10話 大きな喪失
その日の夜、教会の長椅子にて起き上がる子供がいた。
ロスト・ララは夜に凍えてブルリと震える。
薄い布を片手に今まで寝ていた。
目覚めた彼が最初に見たのは空しい現実と綺麗な夜空。夢が夢なのは悲しくも当たり前、豪勢な食事なんてなかったのだ。
「うぅ、寒い。なんか教会の広間にいるし頭がズキズキする。」
現在の状況を口に出す。誰かに届くだろうか、そんな事はないだろうが。
この寒さから逃げたくて彼は自分にしがみ付く。
見えない物まで見えてきそうな時間帯。
流石の真夜中、祭壇に灯る蝋燭の光だけでは自分の居場所すら掴めない暗さ。そこから更に暗くなる。月明かりが雲に閉ざされた。
(コワルスキンさんに渡すには早かったな。)
時期を見誤ったと白い吐息を漏らしてみた。
(もしかして、いつも無魔人ってこんな生活をしているのかな?)
そこで鞄が手元にない事に気が付いた。
と、同時に食堂に置いたままだと思い出す。
取り敢えず、このどうしようもない暗闇を克服しようと目を慣らしていると。どこからともなく雫が滴る音が近づいて来た。
明らかに異質な物音だった。
咄嗟に彼は椅子の下に転がり入って様子を見る。
ピチャリ...ピチャリ...
ララは身構えた。
コツ...コツ...
次に足音がハッキリ聞こえた。
口に手を当て息を殺す。
その時、雲が晴れて月明かりが教会に差し込んだ。
見えてきたのは黒い影、外に向かって歩いていた。酔っているのか千鳥足、不規則に右や左に揺れ動きながらも前に進み。
そして止まった。ララの隠れる長椅子の前で。
前触れは何もなかった。
「っ...。」
ララの瞳に大きな輪郭がボンヤリ浮かぶ。
何を見ているかも分からないそれはこちらを見ていた。
もしかしたら、長椅子の上の布を見ていただけかもしれない。しかし、それは単なる願望。そうであって欲しいだけ。
ついに彼は心臓すら止めようと胸を押さえる。
(早く、早く。)
願いが叶ったのか、それはまた歩き出した。
(行った。)
コツコツ、そうして奴は教会の扉に辿り着く。
やがて扉が開かれた。
そこから降り注ぐ月光もやはり正体を照らしてはくれない。その代りにか、わずかな証拠を提示する。
教会の奥から外に続く血の痕跡。
奴はそのまま振り返ることすらなく過ぎ去った。
それをララは注意深く見送ってから椅子の下から身体を出す。
(これは本物の...血の匂い。)
だからってどうしようもない。
(だって僕は。)
何も知らないままがいいなんて悪い事だろうか。
もしも、オキュマスさんが極悪人だとして自分に何が出来るのか。ここで関与して余計な方向に悪化させたらどうなるか。
思い浮かぶは目も当てられないような大惨事。
最初からどうしようもないのなら、触らずそっとしておくのが一番良い。
「だから僕は何も見ていない。」
ロストは右手を握った。
しばらく経って日を跨ぐ。
夜が去って朝が来た。
アーマレントのとある地区に工房の奏でる鍛冶の音、通りを行き交う人の声、産業地区にも劣らない活気の良さが早朝より香り立つ。
ここで暮らす毎日はきっと楽しい。
そこは工房地区ギリネス、アーマレントの中心から見て南東に位置している。
「はぁ、駄目か。」
ここから先はダンカン・ライトの物語。
ギリネス地区は犯罪が少なく訪れる機会が滅多にないので、ダンカンにとってはあまり馴染みのない場所である。
ここに来た理由は後程にでも。
「なんとなく分かっていたが。」
アーマレントの憲兵は軍の後方支援に留まらず治安維持活動を行っている。
つまり兵士の規律だけでなく国家の秩序を守るべき存在です。
彼らはその任務に役立つ特権として、国内における市民権を持つ者に対して独断による逮捕と家宅捜査が認められていた。
しかし、これだけでは横暴を働く輩が出るとの事で制約もまた多く。国により憲兵の住所は指定され、資産すら汚職を防ぐ処置として管理されたりと凄まじい。
それらは国家権力に対する国民の信頼を確保する為でもあるので、一概に悪いと決めつけることは出来ない。
「もう一度、掛け合ってみるか。」
ここに来たのはギリネス地区の支配者アンドレア・ギリネスへ、魔王らしき存在がいるとの注意喚起と、彼の管理する兵舎含めた兵士の調査の許可を取りに。
けれども、何度説明しても散々馬鹿にした挙句に追い出す始末。
各地区を代表する貴族達にも憲兵の特権が通用する筈だが、どうも立場が弱い。憲兵の権限は貴族の言葉一つで消え去ってしまう。
本来しなくてもよい許可を取りに来るぐらいには弱かった。
「俺の家にもう来るな。」
邸宅の戸が閉まる。
「根気負けとはいかないな。」
こうなると憲兵は意味を成さない存在だ。
今朝から黄昏時まで粘ってみたものの、結局退散。それに暗くなってからは自分の身も危ないだろうと思い至った。
しかし、家に帰る足取りは鉛のように重い。
自分の存在は魔王から見てどうか、貴族ならすり替えられていない筈、本当にこんなやり方で大丈夫なのか。
今までの不安と迷いがそうさせていた。
そうして中央地区サドラの素朴な一軒家に辿り着いた。
特に何かに襲われる事もなく家の前。
だが、中に入ることを体が拒む。家の静かな佇まいがダンカンには自分を拒んでいるように感じられたからである。
分かっている、でもそんなのは...。
「気の迷いだ。」
その言葉と共に扉を開けた。
チャールズとの交戦から初めてのただいま。おかえりを言ってくれる相手はいないが一応自宅、ようやく落ち着けると思っていた矢先のこと。
どうやら違った。昨日の彼はガルフの邸宅に泊まっていたので、扉の向こうにある惨劇を今になって知ってしまった。
(窓が無残に破られている。足跡はなし。扉の鍵に痕跡なし。)
驚くわけでもなく状況把握。
木窓は破られ、棚は引き倒され、何か隠していると思われたのか天井すらも狙われて、あろうことか屋根の骨組みが丸見えだ。
これをダンカンはただの空き巣ではないと感じ、剣を抜いて警戒する。
(荒らされて日が浅いな。一日も経っていない。二日もあれば誰かが気付いて問題になっている筈だが。)
憲兵の私財は国庫の中でここにない、家は国に指定されているので丸分かり。
こんな分かりやすい虎の巣に盗人が襲ってくるものだろうか。何にせよ、犯人の思惑がどうであれ今日ここで寝るには忍びない。
ダンカンはアルムの酒場にでも行こうかと立ち去った。
いくら都市の中央だとしても夜の風景は少し寂しい。
今宵の月は恥ずかしいのか雲から出ず、お陰で辺りの道には闇が満ちていた。
これに対抗してダンカンが光の魔法を行使すると、明るい光球が宙に浮く。その小さな太陽は来訪者を知らせる便りとなった。
「お、ダンカン。本当に丁度が良い。今から来て欲しい場所があるがいいか?」
あの日から変わらない姿のダットンがいた。
彼は右腕を軽く上げて手を振った。
「ダットンか、あんまり驚かしてくれるな。もしかして、お前の息子みたいに夜遊びでもしていたのか?」
ダンカンは少しだけ躊躇しながら剣を鞘に戻して話を聞いた。
それを見て、僅かに遅れてダットンは答えた。
「いいや。用があってお前の家に向かっている最中だった。凄い偶然だ。」
ダンカンは少し怪しみながら足の爪先から頭の天辺まで見澄ます。
彼は首からペンダントを吊り下げており、それは確か彼の宝物。そんな宝物とは到底似合わない憎まれ顔のダットンにダンカンは気が緩む。
「...本当にそうだな。」
「それで来るか?」
「あぁ、勿論だ。」
それで着いて行ってみればライト地区の特段治安の悪い場所に進んで行き。とは言えど、カーラス地区より安全極まりないが。
(懐かしい。)
確かこの近くに猫好きの婆さんがいたけれど今も居るのだろうか。
ダンカンが少しばかり昔を思い返していると。
やがて、寂れた屋敷の真ん前でダットンの脚が止まった。
「ここなのか?」
「そうだとも、ことさら懐かしいだろ?」
「あぁ...。」
この屋敷が誰の物か知られてない程に古くから存在していた。
ダンカンは来て欲しい場所がここであった事を意外に思う。
(まったくだ。)
実を言うと、子供の頃にダットンと一緒に訪れ、二人仲良く幽霊退治と称して乗り込んだ事がある。
あの頃は足元を気を付けて歩いていた。ネズミの悪戯か床には幾つかの穴が開いていたので、それを避けながら少しずつ。
そんな苦労をして見つけたのはただの浮浪者。
大人となった私達は、今や魔王退治などと謳って屋敷にいるのだから今も昔も案外変わっていないのだろう。
「どうしたダンカン?」
屋敷の扉の前で、ダンカンはダットンの肩に手を置いて言った。
「こんな歳だが。いや、こんな歳だからこそ懐かしい記憶が、恥ずかしい記憶でさえ良く思えてくる物なんだな。」
「お前が居たから自分がいる。本当にありがとう、感謝が遅れて済まないな。」
「何を感傷に浸っているんだ。今生の別れでも無いだろうに。」
ダンカンの目はどうしようもなく我慢できずに潤んできてしまう。
それに対して何故かは分からないが、ダットンの中にも申し訳ないと思う心があってしまい、不可解な程に乱雑な記憶から言葉を抽出しようとしたところ。
それよりも先にダンカンの剣によって胴体を刺し突かれてしまった。
その時、慰めるかのように冷たい風が肩を撫でた。
ダンカンは倒れた彼からペンダントをそっと手に取る。
これは誕生日に渡した贈り物。
酷く疲れていたがそのまま屋敷の中へ。
そこには魔王がいた。名乗らずともそうだと思えた。
「何故分かったの?」
「鎌をかけただけだ。ダットンに息子はいない。」
今度はダンカンが聞いた。
「こちらも聞こう。どうして死体を使った?」
聞いた通りならば魔王は完全な偽物を用意できた筈なのに、屋敷の前には死体が消えずに横たわり続けている。本物だった。
ソレは場に似合わぬ楽しげな声で言った。
「いやぁ、有り余る死体を活用してなんか面白い事が出来ないかなーてねっ? それよりも死んだ友達と再会した気分はどうなの? 悲しいの? 苦しいの?」
「それとも――嬉しかったかなぁー? 」
クフフッ、フハハハ!! ハヒャハハハ!!!
しまいには笑い出す。
色々なモノが欠けた発言。だから、ダンカンは剣を抜いた。
倫理から遠く離れた存在には最も相応しい回答だろうと。
殺したい相手を目にした時、これほど人と言うのは胸を焼くほど辛く身体が重くなる反面、驚く程に冴えわたった頭が敵を殺せと叫ぶものなのか。
彼は自分の中の殺意を否定する事は到底出来なかった。
声のする方向に目を向けると、怨敵は錆びたシャンデリアの上で鎮座していた。
「覚悟は良いな?」
その問いかけに、ソレは声に出さなくとも確かに笑っていた。
床に対する硬化魔法、自身に対する強化魔法、その二つを同時に息もつかずに行使させ、ダンカンは驚くべき跳躍力で敵と同じ目線まで迫り。
殺意を乗せて薙ぎ払う。
しかし、相手は腐っていても魔王。何でもないかのように黒い球体を突き出す動作だけで剣は不可視の壁に阻まれた。
刹那、空間がガラスの如くひび割れ、火花が散る。
(この感触、硬化魔法で空気を固めたか。)
ダンカンは只今、空の中。どんなに抗おうとも重力には勝てず墜落開始。
しかし、慌てず着地の瞬間に床を転げ回って落下の勢いを相殺。
落ち着いた所で次の手を出す。
左腕を構えて。
「これでも喰らえッ!!」
体が軋む程の膨大な魔力をガントレットに捻じ込んだ。
それはもう途轍もない出力だ。通常が百なら今のは八百、一歩間違えれば死にかねない横暴な魔力操作にて魔法を招く。
すると、魔導具の限界が出現する。
かつてない程の破壊力を持ち、自我でもあるのかジタバタとダンカンの意思を超えてのたうち回る暴風が。
そいつが顔を出した時から崩壊は齎された。
この怪物にダンカンは強く願う。果たして叶ったのか、壁、床、空間すらも無造作に喰い破り、破壊の音が天に轟く。
そして彼は目撃した。大暴れする大蛇の姿を。身動げば屋敷の二階を吹っ飛ばし、息を吐けば家具用具を粉微塵にしていく瞬間を。
しかし、それは実際に存在しない。心に住まう怪物であった。
いつの間にか風は止む。
壊れた物が地に落ちる。
「―――手応えはあった。」
その攻撃を終えた時、ダンカンの心は少しだけ満たされていた。
充分満足のいく破壊力だった。
だが、相手にとってはそうでもなかったらしい。
「それで次は?」
まるで無傷、屋敷だった瓦礫の上で魔王は悠然と立っていた。
月明かりに照らされて、道化を模した面を被り、表情を隠し、それでも笑っていると分かる仕草でダンカンを見下ろしている。
「捕まえるなんて贅沢は言わんぞ。魔王よ、必ず殺す。」
ダンカンが剣を構えたその先で、魔王は天に両手を広げて。
「チャールズは捕まえたくて私は殺すってね。利己主義に凝り固まった人間らしい判断だ! それでこそ人間だね! ビバ人間!! アハハハ!!」
感情を高ぶらせながらも一方で、冷静に言葉を走らせる。
「こんな楽しい事は久しぶり。でもでも残念、帰らなくっちゃ。」
魔王が惜しむように黒い球体を抱いた直後、黒い霧がフッと現れ、そのまま霧と共に消え去って行ってしまった。
こうなれば追う事は不可能。断念する他なし。
すぐさまダンカンは疲れた身体を引きずって、この場を離れることにした。ここにはもう何も残っていなかった。




