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帰還志望の受難生  作者: シロクマスキー
二章 深緑の墓場
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8話 急転落下


 ぺしゃりペシャリと水滴が靴のどこかにくっついて、次の一歩でまた離れ、これを繰り返すばかりの歩みにて、ロスト・ララは洞窟内部を進み行く。

 そこは暗闇に閉ざされた空間、くるぶし程度の水位あり。

 そればかりか、ハランの戦闘音がけたたましく反響して、逃げるのを急かすように彼の背中を叩いていた。

 焦りだけを与えてくるような、まるで防災訓練のような雰囲気、それは命の危険も分からずにただ逃げているような感覚。


 (一旦、洞窟の外に出て待機か。)


 ロストは既に危機を脱したと思っていた。


 そんな時に前方からポチャリ、と。

 彼は聞き逃さなかった、故に動けなくなった。


 (何が来た。ギタイザコモク? 見えない。)


 その魔導具頼りの視界では、空間と物質の境目を見分けるのに精一杯。

 しかし、ロスト・ララは慌てる事をしなかった。


 (落ち着いて把握。)


 音の正体、アレが闇を躊躇無く進もうとする生物なのは間違いないので、何かしらの対処法を持っている可能性が大きい。

 例えば、この暗闇の中で視野を得る方法として。

 光を使って目で見るか、魔力を見るか、視野と言えないが蝙蝠のように聴覚、または熊のように嗅覚、はたまた探知魔法による何かだろうか。


 (状況的にギタイザコモクの可能性が大きいし、単純に考えれば仲間に呼ばれてやってきた個体だろうけど。さて、どうする。)


 彼に長考しているような時間はなかった。

 アレは生物、石ではない。


 ボッチャン


 ボッチャン


 突如として矢継に聞こえる水の音、殺意の見えない音がする。

 これがロストの傍にまで訪れた。

 彼は恐怖を堪えて薄く長く息を吸い、死体の如く微動だにせず、心臓だけは止められず、自らが石であるかのように振舞った。


 (ここまで迫って何もなし。少なくとも僕が見えていない。)


 そうだと願ってララは場を見守る。


 すると、バッシャリ。


 アレが勢いよく動いたのか、飛び跳ねた水がララを濡らして、ギィと次には一つ小さな悲鳴を連れてきた。

 何が起こったのか闇の中、そんな時に聞こえ始めた軋む音。

 彼が背後から来るそれに察する事があるとすれば。


 (ギタイザコモクじゃない。)


 そして、アレの正体が知識の外にいることを。

 ロストはゆっくりと振り返った。

 相も変わらず魔導具はアレの姿を映し出す事はなかったが、その片鱗というべきか、原因は不明だが、僅かながらの魔力の動きが見て取れる。

 こんな少ない手がかりが見つかっただけでも彼にとっては有難い。


 ロストは考えた。


 (下手に動くよりもハランさんが戦い終わるのを待って、ここに来てくれるまで耐え忍ぶのも一つの手段。)


 戦闘音は未だに聞こえてくる。

 これに紛れてここから離れるのも一つの手段だが、もしもバレてしまった時を考えてしまい、ロストはそれを選択する事が出来なかった。

 そうと決まれば彼は待つのみ。

 そうしていたら先に動きしたのは奴だった。


 バシャリばしゃり


 音からして、ララの方へ真っ直ぐ向かっていた。

 一体何に興味を示したのか。


 (不味い、鞄が引っ張られている。)


 鞄の中身は猫とか魔石、これを奪われる訳にはいかない。

 かといって、引っ張り返すことも出来ない。

 そこでロストはさり気なく、持ち去られないようにと鞄の紐を強く握って抵抗してみせたが、これをどう感じたのか。


 グイッとアレはより一層強く引っ張って。

 次第にララの指から鞄の紐が離れかけ。


 「それは駄目だっって!!」


 ロストはアレを蹴った。


 そして命中、流石に驚いたか甲高い悲鳴、同時にララの足先には重く柔らかい感触が伝わった。

 それは忘れ難き生々しさがある。

 ロストは唖然とした、自らがやった事とはいえ飲み込み切れないこの状況、そんな彼の耳に奴の唸りが突き刺さる。

 お前は殺すと。


 「ちくしょう。」


 もはや後悔の暇なし、ロストは鞄を抱き込んで走り出し。

 間髪無く彼を追う慌ただしい水音が。


 「ちくしょう!!」


 死にたくないのはもちろん、まだ生きていたい。

 が、それでも水音との距離は縮まるばかり。


 (なにか手は?!)


 思い浮かばない、今回の自問自答は役に立たず。

 ロストの現在を整理してみれば。

 慣れない魔力の視界に天然特有のデコボコ地面、更には水があって歩き辛いの三重苦、不幸中の幸いなのはアレにとってもほぼ同条件であること。


 (最悪の場合、戦う。生き残れるならそれでもいい。)


 覚悟は十分、あとは拳を振り上げるだけ。

 ロストは背後のあいつに立ち向かおうとした。


 「あっ、待って。」


 それよりも先に飛び出したのは猫である。

 名前はまだ無い。

 その雄姿は魔導具によく映った。


 「見えた。」


 ララは驚いた、猫もそうだが奴の姿も見えてきた。

 魔力の世界でようやく捉えた獣の形、顔に平たい触手をたっぷり生やした大型犬程の化け物がいまそこに。

 猫を返り討ちにしようと大きく顎を広げていた。


 (加勢しなきゃ。)


 ここでも戦いが始まると思いきやそうでもない。

 猫は空中で身を捻り、似非狼(仮)の鼻先に着地して、そこから飛び跳ねてロストの肩へ、更に飛び跳ねて洞窟の先に逃走。

 これを追って似非狼はロストを通り過ぎた。

 無論、ララがそれを放っている訳がなく、あの二頭を追っていくが、その最中で色々と考え事も始めたのだ。


 「あれは猫の挙動じゃない。それよりも、まだ僕を認識すらしていなかったのか。あの獣は最初から猫を追っていたのか。よく分からない!」


 彼は洞窟内部の坂道を駆け上り、それに伴って水溜まりから脱出。


 「いた。」


 そこには似非狼が猫に吠える姿あり。

 一方、猫は洞窟の壁の上の方で、壁の天然故の凹凸に足をかけて立っており、そこなら似非狼が襲い掛かれないと知ってか危機感無さげにニャーと鳴く。

 終盤のジェンガみたいな状況だ。

 ロストはどこから手を付けていいのかサッパリ分からない。


 (他に使えそうな情報はないか?)


 こんな時にララは妙な温かさがある事に気付いた。

 それは誰にとっても馴染み深い温かみ。

 それもその筈、これに勘付いて、彼がとっさに魔導具を外して見えたのは日光で照らされた洞窟内部、光の出所は似非狼より先の場所に空いた穴。


 (通ってきた感覚的にここはまだ...。)


 ロストの悪巧みの内容はもう決まった。

 それを知らずにモゾモゾと動く、黒と灰色をぐちゃぐちゃに配色した奴の肌。


 「猫ちゃん待っててね。」


 この状況下でララは迷わず直進、その足音に気付いて似非狼が振り向くも、そこに誰もいないと困惑するだけ。

 その様子を見て彼は確信した。

 そのまま外に通じる穴まで辿り着いて確認し微笑んだ。


 「こっちだ!」


 そう言ってロストは鞄の中から高純度の魔石を取り出した。

 この途端に動き出した似非狼。

 その走り出しは今まで以上の素早さで、あっと言う間にララの二歩先にまで詰め寄って、彼の魔石を持った右腕を噛み千切らんと飛び掛かる。


 「うっ!」


 この動きに合わせて屈んだロスト。

 勢いをつけ過ぎた似非狼は止まることが出来ずに穴の外、位置にしておおよそ崖の真ん中辺りから、身を投げ出してしまった。


 キャイン!!


 その時に発した化け物の悲鳴はそこらの犬と大差無く。


 「はぁ、はぁ、大丈夫かな?」


 ロストは穴から身を乗り出して落下地点を覗く。

 自衛の為とは言え、落ちた相手の心配をせずにはいられなかった。

 頭から落ちたなら脳挫傷、背中から落ちれば脊髄が壊れて起こる全身麻痺等による衰弱死など、かなり悲惨な結果が待っている。


 (そもそも悲惨じゃない死に方が珍しいけど。)


 それで似非狼はジタバタと痙攣していた。


 「...長生きは出来そうにないな。」


 ナー


 こっちを見てと猫がロストの足に頭を擦り付ける。


 「ありがとう。正直言って助かった。」


 これを撫でながら彼は道を確認。


 (一先ず、なんとか自らの安全を確保出来た。が、崖の上に出る場所が見当たらなかった。おかしいな、何処かにある筈なんだけれども。)


 猫がこっちに来いと靴を引っ張った。


 「何かあるのかい。」


 これに付いて行くと暗闇へ再突入、魔導具も再度装備、そしてロストは穴からそう遠くない場所で梯子を見つけるのであった。

 猫様々、彼女がいなければこうも簡単に見つからなかった。

 これでハランよりも先に歩を進められる訳だが、あの戦闘音はもう聞こえていない、現状そう急いで先に行く理由があるのかどうか。


 「先に行けって言われたからそうするか。」


 それで登って次の場所、メタく言えば特に描写することもなし。

 さっきみたいなアクシデントが狭い洞窟の中でそう何度も起こるだろうか、同じことを考えていたロストはすっかり油断して歩いていた。

 ただ先程の恐怖が抜けきっておらず心臓の鼓動はうるさいままで。


 「もうすぐ出口だね。」


 前から来る温かい風と、後ろから来る冷たい風の交差、肌で感じる温度の動きは出口が近いことの前触れ。

 それよりも先に訪れたのは一発の凶弾。


 ロスト・ララの視界はバラバラに砕け散り、直撃した反動で身体が地面に叩きつけられ、痛みも意識も飛びかけた。

 あんな鉄片一つでバイクに轢かれたような重症だ。

 不思議なことに生きているが。


 ドパン!!


 ここまでの悲劇を起こしておいて遅れてやってきた銃声、そこから時が動き出した様にすべての出来事が動き出す。

 ララの手先は震え温かい血が上半身を徐々に染めていく。


 (これは...一体。)


 こんな事をする奴は誰かと、記憶に尋ねたら、思い浮かんできたのはサジタリアスの顔である。


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