10話 大波乱
名の長い森を、ララは痛みを引き摺りながら歩んでいた。
注意しながら前へ前へ。
そんな所を血の香りに誘われて寄って来る羽虫が鬱陶しい。
人生は混沌だ。
もっと最初は簡単な冒険であった筈だ。
ララは昔を振り返る。あの懐かしいアーマレントに来たばかりの頃を、それから起きた物事の数々を、そこからどうしてこうなった。
デノム人を手助けしたつもりが敵を作っていたなんて。
(後悔はないけどあんまりだ。)
「...しばらく、銃弾は飛んできていない。最初の射撃間隔ならもう十発撃たれていても不思議じゃないのに。どう思う?」
ミャー
猫の鳴き声でララは自らの脚を見た。
「手当しても大丈夫かな。」
醜い銃創が脚にある。痛みはもうない、感じられない。
あるのは広がるような痺れる感覚。
手遅れかもしれないが、ララはそれを一刻も早く手当したかった。
「出血で低血圧になっているのはもちろん、これだと神経系もダメージ受けているだろうな。傷口が完全に腐ったら僕の知識じゃもう治らない。」
地球で知った単純な理論にこの世界で学んだ医学と薬学。
それらがあっても出来るのはそこまで。彼が先程から不安を口にしてしまうのも、猫に問いかけてしまうのもそれが原因。
そして、アーマレントで薬を使い果たしているのも遠因か。
「綺麗な水と布が欲しいけど仕方ない。」
ララは深呼吸して、木陰に座って応急手当に取り掛かる。
お気に入りの服を料理用のナイフで裂いた。これが包帯の代わり。
次にふくらはぎにめり込んだ銃弾を取ろうとして手を止める。もう既にない、どこかで落としてしまったようだ。
後は傷口に泥が入らないように気を付けて。
「...よし。」
これで出血死の憂いは遠のいた。時間をかけても本当にそれだけ、破傷風でも何でも病死する可能性はまだ十分ある。
(アーマレントでの火傷も治ってないのに。)
それにしても静かだ。
「本当に銃撃されない。サジタリアスさんに何かが起きた?」
この静寂に何があるのかララは考えた。
(最後の銃撃、三発目は外していた。違う、僕の鞄を正確に狙撃してみせた。鞄にあるリックさんの魔石を狙ってやったんだ。)
だとしたら、想定通りサジタリアスさんは魔力を目印に撃っている。
そして常に魔石を通して僕の位置がバレている。
これを利用して魔石を囮に逃げることも出来るかもしれない。でも、駄目だな。いつまでも魔石が動かなかったら持ってない事がバレてしまう。
すぐにバレる訳ではないとしても油断は出来ない。
サジタリアスさんは高齢だけど賞金首を現役でやっているぐらいだから、射撃能力以外にも、何かしら卓越した技能を持っている可能性が。
考え過ぎかな。でも命がかかっているし。
(どうする、作戦を変えて洞窟に戻ってハランさんを待つべきか。もう崖の上にいてもおかしくないと思うけど。)
そうでなかった場合のリスクは?
「ダメだ、いくら考えても答えが出ない。」
ララは次の手を出すことが出来ない。
ミャー
そんな最中に猫は何かを持って来た。
一つ目六本脚の不思議な生物。体格は猫より若干大きく、立ち上がれば人並みの背丈ほど、光沢のある外骨格で覆われており、枯葉を思わせる色をしていた。
足先をぴくぴく痙攣させているのでまだ生きている。
それは本当に辛うじてだ。本来の姿が分からない程に怪我をしていた。
(何だろ、ギタイザコモクかな。初めて見た。)
森は静寂を保っている。
「―――それは不味いって!! 仲間呼ぶ前にどこかに置いて行かないと。こんな時にギタイザモクまで相手にしている余裕はないの...に?」
ニャ
猫は誇らし気に鳴いてみせた。
ララは頭を抱える。なんとも良い考えが思い浮かんでいたのだ。
一方、サジタリアスはララを待っていた。
彼の居場所は分かっている。ギタイザコモクから通報が来ていたので。
同時に、自らが余計だと思うものすらも届いていた。混乱、恐怖、不安、あんな虫みたいな獣から人並みの感情が送られてくるとは迷惑な。
無駄な感情だ、サジタリアスは苛立ちながら共鳴器官のスイッチを切った。
それでもう何も受け取らない。具体的にどうやっているかは本人すらも分かってないが、そんな事はどうだっていい。
「性能が良すぎるのも問題かの。これならば、あの時ウルフィンドの共鳴器官にしておけば良かったかもしれんな。」
そんな事を口にしながら長銃を構えた。
(半殺しにしたギタイザコモクを事前にばら撒いて、その個体のそれぞれの反応から位置を特定しようとしたが、まさか持ち運ぼうとするとは思わかったわ。)
銃に不思議な紅い力を込めて。
(大方、吾輩にギタイザモクの大群を押し付けるつもりだったのだろう。が、吾輩は共鳴器官のお陰で襲われないがのう。)
火縄が魔法で発火する。
(それでハランの馬鹿は...手間取っている様子。助けにはこれまい。)
眼に映る、動く薄い魔力の姿。ついでに高純度の魔石を運んでいる。何も知らずそろそろ目の前に躍り出る頃合いだ。
サジタリアスは銃の引き金に指をかけた。
ドッパンッーー!!!!
銃口から黒煙が立ち上る。煙の向こう側、サジタリアスは魔力が霧散していく感覚を肌で感じながら銃を下した。
呆気ない、これで死んだ。
そうして彼は短剣を取り出すのだ。頭を取る為に。
(これで終わりか。)
黒煙のカーテンが晴れたあとを彼は見た。
「違う! 違うではないかッ???!!!」
そこにはギタイザコモクの死骸があった。
サジタリアスは現実が間違っているのではないかと疑う。
ギタイザコモクは魔力が全くない未熟な魔物。だとしても、本来ならば魔物と人を間違えるなんてありえない勘違い。ありえない筈だった。
その個体の胴体には高純度の魔石が蔓で括りつけられている。
サジタリアスは勘づいた。
(ッ! 濃い魔力が近場にあったせいで見分けられなかったか。)
更に、ギタイザコモクを観察すると驚きの事実があった。
なんと手当された痕跡が。折れていただろう脚が木と蔓で真っ直ぐ伸ばせるように、砕けていた外骨格に塗り薬のような何かが。
他にも、文字にするには細かすぎるぐらいの処置が点々と。
サジタリアスは俯く。
(ロストはこやつが吾輩の元に来るのを想定していたかの?)
ギリリリリ
(いいや、吾輩が共鳴器官を切る前に苛ついていたせいか。全くとんだ凡ミスをしてしまったわ。)
くくくく、と胸に込み上げてくるものがある。
ギリリ、ギリリリリ
「カハハハ!!! よくやりおる!!! 吾輩が衰えたのか! これでは他の奴らに馬鹿にされてしまうではないか!!!」
ギィ、ギリリリリリリリ
それよりも、とうとう無視できなくなって彼は見た。近場にいた数体のギタイザモクがサジタリアスを威嚇していたのだ。
そうだ、彼らはベルのような耳障りな音を出している。
死骸のギタイザコモクを守るように立ちはだかって。
「なんだ? 貴様ら。ほら、吾輩は味方だろう?」
そう言って、共鳴器官を使って仲間を装うサジタリアス。
これは生態の話になるが、ギタイザモクの中にも虐めや仲間外れが存在する。けれど、殺す所までいく事は滅多にないらしい。
なってしまったならどうなる事やら。
持ち上げられた凶器の脚に、サジタリアスは銃を構えざるを得なくなった。
ズダン、ズダダダン!!!
「銃声? やっぱり何かあったんだ。」
一方でロスト・ララは森の外に出ようと歩いていた。
本当ならば走りたい所だが、傷が開いてはいけない。そんなジレンマに悩んでいる暇もないので早歩きをしている。
ただ、どうやらサジタリアスがお取込み中なようなので、そんな歩みから緊張が抜けていた。
(さっき猫が連れて来た子。治療して魔石付けた瞬間、僕を襲う事もせずにどこかに行っちゃった。仲間認定とかされたのかな。)
と、思いながらも口は別のことを喋り出す。
「魔石が動くならサジタリアスさんも早々に気付かないよね。」
猫は鳴く。どこか悲しげだ。
(治療に役立つ薬草も採れた。このまま順調にいけば森を抜けられる上に、傷の治療もそう困難ではないかもね。)
猫が鳴く。今度は興奮している様子だ。
「どうしたの?」
そう聞くと猫は先行していく。そこでララは気付いた。
このまま真っ直ぐ歩いた所に開けた場所が、そこに花畑が広がっていると。
ララに言わせてみれば、森のど真ん中に花畑とは不思議なこと。森に適した環境だからこそ森になる訳で、人工的な要因を除けば、絶対とまで言わないが変だ。
怪しい。けれども、確実に存在する敵よりも気を付けるものはない。
「いまなら見晴らし良くても悪くても関係ない。さっさと最短距離を通って森を抜けて、パラ=ティクウに直行すれば襲われない筈。」
こう言いながら花畑に第一歩。足裏から伝わる感触が土のそれではなかった。
小石でも敷き詰めているのかと思うほどゴツゴツしている。
ララはやはり変だと思いつつも、歩いていたら何かがバキッと音を鳴らして折れてしまった。もしかしたら木の枝かもしれない。
ニャオ!!!
また猫が鳴く。危機感を煽るような感じ―――。
「小僧、年寄りに運動させるではないッ!!!!!!」
ララの背後で轟いた。サジタリアスの声だ。
彼の訪れを猫は知らせていたにも関わらず気付けなかったとは。
「なんで、もういるんだ!!」
ララは後ろを振り向いた。そこには短銃二丁を向ける老人が。
「疲れたわ。まったく。」
引き金に指を―――。
「...っぁ、待って!」
ララは叫んだ。全力の命乞いだ。
希望の見えない延命処置。
「あの銀行強盗のことで勘違いされている事がある! 多くの人が誤認している事実がある! 真実をこのまま死なせていいのだろうか、サジタリアスさん!!」
「シルバーメインの事件は僕を殺しても終わらないぞ!!」
「そもそも、なんで僕が首謀者に数えられているかが分からない!! せいぜい黒幕に手伝わされた乞食って考えはなかった?!」
結果、ズドンと足下に一発。ララの口が止まる。
「そんな事、吾輩が知ったことではないわッ!!!」
一旦の静寂、そこから彼は語った。
「賢いが、まるで世界を知らないようじゃの。」
「吾輩は単なる処刑人、お主を殺すかどうかは金が決める。真実なぞ金の前に伏せてろ。これが世界だ、小僧!!」
短銃を構え直したサジタリアス、その狂気の矛先はララの眉間を捉えていた。
「そんな世界があって堪るかッ!」
事実どうこう以上に、あの彼の世界観を認められないララの叫び。
とにかくこれは緊急事態。認められないが、認めたくはないが、膨大な金をサジタリアスに渡せば殺されずに済むのではないか。
と、ララは思ったがすぐに諦めた。
自らに課せられた賞金額が100ペタルであったから。
「そうだ! シルバーメインの金がどこに行ったか興味は? 僕はお金を持ってないんだよ!」
サジタリアスは笑った。
「っ?!」
ララは身構えた。いつ来るとも分からない死を恐れて。
深呼吸、僅かな時間が長く感じる。
アーマレントでの出来事、彼は後悔なんて一つもしていない。銀行強盗で迷惑被った方々に対して申し訳なさはあるが、それはそうとして、それで救えた命があったから後悔はしない。
あれで間違いなくデノム人は明日を生きる事が出来ているのだ。
そして彼は自らが正義であるつもりもない。一生無い。正義なんて名乗ったら、救えない命がどれほどあるのか彼は想像してしまったから。
サジタリアスを改めて見る。
すると、彼の口が動き始めてこう告げた。
「...魔女。」
意外な言葉。
(魔女?)
ララは心の中でオウム返し。
「運が悪いのね御老体。見逃すつもりだったけど、あなたの身体の共鳴器官とってもイイ物を使っているんだもの。」
ララの背後で女性の声が現れた。新たなる理不尽の訪れ。
見てすらいないが、声しか聴いていないが、いまから始まる何かに彼はもう感づいてしまった。ここからが重要だと。
心臓はいつになく暴れている。
「私欲しいわ、それ。」
これが開戦の合図であった。




