20話 照らされる順路
街の汚水集まる臭い場所で人の声。
一つの光球が宙に浮く。
都市国家の下の下。下水道にしては小奇麗な格好の者達が、先発隊によって蹴散らされた鼠の死骸を踏み抜いて、工事の為の事前調査に訪れていた。
彼らは自らに課せられた仕事をそれぞれ果たしていく。
ある人は埃を被った古い図面に目を落として、倒壊した地点や泥で埋まった場所を確認し、新しい紙に漏れなく記録していく書類作成。
ある人は皆を先導してこの迷宮じみた下水道を効率的に往来し、場合によっては炭鉱のカナリアとなって危険を知らせる賃金高めの嫌な役目。
えぇ、もしもの時の必要最低限の犠牲者という訳です。
なにしろ可燃性の毒ガスやら病原持ちの鼠様、多様な可能性で満ちていた。
「精霊のいたずらで死ぬかもな。」
「やめろよ、縁起でもない。」
現在、下水道の入口から機械で風を送りこんで毒ガスを徹底的に排除中。
それを精霊の気紛れで風を止められて全滅なんて事もありうる話。
「何処まで終わった?」
「まだ、半分も終わってない!」
今回の工事では補強だけではなく拡張や埋め立ても行うので、膨大な資料が求められていた。しかも、下水道は広大なので純粋な仕事量はかなりのもの。
故に、事故を気にしつつの長時間労働。精神力が試される。
そうして次々に出来上がった資料を後で見るだろう貴族の為にも、香水と一緒に木箱に入れて地上に配送。
こんな事を息をも躊躇する腐臭の中で着実にやり遂げていった。
ただ、やっぱりここは大魔境。現在進行形で臭いの素が投下されています。
ここで働く者は皆、下手な心頭滅却を頭で唱えて自我放棄。
「見ろ、この汚物の表面に白い結晶が出来ているじゃろ? これが良い畑の肥料になるんじゃよ。」
これほど過酷な状況で豆知識を披露する元気なお爺さん。
照明係として連れてこられた魔法使い。
いつ倒れるのかと心配になる枯葉のような姿には、一同ハラハラと見守っているが、そうとも知らずに本人は軽快に振る舞うのだ。
その元気に充てられたのか次第に作業員達の間でも会話が始まる。
「なぁ、妖精が管理する大迷宮の伝説は知っているか?」
「そんな古い話題よりも、遠い昔に聞いたことがあるんだが人間に混じって人皮を身に着けた怪物が本当にいたらしい。」
「冗談が上手いな。ところで新しいと言えば、最近帝国で建国記念日を祝う為に木の竜が建造されているそうだぞ。」
知識自慢に近い三者三様の問答の末に何処かの誰かが溜息を洩らす。
この現場を取り仕切る工事長だ。ハァ、労働者共が意気揚々とするのはいいとして、遊び気分でいられるのも困るんだがなぁ...。
明かせない思いを溜息にして捨てていく。
それで彼が足の腹で鼠を押しのけて歩いていると、偶然にも影に落ちていた小さな幸運、小さな破片を見つけた。
「んっ、これはッ!」
労働者共を慌てて睨む。大丈夫、何も知らずに会話に励む間抜けの姿。
そこで靴紐を直す振りをして身を屈め、革靴の中に押し込んだ。
日常生活の落し物は雨と泥に運ばれて人知れず下水道へ集結している。
なので、こうした事は珍しくはあるが奇跡とは言えず。これを浮浪者が狙ってこの地下にやって来る事もしばしば。だが、こうも高価な物とは運が良い。
工事長はご満悦でやる気を出す。
「そろそろ腹減ったよな? 休憩だッ!!」
ここで宣言された休憩時間。地下での彼らは時間を知る手段がないので、工事長の都合により左右される程度の扱い。
で、外に出た彼らを太陽は燦々と出迎えてくれた。
そのまま野郎共はガルフ・スイレムの館へと直行する。
どうして、貴族の館に?
理由は簡単、今回の工事に対してガルフは自らの邸宅の浴場を条件付きで解放すると公言したのだ。これは意外と凄いこと。大統領に友達認定される次ぐらい。
その所為で屋敷は逃げもしないのに地を駆ける者がいる始末。
「ガキかよ全く。」
そう愚痴りながらも工事長はこれ良しと金ぴかを取り出した。
どんな物かよく確認すると、分かったのは装飾の凝らされた金属片とだけ、特に分からなくても問題はない。
「どこで売ってやろうか。」
金属としての価値が重要であり、何かしらの物的証拠だとしても買い取ってくれる屑屋は口を噤んでくれるのだから。
ご機嫌な表情で彼もまた何処かへと。
場所は変わってガルフ邸。
案の定、雪崩れ込む汚物塗れの労働者。
難儀なお方だ。持ち込まれる汚臭に頭を悩ませる者がいた。
この館の主、ガルフ・スイレム張本人。あの判断を「やはり、間違いだったか」と思いつつ「これで良かった」と言える自分も存在している。
「浴槽に入らせる代わりに賃金を値切ったのは英断だろう。」
口に出してまで自らの判断を肯定した。
そうでもしなければ、この瞬間を耐えられそうになかった。
おおっと、ここで労働者一人が床にめり込み脱落したァァッ!!!!
にしても、やって来る野郎共の騒ぎっぷりは狂乱の域に達している。
なんせ大概の人にとってはこれが人生初の貴族体験。
通常、たった一度の入浴でかかる労力は人間が浸かるのに必要十分な水汲みやら薪割りで途方もなく、魔法を使っても魔力の仕様上により至難の技。
本来ならば体を拭く程度で終わる彼らにとって僥倖なり。
故に、致し方なし。例え、それが給金半分差し引きだったとしても。
更にはガルフ邸の庭にて喧嘩勃発ゥゥ!!!
まぁ、地球人だってゲーム機の発売日はこんな感じだろうきっと。
「...それはまぁいい。本当にいいとして。」
ガルフ・スレイムは迷いを振り落として手抜き工事を考える。
その方が健康に良いとのご判断。
今現在は、副工事長の持ってきた資料から工事の計画が組み立てられ、並行して工費の見積もりが優秀な部下の手によって算出されている。
(そこに手を加えて浮いた費用を懐に収めるには。)
今回に関しては何故か資金を先取り出来ているので、計画書の数字を変えれば簡単に誤魔化せるだろう。
普通に使ったとしても余るぐらいには十二分にあるが。
「だからこそ我が国王は何をお考えであらせられるのか。」
「...いや、それは後にしよう。」
それよりもどうやって安く済ませるかを考えなくてはいけない。
例えば、下水道を修復するのに低賃金では人が集まる訳が無いので、今回で言えば浴場の利用だが、何かしらのアプローチが必要不可欠。
「手口...手口を...。」
なんだったら職人に交じって直接計画に口出していきたいが、当然の事ながら疎まれてしまうのがオチだろう。
なので、自分の分野で削減を目指していかなくては。
(工具を安物に、それか手持ちの奴隷を使って人件費を減らすか。)
と、そうこう思考の海で泳いでいる内に彼は失念していた事を思い出す。
「そうだとも! 監獄には無数にいる無駄飯喰らいの無魔人が居るじゃないか! いや待てよ。あぁ、すれば...こうなる!」
本題から逸脱気味に自身の将来についても考え出し始める。
最早、単なる工事計画ではなくなっているのは誰の目から見ても明らか。その先どんな結果が待ち受けているか然して考えていないのは驚きだ。
そうと決まれば準備あるのみ。ガルフの足取りは軽やかに、説得する為の台詞を練りながら職人たちの下へと走り出すのだった。
「お待ち下さいガルフ様。」
屋敷を出る直後に彼は出鼻を挫かれて意気消沈。
極自然に振り向くと、御年四十近くの己の執事がぺこりと腰を折った。
それで何の用なのか検討がすぐ付いてしまう。
「何か問題でも起きたのか?」
もしかしたら違うかもと念のために質問する。
「銀行家の武装集団がまた影の門に押し掛けて来ています。通してもよろしいでしょうか?」
「人数は?」
「四人ほど...。」
言い出し辛そうに執事は告げた。
「その程度なら構わん、通せ。」
そう返事してやれば執事は恭しく頭を垂れて業務に移っていった。
「うーむ、考える事が少し多いな...。」
だが、凄く楽しかった。
何もかも分からないのに思わず笑ってしまう。
娘が人質になっていることは忘れていない。
彼は生き生きとしていた。立場の重さにしか気付けなかった若き頃よりも俄然、人生の目的も対抗する為の力も手中にあるからこそか。
「聖国ぶっ潰す。」
この宣戦布告を聞き遂げる者は居なかった。
しかし、確かに開始されているのだろう。




