愛の言葉を聞きたくて
愛されたくない訳じゃないわ。
出来れば愛して欲しい。
それは叶わないことなのかもしれないけれど。
ルイド・セヴァ・オルーフィア公爵には、愛する妻がいた。
それはもう仲睦まじく、夜会の場でも片時も離れず、お互い愛の言葉を耳元で囁いては二人で微笑みあい、声をかけるのも憚れたという。そんな愛する妻が突然の病にかかり亡くなったのが5年前。オルーフィア公爵は酷く憔悴し、荼毘に付されるまで片時も愛する妻から離れず泣き明かしたという。
ルイドとその妻の間には子供がおらず、ルイドは次の妻を迎える事となる。
それが、私セルシア・ウィム・レンシュ。
その頃私は結婚相手を誰にするか決めている所だった。
オルーフィア家には跡継ぎがいない。
後妻ではあるが名門の公爵家に嫁ぐ事ができる、と親が縁談を進め結婚する事になったのだ。
前妻が亡くなって5年経ち、そして私と結婚して2年が経つが、オルーフィアの屋敷の中は前妻の物が至るところに存在する。
それはまだオルーフィア公爵が未だ前の妻を愛しているという証拠。
現実、私には愛の言葉などを囁く事もない。
表向きでは夫婦を演じてはいるけれど、屋敷の中では殆ど話すこともない。
私とあくまで結婚したのは、公爵との間に子供を設ける事だけ。
夫婦の行為もそこに愛なんて存在しなかった。
ただ、子を生す為だけの、作業。
「オルーフィア様、申し訳ありません。今回も月のものがきてしまいました」
この言葉を言うのは何回目になるだろうか。
目の前に立つルイドの表情は複雑そうだ。
それもそのはず。私は子を生すだけの、その事さえ為し得ていないのだから。
彼は早く私との間に子供を設け、私との"作業"を終わらせたいと思っているはずだ。
私も愛されぬ男にただただ抱かれるのは苦痛である。出来れば愛して抱いて欲しいと思う。
「そうか。次回に期待しよう」
そう言うと、ルイドは先に寝台へ行き横になる。
私も後に続いて横になった。お互い背を向けて。
下半身が重く、ちりりと痛む。
月のものの痛みなのか、愛されない苦しみなのか分からない。
自然と涙が溢れ、ルイドに気付かれないように声を押し殺して泣いた。
朝起きると、既にルイドの姿はなかった。
重く不快な下半身をゆっくりと動かし、ルイドが寝ていた場所に身体を移動させ、ルイドの残り香を纏う。
そして私はまた目を瞑る。
もし、子を宿しその子が跡継ぎであったなら。
私はあの人を解放してあげよう。
それはルイドの為にもいいだろうし、私もこの苦しみから解放される。
妻の身代わりにすらなれない私は、子供さえ出来てしまったらもう用済みなのだから。
愛の存在しない夫婦の間で育つよりはその方が幸せだと思うから。
翌々月、ようやく私はルイドの子を身ごもった。
私は夜遅くに帰ってくるルイドを待ち、そして報告する。
「オルーフィア様、ようやく子を授かりました」
少しは喜んでくれるのか、と思ったが目の前のルイドの表情はあまり冴えない。
「・・・よくやった。これからはあまり無理をしないように」
その言葉だけを言うと、また先に寝台へと向かった。
・・・子を宿しても、あなたは何も思わないのね。
子を宿せば少しは愛情が湧くものだと思っていたのに、そんな淡い期待はすぐ打ち消されてしまった。
子が生まれるまではもう私に触れることもないだろう。
ただ、こうやって背を向けて過ごすだけの毎日。
言い表せぬ絶望と虚無感。
私はこの子がどうか男の子でありますように、と願う。
そうすればきっとお互い幸せになれるはず、と信じながら。
翌日から私とルイドの部屋は別々になった。
あくまでも母体を無理させないように、と言う理由で。
それは私がお願いした。少し困ったような表情を見せたルイドだったが、結局は了承してくれた。
ルイドがこれから寝る場所は、前の妻と愛し合った場所。
今でもそのままに残されている部屋。
そこでルイドは昔の幸せな日々を思い出しながら過ごすのか、と思うと心が張り裂けそうになるが、心も通っていない人と過ごす方がもっと辛い。
だからこれでいいんだ、と自分に言い聞かせた。
月日が経ちお腹が目立ち始めると、ルイドは寝室にやってきて毎日お腹を撫でてくるようになった。
どうやら私には愛情は生まれないようだけれど、子に愛情は生まれたようだ。
「元気に生まれてきてくれよ、私の愛しい子」
そう言って優しく私のお腹を撫でる。中の子もそれに反応して動く。
「動きましたわ、オルーフィア様。きっと嬉しいのですよ、その言葉が」
「そうか。それならば何度でも言ってやるぞ、私の愛しい子」
"愛しい"。
その言葉を私にも欲しい。
「・・・オルーフィア様、私のお願いを一つ、聞いていただけませんか?」
でも私には言ってくれないのだから、もう言ってもいいだろう。
「なんだ?」
「もし、生まれてくるこの子が跡継ぎであるのなら、私と離縁、していただけませんか?」
突然の言葉にルイドは驚いたようだ。目を見開き、そして厳しい表情になる。
「・・・なぜだ?」
「私がオルーフィア様と結婚したのは、跡継ぎを残す為でしょう?もしそれが実現したのなら、もう私は用済みでしょう?」
「子には両方の親が必要だ」
「・・・そこに愛はなくても?」
その言葉にルイドは押し黙る。
「オルーフィア様の心にずっと前の奥様がいることは、知っています。それ故私を愛せない事も。でも私も疲れました。愛される事のない生活、愛のない営み・・・。オルーフィア様も辛いのではないのですか?」
「・・・セルシア、違う。それは違う」
「いいえ、オルーフィア様は辛いはずです。亡き前の奥様にも似ても似つかない私と一緒になり、在りし日の姿を重ねようとしても出来ない。そんな私とこれから一緒にいても何もいい事などありませんわ」
精一杯の強がり。
そんなのはわかってる。
本当は一緒にいたいの。一緒に過ごしたいの。
ルイドは苦しそうな切なそうな歪んだ表情を浮かべている。
今まで見せたことのない顔。
拳を握り締め、少し震えている。
「・・・わかった」
それだけ言うと、ルイドは部屋を出て行った。
一人になった瞬間に、堰き止めていた防波堤が決壊するように涙が溢れ、零れ落ちる。
あの表情は一体なんだったのか。
私への哀れみ?それとも先に言われた悔しさ?
いずれにせよ、生まれる子次第でもう終わり。愛されないまま終わりなのよ。
それから3日経ち、私は産気付く。
繰り返される陣痛。声を押し殺しながら耐える。
「公爵婦人、もう少しですよ、もう少しで会えますよ!」
「はぁ、はぁ・・・。痛い、いた・・・いぃ・・・!」
出産にはルイドも立ち会っていた。私の手を固く握り、声をかけてくれた。
「がんばれ、私がついている。大丈夫だ!」
「んんんーーーー!!・・・ああ!!!」
最大の痛みと共にいきむと、ずるんと何かが抜け落ちる感触がして、そしてともなく泣き声が聞こえる。
「おめでとうございます!男の子でございます!!」
「良くやった!セルシア!!私は・・・」
ルイドが最後になんと言っていたのかよく覚えてはいない。ただ薄れゆく記憶の中で、それは夢なのか現実なのか、ただぼんやりとルイドの瞳から伝う涙を見たような気がする。
「セルシア、大分良くなったか?」
出産をしてから2週間がたった。思ったより出血が多く、2日ばかり意識が戻らない状態が続いたが、ようやく寝台から上半身だけは起きれるようになった。子供は専用の寝台でぐっすりと眠っている。
「ええ、お陰さまで・・・。お気遣いありがとうございます」
2週間ぶりに見るルイドの姿は少しやつれた様な気がした。
「・・・お疲れですか?」
「今まで私ですらセルシアに会う事が出来なかったんだ。心配で眠れない毎日だったよ」
そう言うと、少し笑顔を覗かせる。こんな笑顔を見たのはいつ振りだったかしら?
「それはそうと、君のお願いなんだが・・・」
・・・お願い。ああ、そうね。
もう跡継ぎを生んだんだもの。
これで私の役目も終わり。
ルイドとはお別れなのよね・・・。
「申し訳ないが、君の願いは叶えてやる事は出来ない」
「え・・・?」
意外な言葉に私は言葉を失った。
どうして?私の事を愛してないんでしょう?前の人を忘れられないんでしょう?
そんな気持ちのままこれからも続けていくというの・・・?
「君は勘違いをしている。確かにセルシアに私の気持ちを伝えたことがなかったし、君に対しての言葉も少なかった。でも、それには理由があるんだ」
「・・・理由?」
「私には前に妻がいた。それは仲が良かったし、忘れられなかったのも事実。でも、いつまでも縋り付いていた訳じゃない。時が過ぎていく程ゆっくりとその気持ちも薄れてゆく。そんな時にセルシアとの縁談が舞い込んだ。セルシアの事は夜会で見かける程度だったが、明るく振舞う姿が印象的でね、セルシアとならとこの縁談を了承したんだ」
ルイドは私の手を握りながら話を続ける。
「でも、結婚をしてから思った。前に1回結婚をしていた男と一緒になって、セルシアは良かったのだろうか、と。他に思う人がいたのではないか、と。セルシアは私に今まで愛の言葉を囁いてはくれなかったね?それが答えなんだろうと。だから私も言えなかった。それでもこのまま夫婦を続けていれば、いつかは言ってくれるだろう、とそれだけを望みに過ごしてきたんだ」
握る手が強くなり、震える。
「けれど、男が生まれたら別れろと君は言う。・・・絶望したよ。私はこんなに愛しているのに、君には全く伝わっていないし、むしろ終わらせたいと願っている事に。そして、こんな事ならもっと早くから自分の気持ちを伝えておくべきだったと後悔した」
愛している・・・?
私を・・・?
「もう遅いかもしれない。でも、お願いだ。私はセルシアを愛しているんだ、別れたくはない。ずっと傍にいてくれないか?今からでも私を愛してくれないか?お願いだ」
懇願するような瞳が映る。こんなに必死なルイドも見たことはない。
「わ・・・私は、ずっとオルーフィア様の事を愛していました。でも、この屋敷の中には前の人の物がそのままに残されていて、それはきっと忘れる事が出来ないのだからだろう・・・と」
「・・・ああ、そうか。セルシアは何も知らないんだ。君がこの屋敷に来たときにあったものは、少しずつ処分をしていったんだ。気付かなかったかい?」
そうだった・・・私・・・。
どうせあるものだと思い込んで、周りを見ようとしなかったわ。
いつも部屋から出る時は俯いて、周りを見ないで歩いてた。
「最後まで前の妻と使っていた寝室はそのままにしていたけど、君と寝室が別になった時にそこにあったものも全て処分したんだ。もう前の妻の事は過去の思い出だからね。昔の思い出に浸って寝るよりも、セルシアとの未来を思って寝る方が幸せだから」
「私はずっとあるものだと思い込んでいて・・・。それで・・・」
ルイドは少し困ったような笑顔を見せる。そして優しく頬を撫でる。その手から伝わる、愛。
「私達は言葉が少なくてすれ違っていたようだね。これからは何でも話そう。何回でも言おう。・・・愛しているセルシア。君の事を愛しているよ」
「オルーフィア様・・・」
「私の名前を呼んで。そして、セルシアからも聞かせて欲しい」
「・・・ルイド、・・・愛しています」
いたわる様に優しく私を抱きしめる。身体からはルイドの熱が伝わる。その熱は今まで伝えられなかった分だけの愛。
「セルシアも子供も、これから生まれてくるであろう子供も、全て幸せにしよう。私の愛しいセルシア」
瞳から頬を伝い流れる涙。
でもその涙は今までの悲しい涙じゃない。
それは幸せに満ちた愛の涙だ。