3話 コワルスキン
戦闘のあった場所から遠からず近からずの微妙な距離、ここでは誰も死人について知らないまま、そもそも住民がいるのだろうか枯れた町。
そんな場所でロスト・ララは腹痛に苛まれて立ち尽くしていた。
歩く事さえ今は厳しい、喉を掻き毟るような吐き気がある。そうなった原因は辺り一面の糞と草木の混合物、怪しいガスが湧いている。
(...来るんじゃなかった。)
彼の現在地、カーラス地区はとんでもなく汚れていた。
訪れたばかりですぐにこれ。
(人の住むような場所じゃない。)
元薬種屋として対応出来ると思われるかも知れないが、彼の知識では傷の完治を早めたり熱を抑えるなど、現症状に対しては何の役にも立たない。
それに村では作る必要がなかったのもある。
「お腹ガ痛イんでショウカ?」
そんな時に独特な訛りがララに語り掛けてきた。
それで彼は振り返って驚いた。
「オや?」
これは失礼だったか。それも吹き飛ぶ。
そこに居たのは完全無比な魔物顔、左右で大きく違う不揃いな目玉、気味が悪いほどに煤けた黒い肌、それらを隠すように獣臭い皮のフードを被っていた。
一言で表すならば小さな怪物、それでもシルエットにすれば人の範疇。
どうにしろ、これで驚かない方が無理がある。
見た目の衝撃に言葉を出せずにいると、それはニタリと笑って言った。
「食屍鬼を見タのは初メてでスかい?」
ララは震えながら頭をゆっくりと縦に振る。
彼は魔物と出会った経験が少ない。それも無害な奴か、遠目で見た程度の。
今まで知らなかった。おおよそ危険な存在だとは知っていたが、こんな社交的な魔物がいるとは夢にも思っていなかった。
(とりあえず握手でもすればいいのかな?)
彼の間抜け具合は置いといて、食屍鬼は説明の為にと口を開く。
「私はコワルスキン、食屍鬼のコワルスキンと申シます。ソノポケットの中身を頂イてモ?」
「えっと、ポケットの中身って、もしかしてこれでしょうか。」
コワルスキンが指した指の先、ララのズボンには魔石があった。
彼がお金になると思って村から持ってきた物の一つ。
魔石とは魔力が固まった物体。だが、彼の手元にある物はちょっとだけ特別製、熱を発するように魔法陣が刻印された厳しい冬場の数少ない熱源だ。
とは言え、元を辿れば店売り品なので大した価値は見込めない。
「そウソれデス、どウか譲ッテくれマセンでしょうカ?」
それを何故か欲しがった。
「はい、別にいどぅぐぃ。」
そしてタイミングに愛された。言い切る瞬間、ララを急かすように腹が鳴る。
コワルスキンはそのヘンテコな音に笑いながら袋を取り出し。
「では胃薬ト交換でスよ。」
そう言ってまた笑う。彼にこれを気にする余裕はなかった。
限界が近いのだ。震える手先で魔石を渡し、袋を奪うように貰って中身を確認せずに口の中、重力に従って大量の粉が舞い降りる。
(...粉?)
気付いた時には遅かった。
「ゲッフォッオ゛ッ!?」
噴き出した粉で顔面蒼白。その上、粉が口の水分を奪って離さない。
「ゲほゴホっ!」
咳き込むララは水を探すも、近場にあるのは足元の泥水のみ。
「...ヤメたほうが賢明ですヨ。」
流石に見かねたのか、コワルスキンが杖を取り出して呟くと空中に水球が現れ、徐々に大きくなりながら人の頭程度にまで成長。
ララはこれを使って顔を洗って喉を潤し、最後に残ったのはくたびれ顔。
これには流石に思う所がある訳だ。
(グダグダだ。間違いなくグダグダだ。)
まぁ、ロストの憂鬱はそこまでにして。
「もし、好ければですが。コれからも、私とこウした取引をしまセンか?」
怪しい商談。
「えっ、あっ、はい。」
軽く承諾。
「デハ、もしマタ魔石が手に入ったらコレヲ四回鳴らしてクダサい。入手ルートは問イませんヨ。」
コワルスキンはそう言うと鈴を見せた。
不思議な模様が入った銀色の鈴。ララはこれを手に取って試しに振ってみるも、変なことに音は出ず。首を傾げても音は出ず。
それで、どうすればいいのかと聞こうとして前を見れば既に遠く、コワルスキンの後ろ姿が見えていた。何やら急いでいる様子だった。
取り残された彼はやはり首を傾げて。
「結局、何だったんだろう??」
自分は魔物と交渉したと言うことで良いのだろうか。
それって実際は不気味なこと。けれども、胃薬の効果あり。最終的にララは軽くなった腹を擦りながら「まぁ、いいや」と受け流す。
本質的に悪い魔物ではないだろうと考えて。
(さて、お店に行こうか。)
当初の目的、就職活動を再開した。
(また無理そうだけど。)
なんて思いながら、ララはアルムの酒場にたどり着く。
まだ店の外、そこで気分転換のつもりで深呼吸。
すると、やけに旨そうな匂いに包まれた。
「よし、食べてからにしよう!」
不採用になった後では食べ辛い。
そうして扉は威勢よく開かれた。
そこには古びた木材と濁った酒気の香り、仕事終わりの野郎共がわんさかと、嫁の愚痴を歌にして、吟遊詩人が机の上で馬鹿みたいに踊っている。
どれもが本物で偽物なんか存在していない。
その世界で生きる者達が思い思いに人生を謳歌していた。
ここに踏み込む彼。
「わぁ...。」
その豪勢な雰囲気にララはたちまち恐縮した。同時に、これを嬉しく思った。
あの村から出なければ感じられない事だから。
それを何気ない顔で楽しんでいる人達が果てしなく羨ましい。
「その、どうしよう。」
取り敢えずと、どんちゃん騒ぎに紛れて席に着く。
その間にも酒樽が三つや四つも消えていく。
釣られて慌てて自らも注文しようとしたが何を頼めばいいのやら。
「あった。あった。」
机の上に目を走らせると、木板のメニュー表を見つけた。
それを手に取って注文しようとしてみたが、安い酒、高い酒、しょっぱい肴、あまい肴、贅沢で甘いやつ。なんて簡素な単語がただ並んでいるだけだった。
蛮族すら視野に入れた恐るべき客対応。
そこで彼が選んだのはこれである。
「贅沢で甘いやつを下さい!」
しばし待ち、やってきたのは白いムース。
フワフワの山が目の前に、それをスプーンで崩して口に入れると、あぁ甘い。苺のような甘酸っぱさと絹のレースみたいな舌触り。
ゆっくりと消えていく口溶けの、後味はさっぱりこれもよし。
因みにお値段は銀貨一枚、服一着分の価値に等しい。
(まだお金に余裕があるけど、贅沢はこれで最後だな。)
美味しい食事を前にして値段を考えるとは悲しきかな。
「にしても良い店だなぁ。」
食べ終えてから何となく分かったことがある。
いつまで経っても途絶えない客足、なんと言っても上手い飯、外の寂れた様子とは打って変わってこうも賑やかなのは、ここが皆に愛されているからだと。
給士に料理人、働く人たちも忙しそうだが楽しそう。
(志望するのは人が少なくなってから。)
食後、邪魔にならないように外に出た。
それと夜の、閉店の間際にまた訪れようと心に決めて。
現在はまだ日が高く、夜はまだ遠く。
暗くなるまでの合間、この暇な時間はなにをして時間を潰そうか。
そうやってララが視線を迷わせていたら丁度よく、ちょっと遠くの古びた教会が目に入る。
視線を奪われるような派手さはないが何処となく印象的。
(村だと豊穣の神を祭っていたけど、ここは何だろう?)
そんな好奇心が彼の心を動かした。
異世界の文化ってだけでワクワクするのはしょうがないこと。
時を同じくして、どこかの教会では身分の低い者達が話し合っていた。
それは「今日の晩御飯は?」とか、「なんか忘れているような」みたいな、日常的かつ穏やかな物ではなかった。
真空みたいな息苦しさを、危険な香りを漂わせている。
「本当にやっていいのか...天罰とかあるんじゃ?」
一人は決めかねていた。
「良いに決まってんだろ。神は笑って許してくれるさ。」
もう一人は楽観的に。
「そうだ、何を迷う必要がある。やらなきゃ俺らが死ぬ。」
三人目はイラつきながらそんな風に。
「完成したぞ。これでネズミ地区から脱却だ。」
最後の言葉で彼らは見た。別大陸から取り寄せた最新技術の産物。
これがあれば地位回復も容易であるかのように思えた。
設計するのに当たり幾日も使われた武装の配置、聖石や魔導石の調達に翻弄された銀色の巨躯、人それぞれの苦労が期待となって向けられて。
応えるかのように大きなモノアイが赤く強く光る。
それに混ざって靴の音。
「みんな、よくやった。ついに完成したのか。」
その怪物の出資者だ。全ての視線はそちらに集まる。
この偉業は貧困層が寄り集まっても成しえない。
それが出来たのはあの人、偉大なる人、出資者、指導者、色々と呼び名はあるが親愛を込めてこう呼ばれた。
「革命王様、貴方様の不魔人に対する献身的な態度には感謝しきれません。この場をもってもう一度感謝を言わせてもらいます。ありがとうございます。」
「いいんだ。いいんだ。それでコイツはどうなった?」
内容を思い出しながら技術者は言葉にしていった。
「原動力は魔導水を使用、取り付けた魔導炉は排水も利用した画期的なものでして、計画では最大二日の所を三日までに延ばせました。」
「他にも聖鉄の装甲で上級魔法を半減でき、中級魔法程度ならばほぼ無効化。武装は火炎放射器と、命令通りの魔導砲も備えております。」
「総じて性能は想定以上、どれもアリス様のお陰です。それで失礼ながら決行日はいつ頃になるでしょうか?」
革命王は鉄の怪物と見つめ合いながら。
「春、収穫祭当日だ。この作戦は決して漏れてはいけない。それと、とても言い辛いんだが目撃者がいた場合...殺してくれ。」
「了解いたしました。」
二人の話が終わり、不魔人達は視線を交わし合う。その眼には希望と、興奮と、一つの疑問が混ざり合っていた。