てくる試合は特に人気だった。)
(それと同じぐらいに戦車競走も盛り上がっていたな。)
ふと、周囲を見渡す。
(やっぱり、ここは地方の田舎だ。)
現在地は上層へと通じる大階段の手前。
「おや、随分と汚らしいのがいるな?」
ジェドが声の出所を睨むと、身なりのいいガキが階段の一番上でニヤニヤしていた。性別は男、体格は並程度、髪の毛は掴み難い程度の長さ。
とりあえず、喧嘩のルールでも説明しよう。そうしよう。
この不文律は帝国全土はおろか全人類共通である。
地域によって多少異なるが。武器と魔法は原則禁止、異性同士厳禁、あとに残る大怪我をさせるのはダメ、大人を呼んだり告げ口するのはアホ、バカ、マヌケ。
これを破ると周囲や世間などから滅茶苦茶言われる。
「ルーチェ様、近付かない方がよさそうですが。」
「あんまり頭が良さそうじゃないしね。」
最初に喧嘩を売ってきたルーチェと呼ばれた奴以外にも、腰巾着の男子と女子がそれぞれ一人ずつ付いて来た。それも偉そうに見下す感じでだ。
やはり、その二人も小金持ち的な服装をしている。
具体的に言うと、色だ。現行の科学力的には発色の良さも贅沢のうち。これを着るだけで一般人とは違うんですとお手軽自己主張。
ジェドは煽る感じで言いました。
「へぇ、お友達を連れてご機嫌みたいだなぁ??」
返答はこうだった。
「なら、待ってやるからお前も友達を連れてきたらいい。」
「あ゛あ゛? テメェらなぞ、俺一人で十分だ!!」
声を荒らげてジェドは階段の一段目に足をかける。
「もしかして、お友達いないのか?」
「...だったらどうした。」
「おっと、図星だったみたいでごめんねぇ???」
「――――――ッ!!!!!」
そこから五段目に今到達。
(よし、殺す。半殺す。まずは顔で次に顔。)
俺の誇りを守る為にテメェをぶん殴ってやるよ。
しかし、その決意が遂行される前にルーチェは驚いた様子で退散した。先程の好戦的態度は一体どうしたのか、仲間を連れて、上層の方へ。
その代わりに何処かで見たことのある大人が階段の上の方から。
トップドッグが現れました。
(ウソだろ!?)
ジェドは思わず後退り、階段からずり落ちそうになって堪えた。
逃げたアイツを追ってブチのめそうとした所にこれだ。
行き場を失った拳で八つ当たりしようにも相手が悪すぎる。
それに脳裏に浮かぶ昨日の出来事。敵でもないのに嫌な汗が湧き出てしまう。いや、敵ならば難なく殺すという事実があるからこうなるんだ。
「なにかあったのか?」
トップドッグは立ち去る奴らを一目見てから、ジェドに顔を合わせて質問した。
「...見たところ、君はパラ=ティクウの人間ではないようだが。」
言葉の端々に重力を生み出す男だ。
(なんで、ここにいるんだよ。そりゃ、いつでも出会うチャンスぐらいあるだろうがな。それにしてもタイミングが悪すぎねぇか。というか、下層の無法者を捨て置きやがって俺がなんだってんだ。ああもう面倒になってきた。)
(俺を巻き込んでおいて逃げたアイツはあとで絶対殺す。)
荒ぶる沈黙の後。
「なら、どうしたってんだよ!」
彼の巡る思考も無難な返答に落ち着いた。だが、これだけでもう喉が渇くような感覚に見舞われる、たった一言でこのザマだ。
すると、トップドッグは階段を降りていきながら。
「その様子だと無関係のようだな。」
ジェドの服装を眺めて、そう結論付けた。
「無関係ってなにがだよ。」
「......あぁ私は、スプーキーフラーを探していてな。」
「スプーキーフラーって、あれか。」
その名前をジェドは知っていた。
とは言っても、なんてことのない存在です。
スプーキーフラー、人間の腕と脚を直結したかのような細長い妖精さん。
知名度は日本でいうところの海坊主ほど。
伝承によれば、夜間にしか存在することが出来ず、群れで行動し、細長い布が嫌いで滞留した水や母乳を好む、子供にしか見えないといった特徴を持つ。
これだけならば気味が悪いだけで何てことはありません。
ただし、夜になるとこの通り。犬や猫の鳴き真似をしながら地面や壁に足跡を残し、霊障も引き起こすという、迷惑極まりない生態をしている。
(どうして、んなのを探しているんだ。)
トップドッグは訝しむ彼を他所にこうも言った。
「それで君さえよければ自警団で保護してもらえるが、どうする。」
魅力的な提案。
「いいや、断る。」
即座にジェドは突っ撥ねた。そうじゃない、何かが違う。
トップドッグは不思議そうに彼を見た。
これを単なる反抗心と断言することなかれ。彼は自分の心に正直であり続けたいし、どんな時であっても(死ね)と思えば「死ね」と告げたい。
いつも実現出来ているかはともかくとして。
(たぶん俺は特別じゃねぇんだよ。華やかな主人公様でもなければ、誰にも期待されてねぇし、見限られたことなんか幾らでも、代わりだってな。)
(とにかく求められる人間じゃなかった。)
(だけど、俺はそれに応えるような人間でもねぇんだよ。)
彼は目を瞑る。これまでの旅路が形になって蘇る。
(あぁ、分かるさ。)
この世界は何処までも広かった。
ロスト・ララ、エルモ、ダンカン・ライト、コワルスキン、ガルフ・スイレム、革命王オキュマス・プライド、死面王アリス、サリア、ギガス、リック・ピック、ハラン・ピーク、鳥類王フェイルリーフ、カフ・ハウゲラタン、シャン・ニゴ、アバル・アース、呪術王ズレン、シャーリー・オルガン、ナハギ、レオン・ティクウス、パン屋のボブ、サルヴァ・ベネ、ルーチェ・ヴェルデ。
多種多様な人間が今日も明日も存在している。
だから、自分に似たような人間だってきっといる。この世界の何処かに。過去の事実に遡れば、未来の可能性も含めれば、異世界だけではなく地球にしても。
だからこそ、誰であってもよかった筈だ。ライト兄弟が産まれずとも人類は空を飛び、エジソンとニコラ・テスラがバチバチせずとも交流が主流であろうし、好きな女を自分じゃない誰かが笑わせて、それでいいじゃないか。
その人である必然性は何処にも無かったんだ。
歴史を動かすのは誰であってもよかった。
アイデンティティがなんなのさ。味方をしてくれなかった幸運の為にグチグチ言い続ける人生にさえ代わりがいてしまう。
そういう世界だと分かっているのに。
(だったら、なんでここまで俺は頑張っているんだよ。)
いつもその先の言葉を出せずにいる。
本当になんでかは分からない。
分からない。が、心がそうでありたいと願っているから。
「俺を自警団に入れてくれッ!!!!!」
紛れもない自分の意思でジェドは叫んでいた。




