6話 腐りかけの秩序
これから先、ララは何が始まるのかと息を呑む。
呼吸を忘れてしまいそうな緊迫感。
「いや、それだと身体的特徴に合わない。だが...。」
癖なのだろうか、オキュマスは眉を押さえて自問自答。
そして不安そうな彼を見て、結論を出す。
「もしかして、君は無魔人だろうか?」
ロストは静かに「違います」と答えておいた。
(そうだとも、そうだとも。)
こう変な名前を名乗っているが、ロスト・ララは日本生まれの日本人。
本人も時折、自分は最初からここの住民なのではと疑うが、どう足掻いてもこの世界に彼の故郷は存在しない。居場所がありません。
しかし、革命王はその答えに釈然としない様子。
だからなのか、じっくりとララを見た後で疑念を払拭しようとしてか改めてこんな事を質問した。
「この鈴はどこで?」
ララは手の平の上で鈴を転がす。
言葉にするのは容易いが。
「それは...。」
思い浮かぶはあの食屍鬼。短い付き合いではあるものの良くしてもらった恩があるし、何より本人も自分の存在を隠したがっていたように思う。
そうして続きを言った。
「言えません。」
これを聞いた革命王は頷き。
「それならば無理に答えなくていい。お互いに知っても得しないことはある。」
そう言うと扉に腕を差し向けて、教会から出るように促した。
よくやく開放されたのだ。
これでお別れ、彼は出て行こうと立ち上がる。
(気紛れで来ただけなのに酷い目にあった。)
教会の内部は教会らしく長椅子が整然と並んでいた。
ただし、どれもこれもが蜘蛛の巣と埃まみれ。
(外はだいぶ暗くなっている。もう頃合いかな。)
その脇にそっと置かれた大きな何か。
(...自分は地球に帰るだけでいい。)
中身は表面の凹凸具合から見て人間のもの。
「オキュマスさん、あの方達は?」
こうしてララは聞いてしまった。
思いの外、答えは簡単に返ってきた。
「あれは最近、病で死んだ者達だ。外に置くと鼠に齧られてしまうからな。とは言え、地下墓地にはもう収まらないのだがね。」
そう革命王が言って、ララはこの業務的な話し口に違和感を感じ取る。
自分の中の人間像とズレていたから。
とても言い表し辛いが、いつの間にか彼を良い人だと決め付けている自分がいて、何となくそれでも良いと思ってしまっていた。
今日、会ったばかりの人なのに。
(いや、今は...。)
ともあれ、だ。モヤモヤを抱えつつも口を開いた。
「オキュマスさん。まだ生きている病人の人達はいるのでしょうか。」
「いるとも。しかし、どうするつもりだ?」
「その人達の元まで案内して欲しいのですが、いいでしょうか?」
これを聞いて一瞬不可解な顔をしたが、彼は教会の奥にララを連れていく。
暗くて狭い通路の最中、そこにあった扉の前まで。
最初に感じたのは吐き気を催す異臭。外よりマシでも随分な悪環境に違いなく、扉から漏れ出た悪臭が心をへし折りにやって来た。
だが決して生半可な気持ちで案内を頼んだ訳ではない。
「ここまでにしておくか?」
「いいえ、大丈夫です。」
そうしてロストは扉の先を見た。
地獄があった。
あらゆる苦痛が普通となった特異点。そこには黒く変色した包帯を巻く者、喉を掻きむしって血を垂らす者、咳き込むことすら辛そうな者。
衝動的にララは彼らを助けようとした。
(しなきゃいけない。)
彼は曇り無き助けたいという気持ちで動いていた。それも大事な財産でもある薬品を惜しみなく治療に使って。
一方で、オキュマスはそれを興味深そうに観察していた。
(もうここまで来たら仲間に引き込む方が色々と都合が良いか。)
と、考えを練り直しつつ。
それから幾分かの時間が経ち、穏やかな声が聞こえるようになったその場所で、ララはやり切った満足感に浸っていた。
そこをオキュマスは話かけた。
「申し訳ない。君の名前を教えてくれないか。」
「ロスト・ララです。...あの、ところでその長い杖はなんでしょう?」
オキュマスの手には自身の背丈を越す長い長い杖。
それには見たことのない文字が刻まれている。
「あぁ、これはこうするんだ。」
そう言って杖の先端を地面に小突くと付近の壁が蠢いた。
何の為の機能か。すると壁を構成するレンガの一部が奥にへと引っ込んで、人が通れるぐらいにまで広がり、やがて動きを止める。
奥に見えるのは階段、古びた空気を吐き出した。
ララはそのまま全部崩壊するのではないかと思っていたが一安心。
「この先は死者を安置している場所でな。唐突で悪いが、ロストにはその医術の腕を見込んでやって欲しい事があるんだ。」
オキュマスは言った。
「無論、お礼は出す。必要ならいくらでも。」
そう頼まれて断れる彼ではない。
「やります。」
内容すら聞かずに了承して隠し階段を下りていく。
この先はカタコンベ、所謂地下墓所に通じている。
「それでやって欲しい事とは、片目を失った死者に義眼を付けて貰いたいんだ。あの世でも必要になるだろうからな。」
「はい、分かりました。」
「ところで君の信奉する神を教えてくれないか? この先、長い付き合いになりそうな予感がしてね。」
その頃、カーラス地区のとある邸宅にて。
それはもう豪華絢爛と評すべき光景であった。
壁には銀を混ぜた輝くレンガ、川の女神スイレムを模した石像を中庭に添え、希少な紫色に染めた布で飾り立てたその屋敷。
これを維持するのが貴族の役目と言わんばかりに、ここの家主は税金で賄っていた。だが、近頃では収入難らしく苔や汚れが目立ち始めていた。
簡単に言えば、金銭の都合でメイドも庭師も野生にさよなら。
「これでも桁単位で足りていないとはな。」
そんな館のバルコニーではガルフ・スイレムが税収に関する書類と睨めっこ。
今後の政策について考え耽っている。
実に彼は憂鬱であった。現在、監獄には千人近くの無魔人が詰め込まれている。
一番の問題は人数が多いだけに食費がかかること。
追放でも何でもしたいぐらいだが、下手にそうすれば聖国に何を言われるか堪ったものではなく、そうなるような罪状をでっち上げるのもこれまた難しい。
幸いあそこの環境はすこぶる悪い。病死を祈るばかりである。
そんな調子で考えていると執事が立ち寄り囁いた。
「ガルフ様、お客様です。どうやら憲兵の様ですがどうしましょうか?」
「憲兵だと? ...通せッ!」
通達も無しに憲兵が来るなんて何か不味いものでも掴まれたか。
脅される要素と言えば定期的に受け取っている賄賂。しかし、それは四年に一度の頻度で簡単にバレるものでもないのだが。
ヒヤリとした汗か、風とも判別できない物が背を伝う。
少し遅れて屋敷の正門は開かれた。重い青銅の門、そこに姿を見せたのは紛れもなくダンカン・ライト、それを注意深く確認していた貴族様。
その後に「客間の準備を」と執事に伝えて、自身は頭を捻って唸る。
蜂蜜入りの紅茶や動くキノコのソテーで机は彩られ、特製のワインボトルも準備し、ガルフは笑顔で憲兵隊隊長を出迎えた。
依然として、貴族相応の食事を出すぐらいの金はあった。
「誤報は人を狂わせる。寝ていただけで生き埋めにされた、祖父の言葉だ。」
第一声がそれだった。
「誤診した奴は今もなお獄中。それでよくぞ生きていてくれたダンカン、今回はどんな用件で?」
(これは嬉しい誤報だ。戦死と聞いたのが間違いでな。)
ガルフは嬉しさの余り自分自身に驚いた。
無理もない。彼にとってダンカンは命令に忠実で優秀、ただ仇に関して暴走するが、それでも助けられた部分は数多く。恩返しにもし、彼がちょっとした頼み事をするならば叶えてやる事もやぶさかではない。
そうして返答を待っていると予想外の事を耳にした。
「実は...魔王がこの国にいるのです。」
「驚いた、ダンカンが冗談を覚えたとは。」
呆気にとられたご様子。無理もない、自分も最初は信じていなかったのだから。
と、ダンカンは気の進まない様子で説明をした。
「ガルフ殿、どうやら現実なのです。確かに突拍子も無い話なのでしょうが、自分のこれまでの経緯を聞けばきっと納得します。」
「あぁ、聞かせてくれ。紅茶でも飲みながらな。」
ダンカンは自分とダットンの身に起きたことをガルフに伝えた。
ラフ・ランクで魔王の手下に襲撃されたこと、兵が入れ替わっているらしいこと、更にはチャールズの時の話を一つずつ丁寧に。
ガルフはそれを聞いて頷き、時には驚きを見せた。だが本当の所では、彼の心は井戸の底のように穏やかであり続けた。
「確かに虚言だとは思えない。一つ聞くが、秩序の守護者としてどうしたい?」
「解決する案は考えてきました。」
「訓練を表向きにして小部隊を結成、郊外に連れ出して偽物を判別し、監獄に押し込めてしまうのです。特定の仕方など、細かい部分は後で説明します。」
そして次の言葉を出すのにダンカンは少し躊躇する。
「それで軍の指揮権が必要なのですが。そこでガルフ殿の助けが...。」
「了承しよう。」
ガルフは言った。
「ただし条件がある。一人では行きづらい場所があってな。」
「おぉ、それならば同行いたしましょう。どちらまで?」
これ有難いとダンカンが聞くと。
「ネズミ地区だ。」
あの場所は盗賊すら寄り付かない瘴気の漂う冥府のような場所。
そんな所に向かうと言うのに、ガルフは微かに笑って紅茶を飲み干した。