サイレン
僕が目覚めた朝、君がやってきた。
君は、僕にそっと歩み寄ってきて
「誰?」と聞いた。
僕は、「僕だよ。」と答えた。
「僕?僕って誰?」
「僕だよ。」
僕は、今度は自分の鼻のあたりを指さして答えた。
「そうじゃない。あなたは誰なの?」
君は、大きなくりりとした瞳で僕を見つめた。
「僕そのものが僕という人間なんだ。言葉にしたら、それはもう僕じゃなくなるんだよ。」
君は、意味が分からないというふうに、不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ聞くけど、君は誰?」
「私は…あれ?」
彼女は何かを言いかけて、でも、途端に忘れてしまったかのように、言葉を詰まらせた。
「…私は。」
「君は、誰?」
僕は、さっきよりもっと、大きな声できいた。
「…わからない。私は誰なんだろう。」
君は、今にも泣きだしそうな顔をした。
「泣きたいなら、泣いてごらん。きっと君になれるよ。」
僕がそういうと、君は、こらえていたものをいっぺんに吐き出すように、
大きな大きな声で、うぁんうぁんと泣き出した。
その泣き声は、まるでサイレンみたいな声だった。すごくすごく大きな声。
世界中を呑み込んでしまいそうな、大きな大きな声。
彼女が泣き始めてどれくらいが経っただろう。
何時間も、何日も、何年も、彼女は泣き続けた。
世界は、彼女の声があんまりうるさいものだから、すべての音を大きくするしかなかった。
僕は最初こそうるさく感じていたけれど、
そのうちに耳がおかしくなってしまったんだろう。
彼女の泣き声が、だんだんと小さくなっていって
最後にはまるで聞こえなくなった。
彼女に合わせて大きくなった世界の音も、慣れてしまえば「いつもの音」になった。
世界が、「いつもの世界」になっていく。
でも時々、本当に時々だけど、彼女を感じる。
耳の奥で、小さな小さなサイレンが聞こえるんだ。
それで思い出すんだ。「ああそうか。彼女はまだ、自分を探しているんだな。」って。
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