2話 鳥類王
ダンカン・ライトは息を呑む。店の中、床の軋みを耳にして、どこまでも膨れる嫌な予感と共に、副隊長に連れられ奥へと。
やがて、とある扉の前で足を止めた。
何の変哲もないただの扉、肝心なのはこの奥だ。
「では。」
それが副隊長の何気ない動作で開かれる。
そこにはダットン、彼がいた。これ以上にない呆気無い再会。あの時を彷彿させるが如く、椅子に座って待っていた。
「...よぉ、ダンカン。」
「そうか。」
この場で死んでは今生きている奇跡に申し訳ない。
ダットンに裏切られた後のこと、いつの間にか村にいた時のこと、その間の事柄をダンカンは何も知らずにここにいる。
(それも分からず朽ち果てるのはお断りだ。)
先手必勝、剣を引き抜き副隊長に迫らせる。
(一先ず、二人を無力化して訳を聞く。)
狙うは側頭部、ダンカンの思惑通りならば昏倒させるに至る。
しかし、予想外の金属音。刃は鎧の表面を削り取るだけ、どうやら投げ込まれた短剣に割り込まれ、太刀筋が逸れてしまったと。
彼が目線を前に向けると、ダットンがもう鼻先まで迫っていた。
「あーもう、ちょっと戦うか!!!」
そう言いながらダットンは剣を振るう。
狭い通路での一幕。最初は縦に一線、これをダンカンは剣を斜めに構えて受け流し、反撃の体当たり、二人共々転がりながら部屋のなか。
流石と言うべきか、両者素早く立ち上がって剣を交わす。
そこから繰り広げられる斬撃の応酬、稀に蹴り技、どちらも引かない攻防戦。互いに剣技は同程度、故に数の差が出て来る戦いだが副隊長は黙って観戦中。
つまり実質一騎打ち、長引く戦いに乱れる呼吸。
「埒が明かん!」
刃が地を駆け下から上に、それをダンカンは足で押さえて上から一刀。
「俺もそう思う!」
ダットンは長剣を引くと同時に一歩下がってこれを回避。
こうも激しい両者だが、致命傷に至らない様に加減している。
力を弱めて狙い合ってるのは鎧の箇所のみ、おおよそ肩と胴体、そこだけである。実際に命中しても最低は打撲、最悪は変形した鎧が食い込み痛いだけ。
一般人には動けるかさえ怪しい激痛であろうが。
何にしても、そんな剣筋では決め手に欠けていた。
(仕方ない、店主には申し訳ないが。)
剣戟の最中、ダンカンは魔力を左腕に集中させていく。
豊富な攻撃手段こそが彼の長所。持ち手の魔力を約半分。時は来た、ダットンに腕を差し向けて、魔力を魔導具であるガントレットに注ぎ込む。
その次の瞬間、誰であっても抗えない暴風が吹き荒れる筈だった。
出ない。いや、僅かな風を吹かせるだけ。このあっけない結果にダンカンは唖然とするも原因はすぐに分かった。
床に散らばる弾丸達、注目すべきはその素材である聖石だ。
戦っている最中にどこからか出てきたようだ。
聖石とは、聖力と呼ばれる魔力と似て非なる何かを放出する特殊な金属。
そして聖力は魔力を押しのける性質を持ち、逆に跳ね返されることもあるが、基本的にはこちらが勝る、そのような不思議な力。
魔法は魔力の制御によって発生している事象なので、魔力をかき乱されたら魔法は不発、そこまでいかなくとも威力は激減。
魔法陣の類や一部の魔導具もそうである。
つまり、魔法使いの永遠の天敵。それがここに。
「こんなのを持っていたのかッ...!」
この理解するまでの硬直とも言えない僅かな時間が勝敗を分けた。
ダンカンはあっという間に腕を絡め捕られて投げ飛ばされる。
背中に衝撃、倒れた彼に抵抗の隙が与えられる事はなく、そのままダットンの腕は高々と掲げられ、一直線に剣が降り下ろされた。
ガァンッ!!!
しかし、それはダンカンを殺さなかった。
床を突き刺すに留まる。
「はぁ~~~、疲れた。」
何やら口走りながらもダットンは短剣を引き抜いて、空いた手を使ってダンカンの手首を掴んで立たせた。
不思議な間、それから両者は深く息を付き。
そして目を合わせて。
「これはつまり...。どういう事なんだ?」
「今日の今日までお前がここまで凶暴だって知らなかったぞ。」
剣先を気にしながらダットンはそう言った。
「それは、だって、そうだろう? 大体、お前のやり方が悪い。チャールズと居た時に何をやっていたのか覚えていないとは言わせんぞ。」
「そうだろうけど。だけど、俺は俺で大変だったと理解して欲しい。それは、まぁ、うん。」
チラチラと目を泳がせるダットン。
「その...なんだ?」
ダンカンが聞いてみればこう言った。
「魔王だ。」
冗談か。しかし、彼の表情は真剣そのものであった。
「まさか、魔王とはな。私はそんな御伽話をしたかった訳では、夢を壊すようで悪いが魔王は存在しない。その筈だ。間違いない。」
ダンカンは子供の頃はよく読んだものだと思い出す。
本にあった存在しない昔話、勇者が姫を助けて魔王を倒す夢物語、たった一人であの偉業、あれが本当ならばこの世はもっと良くなっている。
「そう思うよな。」
ダットンは得物を鞘に納めて。
「だが、奴らは魔王を名乗っていた。で、そいつらがどんな奴か探ってみたことがある。間違いなく魔王と呼べた。」
現実味のない話をまだ続ける。
「一人は空を飛び、もう一人は呪術で何かをしていた。あと魔物がいて、そいつらも魔王を名乗っていた。よく分からん連中だったのは間違いないが。」
「魔王がそんなにいて堪るか。それでは本当に。」
ダンカンは思わずそんな事を言った。が、しかし、言葉とは裏腹に内心では彼も魔王がいることを信じ始めていた。
何より、酷い顔の友人が本気で言っている訳だ。
「...チャールズは魔王を名乗っていたのか?」
「いいや、チャールズは利用されているだけだ。いつだって大魔王と呼ばれる者に従っているだけで、他の魔王が結集している時でさえ動きを見せなかった。」
それを聞いてダンカンは考え込む。
没落した貴族に魔王は何をさせるつもりだったのか、聖国に送られたと聞いたが、それもすらも大魔王の計らいなのか。
しかし、どこまで考えても真相は浮かばない。
なので、話を戻してこう尋ねた。
「それでダットンはどういう立場なのだ。」
「そうだな。ある日、事件があった。」
ダットンは語る。
「兵の脱走だ。」
だけど、これ自体は別段珍しい事でもないな。他国ならば首吊りものだが、アーマレントじゃよくあることだ。
んで、よく知っている様に俺はあんたに頼んで連れ戻し、馬鹿たれ共の頬を引っぱ叩いて回ったが問題はここから。
そいつらは酒飲みに誘っても断るようになった。
付き合いが悪くなったんだ。
「そりゃ...。」
「全部聞け。言いたいことは分かるがそれは違う。」
変化はそれだけに留まらなかった。
脱走の常習犯が、だ。サボることや欠伸を出すこともなくなり、武器の整備も自ら進んでやるようになって、朝の練習にすら顔を出すようになった。
「良かったじゃないか。」
「あぁ、一人二人の話ならそれで済んだ。最初は俺もそうだった。」
そして、俺と仲の良い部下も姿をくらましたんだ。
そいつはお前に頼む間もなく帰ってきた。
ダットンはため息を付いて。
そいつの趣味は男らしくなく花を集めることでな。仕事中も花を見つけては自慢げに語る奴だった。
異質だよ。失踪した奴ら、全員が生まれ変わったかのように真面目になる。
人の本質はぽんぽん変わることはない。例えば、生粋の盗賊をどう更生させようとしても、そいつの人生から〝盗む〟って選択肢は消えやしない。
だから、そういう輩はまた掴むのだろうよ。
もちろん、絶対とは言えないが。それにしたって、葛藤する様子すらないってのは明らかに変だろう。
「それで、自分が疲れているだけかもしれないと思って、よく考える為にも少し休暇を取ったんだ。そしたら、襲われた。」
「大丈夫だったのか。」
彼は示すかのように左肩を掴んだ。
ダンカンはそこに大きな傷があったと記憶している。
(その時には強盗に襲われたと言っていたが。)
「...話を続ける。」
あんな戦いは最初で最後だろうよ。襲った奴が自分と同じ見た目だなんて。
その後、俺はそいつの死体が影のように消えるのを見届けた。
それから休みを打ち切ってより一層仕事に励んでみた。そうすればどうにかなると思ってな。実際、何とかなってしまった。
お前が調子こいて乗り込むまではな。
ダットンは続けて言った。
「お前を弓兵から守ってやったのが怪しまれて、チャールズを聖国に移動させた後で逃げてやったわ。」
ダンカンは頷く、チャールズが聖国に送られたのは確からしいと。
「そうか。では何故、私は川に流されていた?」
先程のダットンの説明からでは分からない謎。それについて彼は言った。
「俺の妙案、麻痺毒で動けなくして死体と一緒に船で流した。」
「なんて、運任せな。」
それは間違いなく一か八かの賭け。誰に聞いてもそうだろう。
緊急時だったとは言え、自分の命がぞんざいに扱われたと思うと、気分が悪くならない訳ではないダンカンであった。
「だけど、生きてるだろ。時間が無かった、許せ。」
「そうだろうが、もっとこ...う?」
その時、カランコロンと聖石の弾丸が転がった。
会話の途中に起きたこと。風のない部屋の中、それはあってはならないこと。もう一度言うが、弾丸の素材は聖石で、それから放出される聖力は魔力と相反し合う関係にあり。
つまり、弾丸の動きは魔力を跳ね返したからに他ならない。
「あーあ、時間切れかい。見つかった。」
魔力の制御で魔法は成り立つ。なれば、この魔力の流れは誰かの魔法。
恐らく、探知魔法か。広範囲に作用するあの神秘。
探知魔法の結果が弾かれたとなれば相手は察することだろう。
「どうやら俺達にお客様が来たようだぞ。どうするダンカン?」
冷や汗を流しながらダットンは言った。
そこで副隊長がこう言った。
「ダンカン隊長、裏口から逃げてください。ここで生きていると気付かれたら何が起こるか予測が付きません。」
そう言うと副隊長は剣を抜いて構えた。
「そうだ、ダンカン!」
「なんだ!!?」
ダットンの呼びかけにダンカンは答える。
「魔王は俺たちの複製を用意できるぞ! 信用する人間はいつも選んだ方が良い! それと、生き延びてくれ!」
「あぁ!」
ダンカンは力強く返事をし、裏口から体を投げ出す勢いで飛び出した。
それと同時に、背後では石と材木が一緒に崩れて轟音が。走る間も後ろの二人が気にかかるが、僅かな再会によって自らの役割は今一度確認出来ている。
人々が悲鳴を上げる中、ダットンはそいつらに対して短剣を構えていた。
その手は新兵のように震えて止まらない。膨大な魔力が肌を刺す。見ているだけで底冷えする闇がそこにあるのだ。
あの悪魔、鳥を模した鉄仮面を身に着けたあの男。
「壁から来るなんて礼儀がねぇな。」
軽口を言ってみるが、感じた恐怖は消え失せない。
「入り口が分からなくてね。」
ただの言葉にさえ戦意を削られてしまう。
攻撃はいつ来るか、今か。
「副隊長さんや、そっちのデカ物は任せた! 俺はこっちのアホを丸焼きにしてやる!!」
鳥人間以外にも一人いた。聖石と鉄の合金、聖鉄の甲冑を着込んだ巨漢。
外見だけで言うならば強者の貫禄、この場で一番強そうだが、戦場において優位に立つのは肉体の大きさよりも魔法の力、魔法が強い奴が勝つ。
真の強者、奴は手持無沙汰に二振りのレイピアをクルリと回す。
(とは言ったが、これは勝てるか?)
村人であれ、魔法使いであれ、相手の魔力を無意識に感じるだなんて普通なら有り得ない話。だが、この鳥人間からは見える。
どうしようもなく見えてしまう。
「来ないなら、こちらから。」
ティッ!
二つの剣が触れ合って、小さな火花が咲き誇る。
(早い!?)
異常な速度、最初の一撃が防げたのはほぼ偶然。
「手加減が必要か?」
「やれるもんならやってみろ!」
身体は憤るも心は冷静、ダットンは剣を構えた。
これを見て、鳥仮面の方は魔法による肉体強化の他、右手を上に、左手は下にして、点の様なレイピアの先を並べて向ける。
それが奴の構え。途端、剣戟が始まった。
目を瞬く間に甲高い音が天を叩く。
たった一瞬、その数十回に及ぶ剣同士の交わりにて、分が悪いとダットンは距離を取るも、相手は瞬間移動に迫る速度で距離を詰めてまた起こる。
「なっ!?」
次に狙われたのは胸の中心部、心臓のある辺り。
もはや、誤魔化せない。ダットンは身体を捻らせて受け流そうとするも、旋風のような一撃で鎧を砕かれて、露わとなった衣服に冷たさを感じた。
せめてものお返しにと、奴の首筋に短剣を投げつけたが簡単に避けられる。
(いや、まだだッ!)
予備の短剣で更に投擲。
赤い力を込めた渾身の妙技。
「それしかないのか。」
小馬鹿にされながらも地面間近で放たれたそれは物理法則を裏切った。曲線を描いて急上昇、敵の首に向かって空を飛ぶ。
しかし、そんな変わり種を易々と受け取ってくれる相手でなかった。
レイピアによって敢えなく弾かれる。
あぁ、残念。とはならなかった。最初から当てになどしていない。
二度目の投擲のその後で、ダットンは拳銃を構えて仁王立ち。最初からこれを狙って、これしかないと思って戦っていた。
相手の隙を突いてようやく出来た。
「汚い戦い方しか知らないと見える。地を這う蛆虫め。」
敵が嫌悪感を示すその時に。
「その蛆虫に撃ち落されろ!」
引き金は引かれた。銃口からの破裂音と、豊富な魔力と共に弾丸を発射する。
念には念をと、貫通力を高めておいた特別製の銃だ。
「あぁ、それで?」
見事に銃弾は敵を貫通。
「人、じゃない。」
それを見て、ダットンは引きつった笑みを浮かべた。
奴の身体には大きな穴が空いている。なのに、奴は生きている。
(次はどうする? どうして? どうやる?)
ダットンは答えの出ない自問自答を繰り返す。
悪魔とは思っていたが、本当に人ではないとは。
そして彼は副隊長と大男の戦いによって我に返った。
未だ続く二人の戦いの音を聞いたのだ。
そこで咄嗟に、最後の短剣を大男に投げつける。血迷った訳ではない。むしろ、冷静だったからこそ。
「グバァッ!?」
命中、男が叫び声を上げるて地面に倒れた。
虚しささえ感じる一撃、まだ死んではいないが致命傷。いずれにしても彼は死ぬ。それを成し遂げたダットンの背後には悪魔の手が迫っていた。
免れない死の予感、ダットンは自らの影を見て最期を悟った。
「さようなら。平民の子、ダットン・ライト。」
風のような剣技により、それぞれ頭、喉、心臓、片脚と、一息の内に四つの風穴を開けられて、遅れて飛び出た血飛沫に石畳は染まっていく。
ついには悲鳴が上がった。諦観していた野次馬の泣き声だ。
ただの喧嘩ではないと、人が死んでようやく理解したようだった。
それを丁度にして副隊長も逃げて行く。野次馬に紛れて速やかに、ダットンの決死の攻撃を無駄にしない為にだ。
その後ろ姿をそれは追わなかった。
「やはり不魔人は使えない民族か。」
それは無様な味方を見ていた。
「助けてくれ鳥類王、カヒュ..いひゃに診てもらえばまは間に合ふ、呼んてきてくれ、頼むぅ。」
その男の首元、兜と鎧の隙間には短剣が刺さっていた。
医者がいても死ぬだろう。それでも巨漢はしぶとく生き長らえようと、青虫みたく地を這って、鳥類王と呼んだその者に手を伸ばす。
人間とは変に丈夫なもので、声を出す度に血と空気を漏らしても、それでもまだしっかりと生きていた。
鳥類王は何を思ったのか、無暗に短剣を引き抜いてみせた。
それに抗議をする声は聞こえない。代わりに大量の空気が首から溢れただけ。
「っ~~~......!!!」
そうして大量にあふれる涙、鳥類王はその流れの中で気が付いた。
巨漢の瞳が綺麗な紫、彼がまだ持っていない色であった。
どうせ死ぬなら持ち帰ろう。
鳥類王は短剣の先を男の瞼にあてがう。
そうして慎重に、なんとなく生きたまま取り出そうと刃を動かしていると、その背中に声をかける者がいた。
とんでもない命知らずか、いや違う。
「いくらお前でも、それ以上の行為は許さない。」
「これは大魔王様、何の御用でしょうか?」
「ちょうど近くを通ったから見に来た。それだけだ。」
彼らは簡単な会話を済ますと、誰もいなくなった通りを進んで行った。
後に、これを目撃した人々が衛兵を連れてやって来たが、そこに死体は一つもなく、けれども多くの目撃者が訴えた為に捜査が行われた。
結局、何も見つかりはしなかったが。