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李枝に唄うた天虎の噺  作者:
序章 虎風山のふもと
2/27

 春の匂いが色濃い。山脈に沿うようにして広がる平原では、背の低い草木が競って葉を伸ばしていた。

 山と平原の狭間には、異文化のひしめく華の町から忘れ去られたように、ひっそりと人里が佇んでいる。彼ら天虎族が生活を営むのはまさにその里だった。

 平原を歩きながら、ラウは遠くになった里をちらと窺う。残してきたユフェンが頬を膨らませているのが目に見えるようだ。何を言われても頑なに嫁取りを拒むのにはもちろん理由があったが、彼女に明かしてそんなことと一蹴されるのは癪だった。

 ため息をつきたい気分で考えごとをしていると、傍らに並んだふたりに尋ねられる。

「長、今日の目当ては?」

「野草だなんて言わないでよねー」

 民族衣装に身を包んだ少年たちだ。青年への変わり目を迎えようという体つきをしているが、顔にはまだ幼さが残る。

 片方がエン、片方がユン。皆には双子などと呼ばれているが血のつながりはない。ほんの偶然で同日に産まれた子供たちが、やはり偶然で韻を踏んだ名を与えられてしまったがために、双子扱いを受けているのだった。仲がいいのはもちろんであるが、その呼び名は本人たちにはいい迷惑であるようだ。

 彼らの問いにそうだなと呟き、ラウは平原に視線を向けた。

「兎狩りにするか」

「えー、また? この前も兎だったじゃない。もっと大物がいいよ」

「例えば?」

「狼とか、猪とかさあ」

「まだ肉に困っているわけじゃないだろう。兎でも十分すぎるぐらいだ……、と」

 血気盛んな彼らを押しとどめて立ち止まれば、ふたりもそれに倣う。ラウの瞳がすっと冷えた。そのまなざしは遠くの草むらをしかと見据えている。

 ざわり、と。動いたのは風のためではない。ならば、

「弓はあるな」

 囁きかけると、少年らの片割れが片手に抱えた長弓に矢をつがえた。びゅうんっ、と風を切って放たれた矢が目標からわずかに逸れた位置に突き立つ。草の陰から驚いた狐が飛び出した。もうひとりが肩をすくめる。

「へったくそ」

「うるさい、エンも似たようなもんだろ」

「ユンよりましですう」

「……うるさいぞ双子」

「まとめんな!」

「兄弟でもないよ!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎつつも、エンは短槍を握る。飛び跳ねるような軽やかさで野を駆け、狐の退路を絶つようにして回りこんだ。ふるった穂先は避けられるものの、方向転換したところを狙った二発目の矢が狐の腹に刺さる。

 たちまちエンが渋い顔をした。

「そうやっていいとこ取りだもんなあ!」

 振り返った視線の先で、ラウが弓の構えを解いていた。地団太を踏むエンの横を通り抜け、狐を頸から持ち上げる。

「動かない相手を射抜けないのも、槍を空振りするのも、鍛錬不足の証拠だ。これが欲しいなら、」言いながら彼は自らの髪をひとつにまとめた三つ編みを握る。「もっと強くならなきゃ駄目だな」

 髪を髪紐でくくっただけのふたりが、揃って唇を尖らせた。

 三つ編みは族長のしるしだ。単純な実力主義を取る天虎にとって、それはそのまま民族一の強者の証でもある。長い三つ編みはそのぶん持ち主が長年長の座に就いていることを示していた。

「見てろよ。次の長には俺が、絶対、なってやるんだからな」

「エンが族長なら、俺は補佐でいいかなあ」

「ばっかお前、ふたりで長になるんだろうが!」

「好きに言っているといい、悪いが俺が生きているうちは譲るつもりは無いぞ」

 腹立つー! と野次が飛ぶのももはや愛嬌だ。

 事実、今の天虎族に正面からラウと渡り合って勝ちを収められるような者は存在しない。弓術、剣術、棒術、武器を選ばず戦えるだけの経験も自信もあった。

 騒ぐ少年たちをいなし、ラウは狐を片手に踵を返した。もう狩りは終わりだ。彼らのような子供にとっても実戦の経験を積むことは確かに大切だが、より大切なのは節度を学ぶことだ。野の生物を駆り尽くしてしまえば精霊の怒りを買う。

「帰るぞ、エン、ユン」

 眺めやる空の彼方には暗雲が浮かんでいる。やがて一雨来るだろう。その前に帰らねば濡れ鼠になる。何より恐ろしいのは、服を濡らして帰ってユフェンの小言を食らうことだった。

 胸の奥を重くしながら帰路を急ぐ。半ばまで歩いたあたりで、ラウは首をひねった。

 煙の臭いだ。

 木々を用いて家屋を立てる天虎の村において、安易に大きな火を焚くことは禁じられている。必要があれば族長が許可を下した上で、大勢の監視のもとで火が起こされる決まりとなっていた。しかし、今日に入ってから火を焚くなどという連絡を受けた記憶はラウにはない。

「……小火ぼやか?」

 いや、と思い直す。ここまで煙が届いているのだ、明らかに小火の範囲を超えている。

 村に何かが起きている。思い至ったるや否や、ラウは立ち止まった。きょとんと自分を見上げる少年たちの肩に手を置いて、いいか、と語りかける。

「俺は先に行く。お前たちはゆっくり、歩いて帰って来い。いいな」

「なに、どういうことだよ」

「ちゃんと説明……、っ」

 彼らの肩を握った手に力を込める。それは無言の訴えだった。「いいな」と繰り返すと、ユンが唇を噛んでうなずいた。

 片方が了解すれば十分だ。エンは直情型だが、一人だけで先走ることはしない。それに加え子供のうちでも察しのいいユンのことだから、すぐに煙の香りに気付いて村の有事を直感するだろう。そうしてふたりは互いを補ってきたのだ。

「拗ねるな、エン。あとで稽古をしてやるから」

 頭をくしゃりとやった手は跳ねのけられた。苦笑して、今度こそ走り出す。風を切る自分は獣のようだと思っていた。平原を抜け、息を乱すこともなく集落にたどり着く。

 赤々と燃える炎が家を舐めていた。村に残った男たちが水を浴びせかけているが、それでも鎮火には及ばない。山から流れこんできた風が火の燃え移る勢いを増しているのだ。その上、働き手の若者たちが運悪く村を離れているとあっては。

「長!」

 呼ばれてふり返る。両手に桶を抱えた男が必死な形相をしていた。

「何があった?」

「誰かが家に火をつけたんだ! 女子供は逃がしたが、消火の手がちっとも足りねえ!」

 手違いにしては火の回りが早すぎる。報告を受けて納得するが、肝心の犯人の姿は見えない。見つけて罰するのは簡単だが、その前にすることがある。

「女子供に男衆をつけろ。何が起こるかわからない。それから、早馬に乗れる奴を二人選んでイェンロンを呼びに行け」

「それじゃあ火は!」

「燃え移りの少ない場所だけを守れ。この状態じゃ無傷は無理だ」

 くそ、と男が毒づいた。しかし行動は早い。伝令を伝えるべく人を呼び集め、端から指示を出していく。その様子を見やってから、ラウは集落の中心部を駆け抜ける。炎に呑まれた柱が一本、また一本と倒れていくのを悲痛な目で見下ろした。

 誰かが他人の私怨を買うようなことをしたとして、火がつけられるならその一軒で十分だった。しかし犯人は村そのものに牙を剥いた。それも族長であるラウの留守を狙って、だ。それが意図的であるにせよないにせよ、騒動を起こすのが目的なら次に狙われるのは弱者に違いない。

 遠くから悲鳴が上がる。遅かったかと歯がみした。

「ユフェン、ばば様!」

 ラウは叫んで足を止める。

 彼女たちが退避していたのは、村の風上に位置する山裾だった。ラウの姿を認めた子供たちから、長、と今にも泣き出しそうな声が上がる。女性と子供が距離を取る、その中央で、一人の男が老婆に短刀を突きつけていた。

「……お前が天虎の族長だな?」

 ああ、と答える。

 進み出たラウを押しとどめるように、男は短刀を老婆に押し付けた。乾いた首元に刃が浅く沈み、裂ける。血の滴が伝うのを目にして、誰かが息を飲んだ。

 男はラウの頭から足までを眺め、最後にその瞳――金色に輝くそれに目をやってうなずく。

「天虎の瞳は金だと聞いていたが、どうやらそれは長だけらしいな」

「この瞳に用があるなら、相手は俺で十分だろう。刃を除けろ」

「生憎だが、俺も天虎の男と渡り合って無事で済むとは思わないのでな」

 開いた片手で男が指笛を鳴らす。

 ひっ、と女が悲鳴を上げた。茂みに潜んでいた十に及ぶ数の男が姿を現し、女たちを取り囲んだのだ。彼らの手には一様に短刀が握られており、その刃先も鋭く研がれている。ラウが動けばその瞬間に老婆が、数秒後には女たちが皆殺しにされるだろう。

 ラウは男をきつく睨みつける。対称的に彼は酷薄げに笑い、肩をすくめた。

「我が主は金の瞳をご所望だ。ご同行願おうか」

 男の一人から武骨な手枷と足枷が投げられた。足元に落ちたそれを拾うよう、視線で訴えかけられる。

 それまで黙っていた老婆が、しわの寄った目元を眇めて首を振った。

「ならぬぞ、ラウ」

「ちっ、ババアは黙ってろ」

 わき腹に男の足蹴を受け、老婆の喉からくぐもった声が漏れる。しかし彼女はなおも口を開いた。

「……老い先短い私を救うて何になる。ラウ、お前ならこの程度の人数、屁でもないだろうが」

 刃が沈んだ。じっとりと血に濡れた刃を見せつけるように、男が短刀を握り直す。女のうちには鮮血に気を遠くする者があり、子供のうちには漏れる泣き声を噛み殺した者があった。

 彼と老婆、ラウのまなざしが一瞬のみ交錯し、離れる。最初に息をついたのはラウだった。足元に落ちた足枷を通し、次に手枷を腕にはめると膝を使って固定する。「ラウ!」と叫んだ老婆の後頭部が短刀の柄で殴られ、息を詰まらせて彼女は気を失った。

 男が次に呼び寄せたのはそれまで木陰に隠れていた馬車だ。しばらくして、それはラウの立つ場所のすぐ横に付けられる。狭い車内に目を向けてラウは首を振った。

「……乗る前に、ひとつ頼みがある」

「ものに依るな」

「俺の髪を切り落としてくれ」

 首を傾けて三つ編みを見せる。

 男は最初こそ訝しげにそれを眺めていたが、害はないと判断したのだろう、血のこびりついた短刀で根元から斬り落とす。漏れた悲鳴を、ラウは遠くに聞いた気がした。

 男は髪の束を放り捨て、鼻で笑う。

「男のくせに三つ編みか。いい趣味だな」

「……そうだろうな、お前たちには到底理解できないだろうさ」

 入れ、と言われるままに馬車へ乗りこむ。馬がいななき、安物の馬車は大きく揺れながら走り出した。

 目だけで外を見る。長、と追いすがる女たちに危害が加えられないことだけが救いだった。短刀を収めた男たちが村を離れるのを見て息をつく。

 イェンロンら男衆が集落に到着するまでには、この馬車は足取りも追えないほどに遠くなっていることだろう。まずは怪我人の処置、それから村の建て直し。連れ去られた男に目を向けるのはそれからでいい、とラウは考えていた。三つ編みが落とされるところを見た者は多いのだから、長の座は間もなくイェンロンに回されるだろう、とも。彼が合理的なものの考え方をする男であることをラウはよく知っていた。

 さて、と車の中を眺める。同乗者は先の男が一人だ。外装を見る限り華の者の所有する車であったが、どの紋に属するものかまではラウにも見当がつかないでいた。

 我が主、と男は言った。金の瞳を求めるほどの力と財力、そして享楽の持ち主だ。とはいえ確信が持てるわけでもない。考えるだけ無駄だ。

 慣れない馬車が腰に痛みを与えてくる。はてさて体が使い物にならなくなる前に辿りついてくれるだろうか、とラウは馬車の窓の外を眺めていた。


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