1話 幻影の使者
城塞都市と名高い都市国家アーマレント。
東の山脈に見下ろされ、そこに急いで向かうのは古びた馬車。搭乗者はロスト・ララとダンカン・ライト、ここに罪人の男を追加して合計三人。
ララはこの奇妙な同乗者に何とも言えない気持ちを抱えていた。
村を出立してから今日で二日目。しかし、この男を語る為に今から遡って一日前、日がまだ高い時刻、徒歩での移動中にそれは起きた。
都市までの道沿いに彼が困った顔で立っていた。
けれども、周辺には足を止めるような要素は見当たらない。あったとしても馬の嘶きや、小鳥のさえずり。平和そのものである。
「訳は聞かないでくれ。どうか道を変えてくれないか?」
男はララ達を見るや否やそう言ってきた。
「どんな訳がある?」
憲兵だからか、ダンカンは怪しみ介入しようと試みる。
「俺の仲間も馬も猛獣に食われてな。こっちはとっても見苦しい状況になっている。近づかない方が身の為だぞ。ぐちゃぐちゃだ。」
と、男は言った。
「では、貴方もここにいては危険ではないのか?」
「...自分は獣除けを持っている。あぁ、そうだ。まだ猛獣もこの辺りをあるいてるかもしれない。やっぱりここは通らない方がいい。」
「その獣除けがあったとして、仲間が襲われている以上、無暗に安心出来る物だとは思えないのだが。」
これに半ば怒りながら男は吐き捨てる。
「しつこいな。いいか、こっちはあんたの為に言ってんだぞ。」
いつ喧嘩が始まっても可笑しくない状況にまでやってきた。
「それならば最後に一つだけ言わせてもらう。」
「馬の鳴き声をこの近くで聞いた。馬は非常に臆病な生き物だ。野生でも家畜でも、猛獣が出たとすればすぐ逃げ出すような奴らだ。」
真剣な表情で言葉で。
「それとも野生の軍用馬がいたのか?」
男は頭を掻き毟って悔しげにして。
「チッ、厄介事は重なる物だなぁっ!」
男が口笛を吹いた瞬間、近場の草むらから馬が飛び出した。
これに颯爽と乗って去ろうとするが、それよりも先にダンカンは男の脚を掴み、たちまち引きずり降ろしてしまう。
何が起こっているか分からないララにダンカンは言った。
「頼む、道の先を見に行ってくれ!」
「わかりましたっ!」
「やめろぉー!! やめてくれぇーっ!!!」
暴れる男の声にララは背中を震わせながらも見に行くと。
車輪の外れた幌馬車が道端に。
そこで幌の内側、中身を覗いてみると逆に暗がりから見つめてくる存在が。それは子供、子供、子供、鎖に繋がれた子供達である。
「あの人、人攫いだったのか...。」
愕然とし、それしか言葉に出来ない。
「紛れもなく重罪だ。」
ララの背中でダンカンはそう言った。
声に釣られて振り返れば、彼の肩には縄で縛られ動けなくなった男の姿。実力による逃走を諦めたようで、なんとも情けそうな顔で許しを乞う。
それを無視して彼はこうも言った。
「車輪が外れた程度なら馬車はすぐ直せる。子供達の方は安全な所まで運ぶとして...。」
「すまないが、旅の同行者が増えることになった。」
そうして今に至る。
(面倒見のよさそうなお爺さんだったなぁ。)
ララはちょっと前の事を思い返す。あの捕まっていた子供達は近場の村の神官に保護されて、神官の方もこれを喜んで引き受けた。
中にはその村の出身者もいたらしく、そのまま親子の再会となった。
(地球に帰ったら自分も?)
分からない。
「そろそろ着く。ほら、名物の城壁が見えてきた。」
ダンカンの声でロストは視線を上げた。
気持ちを入れ替えられるだけの景色があった。
古き時代から現存する都市、それを母体とした都市国家アーマレント。
都市内部は川によって五つの地区に分割され、聖堂が密集して立ち並ぶ地区には海洋神の名を、監獄が幾つもある地区には監視の神の名を。
地区の特徴に合わせて相応しい神々の名前が与えられている。
それが行き過ぎる所もあり、地区の発展に伴って名前を変え、これが未来の歴史家を苦しめているという。
「これは...大きな壁ですね。」
その前に城壁、これを語らずしてアーマレントは語れない。物理的高さは地球の建築物には及ばずとも古代のロマンはそれより気高く。
国民の安全を守り続けている。
「毎年増築を繰り返しているからな。」
二人が最初にたどり着いたのは都市の玄関口。巨人すら通れるだろう城門の、四つある内の一つ、そこから伸びた長い列の最後尾。
きっと、これから厳重な検査を通り抜ける必要があるのだと、ララは強張っていたが拍子抜け。
「これはダンカン様!」
門番がダンカンを見るや否や畏まる。
そして列を飛ばしてアーマレントへ。
(道中で憲兵だとは聞いていたけど...。)
「さて、私は牢獄に用があるのだが。君はどうするか。」
ダンカンは馬を預ける準備をしながら聞いてきた。
これに対するララの答えがこれ。
「これ以上はお世話になれません。」
なんら当てのない無謀な発言ではあるが、それよりも彼はダンカンに迷惑をかける方を怖がって、そんなことを言っていた。
そこでダンカンは彼に札を渡した。
彼が意地を張って言ったのだと考えて。
「そんな歳でも仕事が必要だろう。よければ、それで働き口を見つけて欲しい。」
その札には数々の店の名と位置が記入してあった。
これに書いてあるもの全て、兵士の不祥事が多発する場所ではあったが、店側の不手際ではないのでほぼ問題はない物件。
憲兵としての知識がここに出た。
「本当にありがとうございます。」
この善意に罪悪感さえ覚えながら、ララは通りの向こう側、膨大な人波に流されながら消える様に去って行った。流れ着く先は他人次第。
その消えた辺りをダンカンは幻でも見るかのような目で。
「村から追い出されるような理由が分からないな。」
あの村が貧窮していた様子はなかった筈。
「やはり、分からないな。」
その後、ダンカンはあの罪人の処理として湖水地区、それは昔の名だったか、監獄地区カーラスへ足を運んだ。
出迎えるは荒廃した家と鼠の群れ。
壁の中にあってこの有様、もはや人が住む場所ではなく、安心するような場所もなく。近寄りがたしアーマレントの汚点。
「しかし、いつ来てもここは酷いな。」
肥やしに灰と煤を合わせたのが故郷の香り。その懐かしいような、悲しいような、どちらにも付かない気持ちのままにダンカンはとある監獄に訪れた。
そこで働く看守に罪人の男を見せる。
「またかよ。」
看守は呆れた声で罪人を連れていく。
看守の名はボーンズ、ダンカンの旧友でもある。
初めて会った日をお互い覚えていない。
ボーンズは呆れながらも、罪人の縄を解き、牢の中に押し込もうとするが、それに逆らって男は看守を押し倒すかのような勢いで喋り始めた。
「おぉ、看守さん。このしがない商人を助けてくれませんでしょうか。」
「ただ私は子供らに畑の耕し方を教えようとしていただけなんです。それなのに何を勘違いしてか、あなや、この男に濡れ衣を着せられてしまった。」
「これには神もさぞご立腹なさること。これを見捨てることもまた同じく。しかし、ここで助ければ貴方の子孫代々には幾多もの強運が降りかかるでしょう!!!」
この長ったらしい口舌を聞いて。
「おう、罪状調べてからな。」
ボーンズは男を檻に蹴り入れた。
「神に呪われろ! クソったれ!」
「あっ、こいつ唾を吐きやがった!」
男は叫ぶが見っともないだけだけ。窮鼠猫を噛むと言うが、この状況に当て嵌めるのは贅沢か。
とにもかくにも、悪人の収容はこれにて終了。
仕事を終えたダンカンに気分悪そうにボーンズが聞いてきた。
「あぁ、それでよダンカン。チャールズの野郎は一体どうしたんだ?」
一瞬、男の牢に視線を向けて。
「今回の仕事、聞いた限りあんな小物じゃなかったはずだが。」
ダンカンは堪らず口籠る。
「それは...その、訳が有ってダットンが運んでいる。」
言い兼ねる諸事情。この微妙な返答を不思議に思うボーンズ。
「おう? それなら安心だな。しかし、お前にとっては残念だろう。宿敵だったんだよな?」
「あぁ...そうだな。」
やはり、ボーンズは奇妙だとは思いながらも、特にそこから何か言う訳でもなく、収容者の名簿に男の名を書くだけに留めた。
流石の手腕か、いつの間にか名前を聞き出していたらしい。
「裁判の日は酒場を通してでいいな。...ったく、形式上必要とはいえ憲兵の権限で裁判も飛ばせねぇものか。」
「これ以上の権限はいらないさ。では、これで。」
一仕事終えてダンカンは監獄を出る。
しかし、満足感よりも依然として不安の方が大きかった。
結局、ダットンの裏切りは何だったのか。聖国に向かって事実を確認次第、何かをしなければ気が済まない。
それとチャールズと彼が手を組んだとは今でも思えない。
であるならば、あの時、自分に飛んできた矢を防いだ意味は何だったのか。裏で何かが起こっている事は確かだが。
悩みに悩んだ末、ダンカンは酒場に辿り着く。
決して酒に溺れに来たのではない。幼くして親を亡くしたダンカンに、憲兵への道を開いた恩人アルム・カーラスに会いに来た。
現在もその昔も、彼は酒場を切り盛りして大繁盛。
酒を振舞う他にも客の愚痴を聞いたり、時には酔っぱらいを介抱したり、無骨ゆえ話し上手とは言えないが人望があった。
そのお陰か、どの地区であろうとも、お勧めの酒場を聞けばアルムの酒場が真っ先に。結果、旅の者達が何処からともなくここに来る。
彼をまた頼ってしまうのは申し訳ないが、そうも言えない状況なのが心苦しい。
ダンカンが席に座ると、店主のアルムが酒肴とビール2杯を抱えてやって来た。
その異様な光景に客達は目を丸くした。
「調子はどうだ。」
テーブルには器とジョッキ、焼きニンニクの香ばしい匂いと茹でた岩石芋の湯気が辺りに渦巻いて。
それ以上に濃い顔のアルムがダンカンの目前に座る。
「死んだと聞いたが、それは間違いだった。」
アルムは深く息を吸って。
「この情報の出所がお前の部下だから諦めてたんだぞ。涙返せこんにゃろう。まぁ、忘れたいことがあるんだろうが、酒飲んで頭ふやける前に聞いておきてぇんだ。何があったんだ?」
やけに饒舌だが普段は寡黙、本当に心配してくれているのだろう。
それを分かっているからこそダンカンはこう言った。
「酒の力というよりアルムの力を貸りに来たのだが、事情は聞かないで欲しい。こんな我が儘をいいだろうか?」
「あぁ、良いに決まってんだろ。何が知りたい?」
どうしてか旅人達はこぞって語りたがる。
やれ隣町に美人がいただの、やれ山岳にデカい魔物がいただの、つまりは武勇伝、自慢大会を毎度のように酒場で開催するのがお約束。
だが旅は常々唯一無二、喋りたい気持ちは仕方なし。
まぁ、その話は置いといて、それで都市一番の酒場ともなれば欲しい情報がすぐ手に入る訳で、ダンカンの目的はそれである。
「そうだな。チャールズとダットンが今何処にいるのか、だな。」
あの村に流れ着いてから数日が経過した。
部隊から離れた日数はもっとある。
どれほどの情報がここに集まったのだろうか。
「チャールズは聖国の牢獄に収容されたらしい。それで処刑は冬に執り行われるそうだ。つまり来年の冬だ。」
「凄いな、そこまで分るのか。」
だが、いくらなんでも早すぎるような気がしなくもない。
「俺はここの主人だからな。それでダットンはライト地区にずっといる。チャールズの輸送に付き添わないですぐに帰ってきたらしい。」
「...そうか、ありがとうアルム。早速会いに行ってくる。」
ダンカンは酒代の銅貨を机に置いて早足に去った。
残されたアルムは2杯のビールを寂しく見て、近くの客に配った。
そうしてやって来たライト地区、ダンカン・ライトの産まれもここである。
けれども、青年期を費やしたカーラス地区程思い出深い訳ではないが。故郷とも思っていない。それでもダンカンにとって重要な場所であるのは間違いない。
だからこそダットンは何故ここに、何を待っているのか。
「賑やかだ。」
市場では人と物の往来が絶えない。
ライト地区の中心部には市場と市場に隣接した公園がある。
幼かったあの時、そこではいつもダットンと一緒に乱闘をしていた。今ではそんな光景が見られないのかと思うと...安心しかない。
そこでダンカンはまさかと思って公園を見たら想定外。
なんと憲兵隊副隊長だ。
「隊長、よくぞご無事で。」
あちらもこちらに気付いて無事を確認すると、変に周りを気にし始めた。
その動作をダンカンは知っている。索敵訓練にてよく見かける仕草、だがここは街の中、何が居るというのだろう。
「隊長少し話があります。ついて来てください、そこで全てをお話しします。」
「あぁ...。別に構わないが、ダットンの件か?」
短く頷くと人混みのなかに溶け込むように移動し始めた。
ダンカンがそれに続いていくと一つの店に辿り着く。店の名前はラフ・ランク、中に入るとビールの香り、装飾品は昔を感じさせる趣きだ。
その店の店主に対し、副隊長は会釈をするだけで迷いなく店の奥へ足を進めた。
一方、その頃ロスト・ララは。
目立たない路地の底で闇に沈んでいた。
「はぁあ...。」
初めての街、初めての風景、辺りを見回せば埋め尽くされる日本とはやはり違う民家の情緒。その隙間に彼はいた訳だ。
ララはダンカンに渡された札を改めて見直す。
ナイフで刻まれた文字、ずらりと並んだ店名の数々、これ程あれば何かしら当たると思っていたのは過去のこと。どれもこれも駄目だった。
なんか嫌だからと理不尽な事に付け加えて。
「不魔人だろ? 帰れ。」
「親もいない上に怪我している者は雇えない。」
と、様々な理由で拒否された。
だがしかし、落ち込んでいても仕方無いのだ。
ロストは(不魔人ってなんだろう?)と思いながら、次の名前を見てみれば〝アルムの酒〟と記されてあった。
これが最後の名前、最後のチャンス。
「よし。」
奮起して立ち上がる。これで駄目なら山菜採りにでもなって生き延びてやると固い覚悟を持ち、札の情報を手掛かりに歩を進めた。
しかし、何かが変。すると、辺りは寂れた街並みに変貌していく。
「本当にこの辺りなのかな?」
段々と不安になってくるこの感覚。ふと、視線を感じて路地裏に目を向ける。
それが何よりいけなかった。ララは見てはいけない物に囚われて、視界が思い通りに動かせない、まるで夢の中のような不自由さを強制された。
そして彼は異常に痩せ細った男と目を合わせる。
それは心を削るような耳障りな声でこう訪ねてきた。
「ダンカンは生きているか?」
ララは逃げ出したい衝動から頷き返すと、それは跡形もなく消え去った。
音も無く、幻影か、白昼夢か。ただただ、ララは自分が正体不明の何かと会話した事実に激しく動揺するのであった。






