29話 望まれた明日
もうすぐで眠りにつく時間帯。空の上では夕日と月が同居して、天に張られた油絵のような現実が、誰にも見向きもされずに消えようとしている。
まもなく、アーマレントは闇に沈むであろう。
その微かの間に、一筋の白煙が天高く上り詰めていた。
それから夜がやってきた。
周囲の気温も下がり始めてきた。
とある幌馬車が街を駆けていく。急いではいるが何処かに向かう訳でもなく。
乗車しているのは酒癖の悪い男と現状に似つかわしくない子供たち。
えぇ、攫われた孤児達ですとも。手足を縛られて荷台に転がっているものの、口は塞がれておらず、その気になればいつでも叫べる状態にあったが。
そんな状況で男は御者席で揺れながら汚く笑う。
「こんなんで人生復帰出来るんだから楽だよなぁー?」
すると、持っていた鞭を強く握り絞めて。反射的に身を竦ませる子供がでて。
「だから、だからッ、さっきからうるせぇんだよッっ!」
突如、激しい癇癪を引き起こした。
「やめてッ!」
前振りの無い凶行に思わず叫ぶ子供も出たが。
「だから黙れってつってんだろぉおおおおおがっ!!!」
ついには奴は振り向きざまに鞭を子供に向けて薙ぎ払う。
しかも、その鞭の先端には小さな鉄片が付いている。
そんなものを人に振るったならば到底無事では済まない。
この無差別な攻撃に巻き込まれたある一人。命中した肩の少しが皮膚ごと剥がれて、耐え難い激痛、涙を溢して呻き声を嚙み殺す。
「ぐぁが、あ゛あ、頭がズキズキするぞ! お前らにも分かるか?」
なぜか奴も不可解な頭痛に体を震わせた。
「だから禁酒は身体によくねぇよ。バカか!?」
「そうさ、俺はもう自由だああぁぁ――――――!!!」
一刻の猶予もないといった様子で酒瓶を掴んで口の中に注ぎ込む。
更には新しい瓶の蓋まで開けて二本同時に消費した。
「あん?」
この直後に男は気付く、馬車の進行方向先に何かいる。
「ありゃ、幻覚...か?」
血走る眼が捉えた。酒気と暗さが相まって輪郭はぼやけて見えるが、人間か。
自身を疑いながらも馬車を完全に止めてから。
「おい、邪魔だ! 殺すぞ! 殺されてぇのか!?」
ダンカン・ライトであった。
「お前の声を知っている。」
そして一歩、また一歩、元憲兵は誘拐犯に近づいて。
「おい、本当に誰だ。止まれ。」
「お前の悪行も知っている。」
「これ以上オレに近づくな。止まれつってんだろ。」
「まだ、私が誰か分からないのか?」
まもなくして男の表情は恐怖で強張った。まるで被害者のように、今までの強気はどこへやら、無意識の内にお手々が酒瓶に伸び始めて止まらない。
これまでの地位も華もない哀れな己の人生が脳裏に浮かぶようだ。
人狩りや人売りは、奴からすれば犯罪というよりも生き甲斐であった。
「もう一度、お前をここで捕まえる。」
故に、誘拐犯の舌は良く回る。
「なッ! なッ!! 嫌だ、こんなの世界が間違ってるだろうが。他にもいんだろ、俺を捕まえても意味がないだろうが。なんでだよ、なんで、俺だけなんだよ。そうだろうが、そんなん絶対にお断りだぁろうがよォッッ―――!!!?」
「フ○ッキンビースト!!! シねッ!!!!」
そうやって一通り叫んだ後に苦しめる為だけの鞭をまた。
バッチィィィン!!!
下種の手により容赦ない凶器が馬の肌に食い込んだ。途端の嘶き、吐息混じり、血を撒き散らして無理のある加速、幌馬車ごと前方に吹っ飛んで。
質量×速度の物理法則は魔法世界でも侮ることなかれ。
手綱を握られた運動エネルギーが人間を狙ってやってくる。
「轢かれろォ!!!」
ダンカンは馬車が加速しきる前に距離を詰めてから身を横に投げて回避した。
その刹那、奴の御者席から高く見下ろす視線とすれ違う。
「クソっ、余裕かよ。だが。」
そのまま地面を転がりながら言葉を聞いた。
「これが神の御心よ! さらばだ!! バ―――ガァ!! 」
地に伏したまま短銃を構えて炸裂させた。
「なっ!!?」
栄えある一撃、奴の左肩に銃弾がまこと綺麗な弾道を描いて着弾、続けて、蛙が潰れる時に出すような声を迸らせて馬車から転落。土煙に包まれた一部始終。
この時の落ちる様子は車に轢かれる直前のタヌキさながら、奴の投げ出された体は舗装路との摩擦で速度を擦り減らしてついに止まるが。余韻の熱が身に染みる。大地とキスして前歯が欠けた。打撲も数か所、擦り傷を幾つも。
不健康な青白い肌に出来たばかりの生々しい傷跡の数々。
内臓の裏返る感触を脳内で反響させていながらも。
「ンなのもの、人に撃つナァ...!」
そこから執念で立ち上がってみせた。次の瞬間には吐瀉物で頬を膨れさせた。
「銃は撃つ道具だ。とびっきりの悪党にな。」
しかし、どれほど惨めな姿になろうとも犯罪者だ。
「どうして子供を巻き込んで、いや、いいさ...。」
「意味なんて、無いのだろうな。」
とにかく、時間は掛けたが誘拐犯の身柄と馬車を押さえられた。
これらの勝利は間違いなく門番達の協力があってこそ。
ダンカンは四大門の門番に伝えた三つの要求と事情を思い出す。
その一、明日の朝まで警備を最大限強化すること。その二、不審な馬車を見かけたら狼煙を上げること。その三、自分はもう憲兵ではないことを。
「監獄に連れ戻す前に少し聞きたい事がある。」
勝手に蹲った男の頭に銃を突き付けてこれを問う。
「魔王とは何者で、何処に居る。知っているはずだ。」
「フぅー、嫌だね、糞野郎。」
(取り敢えず魔王の存在は否定していない、か。)
反抗的な態度、男のそれが魔王に対する忠誠心の表れということはなかろう。
「であれば、今回の脱獄について処罰を減刑するように口添えしてやろう。」
「それはアーマレント憲兵の特権ってやつか?!」
「あぁ、そうだ。」
ニンマリと憎たらしい顔が口角を上げた。想定内だ。
「それな...ら?」
それで喜々として喋ろうとするのだが、そこで終わり。
「うがが、グアアアあぁぁッっッ―――!!!」
「おい、どうしたんだ!? しっかりしろ!!」
「や゛め゛ろ゛お゛お゛おおおおおおおおぉぉぉーー!!!?」
突如、男は胸を抑えて口から血の泡を噴き出した。既に演技は疑えない。そこから絶叫と痙攣を繰り返し、顔面を蒼白とさせ、尋常ではない脂汗、留めなく。
救いを求めて差し伸べた筈の手の先が何処にも届かずに下降していく。
不可視の存在に内側から骨を撫でられた、気がする感触が。
次に体内から異音が鳴り響いたかと思えば、今度は目に見える形で変形していった。と同時に、赤紫色の痣が腹部を覆う勢いで急速な広がりを見せ始め。奇々怪々の様相を呈し始めた彼の為だけの終わりの時。
その時にはもう男は叫ぶだけの機械に成り果てていた。
「アア゛ア゛嗚呼アアぁッ――――――――ッッ!!!」
やがて、最期が訪れる。
命を燃やして神秘が灯る。
異変の中心、胸の内側から肋骨全てが原形を留めずに飛び出した。
「ぁぁ...。」
誘拐犯はそれを見つめ、理解したあと、生きる事を諦めた。
到底そうなりたくはない残虐な死に様であった。
「...せめて、あの世で反省してくれ。」
異状死体を直視し続けることは流石の元憲兵でも躊躇われる。
そうして視線を迷わせて、このお陰か、地面に溶け込んでいく黒い影を目撃した。しかし、今から駆けつけても遅いだろう。
「仲間にも容赦がないとはな。」
孤児達が幌馬車の幌の隙間から顔を覗かせて、こちらを観察している。
「ロスト・ララが君達を待ってる。さぁ、教会に帰ろうか。」
ダンカンは馬車の荷台を魔法で照らしながら乗り込んだ。
なんであれ、此度の誘拐事件は解決されたのだ。
子供達の為にも早く無事を祝って悪夢を忘れさせてしまおう。
明日は何といっても楽しい収穫祭。そう思っていた矢先の緊急事態、血の香り、幌馬車の奥の方で子供がうつ伏せになって悶えていた。
「これは一体どうしたんだ?」
「鞭で打たれたんだよ。ただの鞭じゃない、先端に鉄球付き。」
見ていた少女が涙ぐみながら説明してくれる。
「社会のゴミだよ、あいつ。」
「そうか、話は分かった。治療が必要なのか。」
魔法に頼らない光源の確保、怪我への対応、子供の手足を縛るロープ、馬車の片づけ、それと、あとはなんだ。この夜を終わらせる為のやるべきこと。
こればかりは王の権威と組織の力が恋しくなってくる。
もしかすると、事後処理の方が大変になるのかもしれなかった。
「そこにいるのは誰ですか?」
ここで女性の声が背中を叩く。
「...御覧の通りに怪しい者かもしれないが。」
ダンカンが馬車から降りると、ランプを掲げる神官姿の淑女と三人の大人の聖職者が待っていた。聖職者であれば話が通じると信じたいが。
冷たい夜風に吹かれながら慎重に歩を進めていき。
「......事情は後で話すとして今は手伝ってくれないか。もしも、縄を切れるような道具があれば非常に助かるのだが。」
やはり、ピリピリと皮膚が焼かれるような気配がする。
よく見たら彼女の右手には鉈が握られていた。
これには思わず立ち止まってしまう。すると、彼女の方から子供達に近寄って、胸を撫で下ろし、手足が縛られているのを確認すると直ちに訊ねてきた。
「もしかして、この子達を貴方が攫ったとかではありませんよね?」
ギラリと光る鉈の光沢。
(怖いなこの娘。)
「なるほど、待ってくれ。」
ダンカンはララの言葉を思い返して考えた。
それで相手の正体を察するに。
「もしや、ロスト・ララの知り合いではないか? 私の名前はダンカン・ライト、彼に頼まれ孤児を助けようと行動していた一員だ。」
「それを裏付ける証拠はありますかね。」
ダンカンは疲弊している子供達に視線を移して彼女に戻す。
「残念ながら今は出来ない。が、それを聞けて良かった。信用ならないのであれば貴方達にこの場を任せて私は去る、これで良いだろうか。」
「そこまで言うのなら、私からも信じましょう。」
「早速で悪いが、なんと呼べば?」
「エルモです。」
エルモは自己紹介の後、あの死体が見える方向に行こうとした。
「君はそこに行かない方が良い。」
「死体なら見慣れてますよ。」
「...そうか、神官姿は伊達ではないか。」
それから最初の一人目が解放された。
「ありがとう。」
その子は弱々しい感謝をして腕の赤い跡を気にしつつ地面に座った。
「あとをお願いしてもいいですか。」
エルモは鉈を仲間に託して、その子供の下に駆け寄り。
子共と同じぐらいに腰を下ろしてから尋ねた。
「すみません、捕まっていたのはここにいる皆さんで全員ですか?」
子共は荷台の開けた空間を見つめて下唇を噛む。
「一人だけ居ない。」
「...それは、誰でしょうか。」
エルモは恐る恐る名前を聞いた。
「ジェドだよ、あいつだけ暴れていたからどっかに連れていかれた。」




