16話 望むがままに
三階右側通路。窓から注いでくるのは大人しい日の明かり、敗北から始まった長い昼もこれにて終演、これから夕焼けになっていく。
良い子なら家に帰る時間帯。魔女の帰宅も近いだろうか。
(玄関の鍵かどうか確認する作業は後回し。)
忍び寄る夜を感じながら歩いた。
(ここからが本番だ。)
拳を握った。その直後に迷いが出た。
(本当にこれでいいのかな?)
この館でフニィマの記憶を奪い返して逃走。最悪は戻らなくても逃げる。
それが当初の予定だった。
だが、冷静になってみれば穴まみれ。
(なにもこの館で取り戻すことに執着しなくていいのかな。)
判断が難しい。
当然のことだが、彼は誰かの記憶を奪還した経験なんてなかった。
何の手掛かりもなし、魔法の知識なし、それが必要かすらも分からない。
そんな状況で出来ることは極僅か。まず一つ、館の情報を吸い上げて自ら思い付いた解決法に総当たり。これはもう魔女の館で寝泊まり必須。
諸々の事情でこれは遠慮したいところ。
だとしたらもう一つ、ここから逃げて解決法を見つけにいく。
(それだって記憶の消去が。いや、記憶の収奪が特殊な何かであった場合、逃げた先で運良く方法が見つかるとは限らない。)
もしかしたら、時間さえかければ見つかるかもしれないが。
それだって彼には荷の重い話。
この世界は生きるだけでも精一杯。かかるかもしれない費用、訪れるかもしれない危険、それ以上にララにはララの夢がある。
(せめて、より確実にしてくれる何かが欲しい。)
そこで第三案、館で情報集めて逃げて安全地帯で記憶の奪還。
(望みに近づいた気がする。けど、まだ足りない。判断材料もだ。)
そんな欲張りな考えをしながら彼は扉を開けた。
いつだって時間が大敵。考え事はこれにておしまい。
結局必要なことは行動一手、良い案が出るまで待つなんて贅沢は選べず、それどころか失敗を恐れていたら挑戦の機会すらも逃してしまう。
しかし、行動力も頭脳も同時に発揮できる人間はそういないが。
(強くならないと。)
それで開けた部屋からは先程と違って迷惑な香りはしてこない。
その代わりに内装が摩訶不思議。薄暗い部屋を満たす肖像画の行列、その全てが同じ構図で、同じ色味で、同じ人物、魔女カフ・ハウゲラタンが描かれていた。
唯一の違いは経年劣化による不気味さだけ。
緻密に描かれていただろう肌は真上から見た迷宮のようにひび割れており、見ているだけで吸い込まれそうな怖さがあった。
歩きながら、ララは絵具の視線に本物が混じってないかよく観察した。
分かったのは部屋の奥に行くほど古い肖像画になること。
そんな時に彼はぼんやりと初めて見たプラネタリウムのことを思い出していた。星を繋げた人の空想、何故それが今なのかは本人にも分からない。
そして扉に辿り着く。位置関係的に三階右側通路と三階階段前通路の合流地点。
扉を開けると、すぐそこに黒い影が立っていた。
それは確実にララを見ていた。
ララも黒い影を見ていた。
そこにあったのは熱のない死者の顔つき、人の真似事をする枯れた植物みたいな容姿。黒い影、そう呼ぶにはまだ存在感があった。
いつの間にか、彼は階段の時以上に目が離せなくなっていた。
迂闊に動いてはあの兄弟を招き入れてしまう。
この場で一番動いていたのは緩い風、彼に出来たのは待つ事だけ、相手がそうであるように沈黙を守るだけ。
こればかりは動いてはいけない。
こんな我慢大会にとうとう飽きたのか黒い影は消えていた。
ほんの一瞬で最初から何事も無かったかのように。
なにはともあれ、ただならぬ静寂はいつも通りの姿を取り戻す。その代わりにララの中では疑問が膨れ上がっていく。
(...僕は記憶を奪われたか?)
あまりのストレスで脳が汗をかくような感覚が出てきた。
(ダンカンさんとジェド、オキュマスさんにギガスさん。駄目だな、アーマレントで会った人を思い出してみたけど分からないな。)
彼は頭を掻き。
(それよりも、この通路であの影を短時間にもう二回も見ている。)
そして、この通路で唯一の扉を見た。階段を上ってすぐ目の前にある扉だ。
少なくとも誰かにとって重要であることは間違いない。それは素人でも見れば分かる技巧にて権威が装飾されていた。
彼の予感がそれを開くように囁く。
そして扉の前に立った。
(本当にいいのかな? あの影と戦う準備が必要なんじゃないか。)
だが、扉を開ける覚悟が足りなかった。
慎重にいくべきかどうか悩む。そんな臆病とさえ思えるような熟考がしたかったが、それが出来ないのは最初から分かっている。
これを象徴するが如くあの騒々しい足踏みが轟いた。
ドタドタドタ
好ましくない前兆が階段から這い出ようとする。
しかもそれは大きくなるばかり。
事態は悪化、あっと言う間に隠れる必要性が出てしまった。
彼は焦った、焦ったが、取り乱してはいけない。万が一にでも居場所を悟られたくはない。なので近くて安全に隠れられる場所に行くことにした。
すると、もう目の前の選択肢しかなかった。
勇気とは違う必然性で扉を開く。辺りを見回す。ちゃんと隠れられそうな場所はどこにもなく、骨組みだけのベッドが精々。
最悪、窓や壁を破って三階から飛び降りるしか。
ゆっくり見ている暇はないが、壁際には額縁に納められたこの館の設計図らしき物と、気難しい文章の並んだ羊皮紙が飾られてあった。
(いや、その設計図には用がある!)
それをララはまじまじと見る。
その部屋の横で、通路の方ではあの兄弟の会話が始まっていた。
「オマエあっちいけよ!」
「どうじで?」
「ワかれて探すんだよ! アッ、ちゃんとベッドの下も探せ!?」
この会話の狭間にララは自然と頭上を見上げていた。
あの設計図には屋根裏部屋の文字。そこに至る経路も記載済み。それが、この部屋のどこかにある仕掛けを作動させることで階段が現れると。
この館を建てた建築家の遊び心がよく分かる。
だが今は邪魔。ただ幸いな事にその仕掛けはすぐに判明。
部屋には本棚があり、その本棚の中途半端な所で本そっくりの木彫刻が不自然に自力で立っている。つまり、説明がこうなる程に手の込んだ仕掛けだった。
本来これを隠していただろう本の所在は床にあり。
何があったかはともかく、彼はその彫刻を押した。
すると、徐々に館全体が呻き声を上げるような音を出し、やっと階段が現れたかと思ったら、天井から一気に床に落ちようとして。
ガタっ!
間一髪、これを彼は受け止めた。
「ダァ―――カぁー――ラァ―――!!!!!!!」
同時にフテルの大声が響く。
激しい動悸に襲われる中、ララはもはや震えを隠せない手で、それでも静かに、神に縋るようにして天井裏へ登っていった。
屋根裏部屋。ただの物置と言っても相違ない。
彼はそこへ到達したと同時にその小さな階段を持ち上げた。
更に怪しまれない為に、そこから階段の仕掛けを元に戻そうと画策するも、そこで千切れた縄と折れ曲がった留め金を見て頓挫する。
こればかりはどうしようもない。
この館はお爺ちゃん、千年とまではいかなくとも築数百年は確実。丁度良くララが動かしたのを切っ掛けに壊れても仕方ないご年齢。
だが、完全に壊れておらず仕掛けの一部が未だに生きていた。
それが階段の動きを制限する器具で、それによって階段、ひいては器具自体もすぐに取り外すことが出来ない。
要するに、彼は階段を支え続けなければいけない状況。しかも、そのままでいては三階から見えてしまう。
(ここまで上手くいっていたのにッ!)
歯痒い思いで解決策をすぐに考え出す。
その前に奴らが手を下す。
「サンカイにもいなきゃ隠れるの上手すぎだろ。」
ついにはあのドアが開かれた。やって来たのはハウゲラタン兄弟のしっかり者、フテルがそこへ踏み込んだようだ。
奴がどこまで館の事を知っているのかが問題。
ララは息を呑む。屋根裏部屋のことを知っているかどうか、肩が強張ってしかたなかった。
(フテルを見ていたって状況は変わらない!!!)
そう思って視線を逃した先で杖を発見。
見たところ屋根裏部屋出入り口の幅以上の長さがある。
そこでララは瞬時に閃く。それで階段の隙間に通せば階段を出入り口に引っ掛けることができそうだと。
それなら階段を手放してフテルの死角にまで離れられると。
ただし、問題があった。
離れた所の棚の上、絶対に手の届かない位置にあること。
彼は念の為に辺りを見回したが、残念ながらあの杖以上のものは見つからない。鞄の中身にだって入っていない。
再度杖を見て、分かっていても手を伸ばす。
結果は予想通りにお粗末。
なら次は、少しばかりの危険を天秤にかけて...。
(待って、これは冷静になるべき。)
彼は深呼吸をした。
(よく考えれば、あの兄弟は自由気ままに鬼ごっこをしているだけなんだ。)
(なら、僕みたいに切羽詰まっている訳じゃないから、特殊部隊みたいな、とにかく徹底した捜索はしてこない。目立つ所だけを集中してくるはず。)
だとしたら、屋根裏部屋は結構目立つ部類に入る方では。
(そうだったら僕が下見ていたあの時に目が合っていると思う。)
ララが下を確認する最中、確かにフテルは一度も上を見なかった。
現在だって何も言わずに探索している。
(ここを知っていればそうはならない。と、思う。だから知らないんだ。あの兄弟はこの場所があることを。)
階段を握る力を強くする。
(待とう。フテルが部屋から出て行くまで。)
時刻は昼過ぎ夕焼け空、薄い闇が辺りを隠す時間帯。蝋燭だけでは屋根裏部屋の出入口すら見つかりにくい環境下。
彼はゆっくりと目を閉じた。耳に集中した。
僅かな間の騒音。
音が離れる。
歩く音だけになる。
聞き取れない声がした。
やがて聞こえなくなる。
そこでララが目を開けて見るともう夜だった。
屋根裏部屋。夜間限定、丸窓から二つの月が顔を出す。
実は、彼が月をよく見たのはとても久しぶり。
この異世界に来た初日に一度見ただけ。あとは夜が怖くて見ていない。
(だからこの星空を見るのも久しぶり。)
とにかく、屋根裏部屋は月明かりでとても明るい状態だ。
ここに隠れ住む小さな羊の精霊だってよく見える。
階段をそっと下ろして。
(それでここには何があるんだろう。)
彼は辺りを軽く観察。さっきの杖が憎たらしく目の前にある。
それに加えて短剣が数本、弓が一張、砕けた帝国軍の兜、折れ曲がった剣など、あとは高純度の魔石と扇状の短銃が二丁。
すぐさまその銃を手に取った。
(間違いなくサジタリアスさんの銃だ。リックさんの魔石まである。)
返還の為にも魔石は鞄に入れ。
(でも何で?)
まだまだ他にも置いてある。靴で一杯になった箱とか。
きっと魔女に襲われた者達の忘れ物。だけれど、何故それがこんな所に収集してあるのか、ララにはあまり分からない。
謎だ。彼の好奇心は答えを欲してしまった。
(でも時間がない。)
むず痒さを残しつつ窓の外を見た。
月と星が彼の忙しさも知らずに浮かんでいるだけ。
(もっと強くならなきゃ...だ。)
地球が遠い。せっかくの異世界を楽しむことすらない。
仲間がいない。最近の記憶が猫との会話、せめて一人ぐらい居て欲しかった。
魔力がない。デノム人だって言われて大変だった。でも、彼らが悪い訳じゃないのは誰よりも知っているつもり。
間違いなく弱いことは悪くないって言える。
でも、弱いままでいるのはどうなんだろう。
「...。...。」
どちらにせよ、たぶん、このままだとずっとこれが続くんじゃないのか。
(...違う。そうじゃなくて記憶を取り戻す方法を考えないと。)
ゴトッ
物音、ララは咄嗟に振り向いた。
短剣が落ちていた。
それを彼は辺りを見回しながら拾い上げた。
見たところ何の変哲もない短剣だった。
「?」
だが、変な反発力がある。まるで磁石みたいに、それは鞄に近づけるほど強くなり、鞄から遠ざけるほど弱くなる。
心当たりは一つあった。
「聖石。」
魔力を弾く不思議な鉱石。と、鉄の合金である聖鉄がその短剣の素材。
どっちにしろ魔力を弾いてくれる優れもの。
(えっと、そう言えばサジタリアスさんは魔女との戦いで聖石の弾丸をばら撒いていたな。あの兄弟にも効いたり。)
そこでとある考えが頭を過ぎった。
(もしも、もしかしたら。)
黒い影を殺したら記憶が戻るのではないのか。なんて。




