第53話「先入観」
急いで部屋に向かうと、確かに泣き声が聞こえてくる。
これは、クロネの声だ。
部屋に入ると、すぐにこちらに気づいたクロネが大泣きしながら走り寄ってきた。
「うわ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん、ア゛ヤドおに゛ぃぢゃあ゛あ゛あ゛あ゛ん!!!!!」
つぶらな黒い瞳は涙でいっぱいになっていて、溢れ出した涙がゆっくりと頬を伝っている。
「どうしたんだクロネ?」
「ミズクがっ……酷いこと……っ……言うんですっ……」
俺は、ミズクを見る。
「え、いやっ、その……」
ミズクは、困惑しているようだった。
「一旦落ち着こうか、それからゆっくり話してくれ」
俺は、クロネの背中をぽんぽんと優しく叩いて落ち着かせた。
クロネは俺の背中に手を回して、俺の服ににゴシゴシと涙やらを擦り付けて泣いているが、汚いとは思わない。
だって、俺になついてくれている証拠だもの。
それに、我々の業界ではご褒美ですから。
「お兄ちゃん……」
呼吸が落ち着いてきたところで、何があったか尋ねる。
「まず、お兄ちゃんにお願いされたことを聞いたんです——————」
◇◇◇◆◆◆
ハヤトが出かけたあと暫くして、クロネがミズクに声をかけた
「あの、ミズクさん」
「ミズクでいいの。クロネさんの方が先輩なの」
ミズクは自分の方が年上ではあるが毅然としてそう言った。
「え、じゃあわたしもクロネでいいです」
クロネの方は、誰かにさん付けされることに慣れていなかった故の言葉だ。
「分かったの。それで、どうしたの?」
「えっと、やっぱり人間のこと恨んでますか?」
クロネは話題を切り出した。
「……それはハヤトにぃに聞け、って言われたの?」
ミズクは暫く考えた後、そう言った。
「ふえぇ⁉︎ ち、違います!」
動揺するクロネ。
そして嘘はすぐに見破られた。
「やっぱりそうなの」
「その、ハヤトお兄ちゃんは、ミズクのことを心配して……」
観念して正直に話す。
「そんな主人がいるわけないの。ミズクは分かってるの。クロネが、あの人に懐いてるふりをしていること」
しかしミズクは経験からクロネの言葉を信じる気には慣れない。
奴隷になって一年。クロネより短いとはいえ、物心ついてからずっと奴隷商にいるクロネと、獣人の村で普通に育ったミズクでは、ミズクの方がよっぽど奴隷の扱いを客観的に理解していた。
「ふ、ふり?」
「なの。それか、そう振る舞うように命令されてるの」
奴隷が主人に親子同然に懐くなんてことは、普通に考えてあるはずがなかった。
親子みたいに見える、とハヤトに対して言ったのは、実際そう見えたのもあったが、ただのお世辞であった。
しかしクロネは、ふりをしているわけではない故、当然反論する。
「ち、違います! わたしはハヤトお兄ちゃんが好きなんですっ」
その反論をミズクは、告げ口を恐れてのものだと誤解した。
「ミズクの前までふりをする必要はないの。正直に言ってみるの。告げ口なんてしないの」
「ふりなんかじゃないです! お兄ちゃんは優しくてかっこいいんです! そしてあったかいんです! わたしはお兄ちゃんが大好きです!」
「本当に告げ口はしないの。いつもどんな命令をされてるの? 歯向かうつもりはないの。ただ覚悟がしたいの」
どんな命令でも命を取られないためにこなす。とにかく生き延びることがミズクの最優先事項だった。
そのためには主人の心境を良くすることが大切であることは、奴隷になった瞬間から分かっていた。
ミズクには命令に背くという選択肢はなく、彼女にとっては命令をいかに上手くこなすことか問題なのだ。
「どうして……どうじでしんじでぐれないんでずかあああああっ」
「え、ちょっと——」
目を赤くして涙ぐむクロネ。
ミズクはそれを見て困惑した。
「お兄゛ちゃんは、ほんどにやざじくて、怒らな゛いし、蹴゛らな゛いじ、いやな゛ごどじな゛いんでずっ!」
「いや、それが信じられな——」
「お゛ん゛どな゛ん゛でずっ! お゛ん゛どな゛ん゛だも゛ん゛っ!」
以上がことの顛末である。
◆◆◆◇◇◇
「そうか……」
結局人間に対する感情は聞けなかったようだが、それでクロネを責める気は毛頭無い。
「ミズク」
俺はクロネを抱いたままミズクの名を呼ぶ。
彼女はびくっとなった。
「人間を恨んでいるか?」
「村が魔物に襲われることはよくあることなの。恨んでも仕方ないの」
「家族に会いたくはないのか?」
「お父さんもお母さんも魔物に殺されたの。恨むなら魔物の方なの」
「そうか……」
殺伐とした生活を送っていたみたいだな。
しかしそれでも奴隷の生活よりはマシだろう。
「ミズクのその言葉を信じる。でも俺のことを信じろとは言わない。信じるか信じないかは俺の行動を見て判断してくれ」
「わ、分かったの」
それから暫く、ミズクはずっとびくびくしていた。
感想・ご意見・誤字脱字などなど随時受け付け中!
気軽に書き込んで行ってください!
できる限りコメント返します
ブックマークもお願いします!