12話 静かな悪魔
逃げる逃げる。終着点はもうすぐそこ。
時間は昼前、森の終盤。
そして、ララの体力も精神もあと僅か。
魔女と対峙する前から傷まみれだった彼の身体に、残された時間はどれほどか、急に死んでもおかしくない状況下。
それを待ち望むかのように森の虫は蠢いた。
(ギタイザモクはどこにもいない。)
サジタリアスの作った森の逃げ道、その横を彼は進んでいた。
あの道は見通しは良いものの、やはりただの破壊現場であり、粉砕された樹木が不愉快な障害物となって転がっている。
なので、その道を目印にして平行に移動していた。
(でも、こっちも歩き辛いことには変わらないな。)
その一帯の木々の密度は低いが、地面は蜘蛛の巣みたいに根っこで覆われており、歩くだけでも一苦労。走るとなれば覚悟も必要。
おまけにララの脚はズタボロ。
とにかく、そんな場所を通行中。
躓かないように注意しながら歩く事がこれほど疲れるとは知らなかった。
森に入った直後は恐怖で頭が一杯だったので気付かなかったが。
(頭がボーっとする。血が足りてないな。水分も。)
脚の傷に汗が染みる。
(森を出たら、治療してから食事かな。タンパク質と鉄分多めに摂ったり。あとは...。)
その時だった。冷気が彼の首を掴んだのは。
「っ!」
びっくりして、咄嗟に首を触って確認したが異常なし。
質の悪い幽霊の悪戯か、それとも単なる幻だったのか、高鳴る胸を宥めつつ。何が起きたのかと不思議がる彼に今度は音が届いた。
何故気付けたのか分からない程に微かな音が。
草木の揺れるような音が。
それを彼は特別なものだと感じ取ってしまった。
(一体何が?)
恐る恐る振り向いた。
そこにあったのは何の変哲もない森の風景。
木があり、虫がいるだけ。
だが、彼の悪い予感は諦めも悪い。
「誰か...いますか?」
辺りを見回しながらそう聞くと。
いた、見つけた。
深緑の空間に赤い点。血濡れた骸骨がそこにいた。
その白い骨格にたっぷり寄生虫を身に着けて、手には錆びついた刃物を持ち、捉えどころのない無機質な表情で佇んでいる。
咄嗟にララは逃げ出した。
「いや、逃げたら駄目だ!」
拳を作る。ララは逃げない。
(どうせ、この脚の怪我じゃ逃げきれない。魔女がまだ僕の魂狙いなら、すぐに殺されるような事はないだろうから。)
骸骨は動き出す。
(もしかしたら、勝てるかもしれない。)
見た目通りの身軽さで。
「勝てるのか。」
骸骨は刃物を突き出した。
首元狙って一直線。
「無理だッ!!!!」
それを間一髪で握りしめた。
その途端、ララの体は燃え上がる。破裂しそうな痺れる痛みが、手中から腕を伝って肩を焼き、汗が、それ以上に貴重な血液が。
悲鳴と共に流れ出た。
「ッ――――――!!!!!!!!」
背中が破裂しそうな痛み。だが、それで終わらない。
更に、血濡れの骸骨は刃物を押し込んできた。
慌ててララは空いていた右手で相手の手首を掴んだが、血で滑って上手く掴めず、意に反してじりじりと刃が首元に迫り来る。
と、同時に左手が引き裂かれていく。
綺麗な傷口ではない、錆びた刃物は肉を剥ぐ。命と引き換えに想像を絶する痛みが、肉体どころか心までボロボロにしていった。
これでは死ぬ前に壊れる。
壊されてしまう。
(こんなの...死んだ方が...。)
けれど、滅茶苦茶にされながらも彼は耐えていた。突きつけられた刃を未だに押し返そうとすらしていのだ。
その頑張る姿を見ていた奴がいる。
骸骨だ、憐れむ心でも芽生えたのか突如として力を緩めた。
「ぇ?」
思わずの事態にララはバランスを崩して前のめりになる。
もしかして、もしかすると。
脇腹に重い一撃。そんな淡い期待は蹴り飛ばされた。
気絶寸前であった彼の意識もここで途絶えた。
このまま走馬灯でも眺めて死んでもよかった。
ララは気が付いた。意識を取り戻したという意味でも、なぜか自身が立ったまま気絶していたという意味でも。その他にも。
とにもかく現実に戻ってきた。
夢じゃない、それを痛む脇腹が熱心にも教えてくれる。
ララはまた拳を作った。
(まだ、戦えるんだ。)
そう思ってララが目の前を見たら。
そこで骸骨に頬を殴られた。返す刀でもう一発、更には殴ったついでに頭を掴まれて、顔面に刃物を叩き込もうと大振りな動きを見せた。
咄嗟にララが手をかざすと。その掌に穴が空いた。が、苦悶の表情で受け止めて、まだ無事な右腕で骸骨の刃物の柄を握りしめ。
「うら゛あ゛あ゛ああ!!!!!!」
その形で渾身の体当たりをブチかます。
両者共に地面に倒れた。すかさず、ララは馬乗りになって拳を振り上げ。
そして状況は沈黙を迎えた。
彼の眼下には潰れた頭蓋骨があった。
倒れた時にうっかり右肘で潰してしまったのだ。
嬉しい誤算、と言えばいいのか。始まりが始まりだけに、とんでもなく呆気ない終わり方。でも、良かった。
「これで終わり。」
そう呟いた途端に拳骨がララの顔面を捉える。
鼻が折れた。出血のし過ぎで鼻血は全くでなかった。
「ッっまだ!!! 動くか!!」
当然応戦、必死に殴ったがそれ以上に殴り返された。
骨が下、ララが上、馬乗りになっているので状況はもちろんララの味方。だったのだが、いつの間にか彼の左腕は動かなくなっていた。
彼は次第に焦っていく。圧倒的に手数が違う。それどころか殴っているこっちが痛い。しかも効いている素振りもない。
唯一の救いは骸骨があの刃物を握っていないことだけ。
(一度は頭を潰したのに。後は何をすればいいんだ。)
そんな揉み合いの最中に、骸骨の両手はララの肩を捕まえて、骨だけとは思えない力で彼を跳ね飛ばしてしまった。
とうとう優位な状況すらも失った。
そうだったとしても、戦うこと自体をララは諦めない。
(だったらもう、何度だって頭を潰して...。サジタリアスさんがそうやって倒していたんだから、そうするしか道が見えない。)
必要とあらば、生きる為に何度だって拳を握る。
力の入らない腕で作る弱々しい拳であっても戦い抜く。
「え。」
と、思ったら。急にその必要がなくなってしまった。
何故か、骸骨が勝手に崩れ落ちたのだ。
動く死体がただの死体に元通り。こうなったら一体全体、魔女に何の命令を受けていたのか分からない。殺すことが目的じゃないのか。
色々と想像を広げても疲れた頭では掴めない。
(なんだそりゃ。)
ララも仰向けに倒れた。膝から力が抜けたのだ。
「あぁ、そこ..にあった..の......かぁ。」
その際に、自らの腹部にあの刃物が突き刺さっているのを見た。
そのままララの意識は遠のいていく。
手遅れだ。そうなる前に気付けていたとしても治療は不可能、努力でどうこう出来る段階でもない。何も、何もできなかった。
ハランさんに逃がしてもらったのに負けてしまったんだ。
時間が経つにつれ、彼の視界は雲に覆われたかのように白く濁り。
そして、ロストは完全に意識を失った。
それでもまだ死んではいないのは人間元来の強かさゆえに。
全てが終わった。
戦いはもう終わってしまった。
そんな所に黒い影が現れた。特に何をする訳でもなく存在していた。
その次に、どこからともなく植物の蔓が伸びてきた。それはララの足首に巻き付き、彼を森のどこかに引きずっていく。
これを見届けた後に謎の影は消えてしまう。
改めて、全てが終わったのだ。




