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李枝に唄うた天虎の噺  作者:
四章 霧纏う
19/27

 ユフェンが巫女の役を継いだ日を境に、家からは彼女の荷物が徐々に減っていくようになった。

 彩香の寝泊りしていたその家も、もとはといえばユフェンの祖母、すなわち先代の巫女である老婆のものである。彼女が巫女の家で寝食を行うようになってからは、実の孫であるユフェンと老婆に拾われたラウがふたりで暮らしていたのだ。そこに彩香が転がり込み、今度はユフェンが出ていくとあって、荷物の出入りはせわしないものとなっていた。

 彩香のために残されるもの、ユフェンが持っていくものの移動に加え、老婆の荷物が両家に割り振られる。その配分はもっぱら女性二人が行っていた。家から追い出される体になったラウは怨みがましい目をしていたが、それが堪えるようなユフェンではないのだった。

「料理のほうはいかがです?」

「ええ、ある程度は大丈夫だと思う。不安になったらあなたを伺ってもいいかしら」

「もちろん。教えがいのある生徒で嬉しかったですよ」

 同じことを苑にも言われていた。くすくすと笑いあいながら、衣の包みを玄関口へ運んでいく。

 彩香が天虎の里に暮らし始めて、もう二ヶ月が経とうとしている。不慣れだった料理の手つきも、毎日のようにユフェンを手伝っていれば次第に安定していくものだった。裁縫にも同じことが言える。そうした細々とした仕事は、どうやら彩香の性に合っているようだった。

「畑の方はお隣に伺えば教えて頂けるでしょうし、あとは……」

 頬に手をやって考えこんだユフェンをよそに、彩香は残された棚を端から開いて調べていた。あらかた包んでまとめてしまったが、忘れ物があっては困る。居間の奥の抽斗を引いたとき、奥に小箱が入っているのに気が付いて手に取った。

「ユフェン、これは?」

「それはラウのものです。残しておいて平気ですよ」

 そう、と引き下がって同じ場所に戻す。大切そうに仕舞われていたので気にかかった。棚を全て検分し終えてからそれをユフェンに尋ねると、彼女は「私も深くは知らないんです」と笑う。

「ただ、たいそう大事なもののようですよ。十年以上前からそこにあるはずですけれど、埃が積もっていないでしょう」

 彩香はすぐにうなずく。木でつくられた小箱は、触れても滑らかな触感を返すのみだった。同じ場所に残っていた小物と比べればその気の配りようも一目瞭然だ。

「十年以上前、というと」

「確か、あれが十二の頃ですね。誰にも何も言わず、里から姿をくらましたんです」

 初耳だ。ユフェンの前に腰を下ろして話を聞く体勢を取ると、彼女も荷物を包む手を止めた。

「ラウがばば様に拾われたことは?」

「ええ、本人から」

「……ではきっと、あれが周りから排斥されていたこともご存知でしょうね。子供たちは得てして余所者には残酷なものです」言ってから、首を振って自分の言葉を打ち消す。「いえ、大人もまたそうだったのでしょう。あれが突然里から姿を消したのに、誰も気付きはしなかったのですから」

 懐かしそうにユフェンは語る。彼女の話すところによると、初めに異変に気付いたのは、当時も変わらず彼の目付け役を担っていた彼女自身であったらしい。祖母に彼の失踪を伝えても放っておくように諭されるだけで、天虎の子供たちも心当たりはないと言い張ったという。

「帰ってきたのが三日後です。もともと傷だらけだった体をぼろぼろにして、その代わりに何かを大事そうに抱えていました。おそらくは、それが小箱の中に。その日からのラウには危機迫るものがありました」

 他人に怯え、ユフェンの影に隠れてばかりだった少年は、必死に鍛錬に励むようになった。剣を、弓を、槍を、と得物を携えては、朝から夜までひたすらに技術を磨いていたという。一年で同い年ほどの少年たちの技量を凌駕し、もう二年も経てば大人の男を相手取っても遜色ない実力を備えるようになった。

「その結晶が今のラウ――正しくは、華に行く前のラウ、ですね。天虎の者の中には、あれに敵う者はおりません。それなのにあれは、いつまでも嫁取りもせずに華学だの狩りだのと」

 ぶつくさと呟く。年下のユフェンを指して姉のようなものだと呼ばわったラウの姿が思い起こされ、彩香は笑いを漏らしそうになった口を抑えた。言うだけ言って気が済んだのか、ユフェンは肩をすくめ、彩香に首を傾けてみせる。

「ラウもあれで長でしたから、女人からは引く手数多だったのですけれど。早く嫁を取れと言ってものらりくらりとかわされるばかりで。私がこのまま巫女を継いであれが一人で暮らそうものなら、と思っていたのですが……ふふ、彩香を娶るのでしたら安心です」

「そう、かしら」

「ええ」

 ユフェンにお墨付きをもらえば少しは安心できるものの、まだ天虎の暮らしに慣れない部分は多い。妻となるのであればなおのことだ。悶々と考えこんでいたが、気恥ずかしくなって下を向いた。老婆の喪は開けたが、ユフェンの引き継ぎの騒動もあり、まだ婚儀は行われていないのだ。

 そんな彩香の胸中を見透かしてか、ユフェンは口元に手をやって目を細めた。

「婚儀の衣装はもう完成しておりますよ。あとは本人たちの意志だけです」

「……それでも、ね。ほら、まだ里の建て直しだとか」

「あら、何を仰います。もうほとんど元通りのようなものですよ。今も男衆が集まるのは、ああして騒ぎたいだけです」

 彩香は渋い顔をする。昼間からがやがやと集って復興祝いにと酒盛りをしているのは知っていた。焼き払われた家々は新たに組み直され、住む場所を失っていた者たちも元の家を取り戻している。

 木製の家であるぶん、火に弱く脆いが組み直すのに労力は要らない。屈強で小器用な男たちが集うのだからなおさらだ。

「彩香、あなたの言葉があれば、あれも二つ返事で了承しますから」

「う……」

 否定はできない、のである。想像できてしまう自分が無性に恥ずかしくなって、彩香は大きく首を振った。

「そ、そんなことを言って! ユフェンだってまだお相手を見つけていないでしょう?」

「あら。私なら、とうに」

「ええっ!?」

 すっとんきょうな声が出た。彩香は慌てて口を抑えるが、驚きは抜けないままだ。思わず視線を泳がせて、ずいとユフェンに顔を寄せる。意図もしないのに声はひそめられた。

「だ、誰なの」

 含むような笑顔が返される。答える気のない顔だと確信して、彩香は代わりに頭を回す。

「私の知っている方?」

「ええ、きっと」

 答えは曖昧だが、彩香の知る相手に絞ったところでその人数が限られるわけでもない。二月も里に留まっていれば多くの相手と顔見知りになるもので、まだ妻を迎えていない相手などいくらでも思い浮かぶのである。

 頭を抱えた彩香をほほえましいものでも見るように眺めていたユフェンが、ふいに声を上げる。つられて顔を上げた彩香は、彼女の視線の先を見て息を止めた。

「……あれ、は」

 窓の外が、赤い。

 正確には、赤い煙だ。粉塵を纏い、霧のように里を覆い尽くしている。逢魔が時よりいっそう禍々しさを感じさせる血に似た赤に、彩香はよろよろと立ちあがった。様子を見ようと窓に手を伸ばしたユフェンに気が付いてはっとする。

「開けないで!!」

 手を震わせたユフェンが動きを止める。彼女は不安げに手を胸元に寄せた。急ぎ他の窓が開いていないことを確認した彩香は、ユフェンが寄った窓にこびりついた粉末を睨みつける。

 見たことのある色だ。火で焚き、風に乗せて特定の範囲に蔓延させる薬の類。強烈な印象が頭にあって、思い起こすことは容易だった。

「多分、痺れ薬だわ。致死性はないけれど、鼻と口から入り込んで、体の自由を奪うの。……放っておいても数ヶ月は痺れの残る強力なもの」

 天虎の者が用いるような薬ではない。彩香の脳裏に思い浮かぶのは、風吹く里ではなく囲われた屋敷の風景だ。自分に薬の名を教え、その毒性を滔々と語った父親の姿。真っ赤な粉塵を、あのとき彩香は確かに目にしていた。

「今は外に出ちゃいけない。煙が流れれば吸い込む心配もなくなるから、それまでは」

「彩香、ですが」

 ユフェンが焦りを浮かべて窓の外を見る理由には心当たりがある。昨日と同じように家を出たラウ、そして彼と共に外に出ていったであろう天虎たち。彼らは彩香のように煙の危険性に気付く者ばかりではない。

 一息でも吸い込めば、薬はたちどころに体を蝕む。薬の扱いに長ける朝妻の者が天虎の里にそれほどの悪意を振りまく目的は、想像せずとも明らかだった。

 ――彩香だ。

 彼らは、朝妻の娘を狙っている。

「……今になって、何を」

 どこまでも身勝手だ。二ヶ月もの間娘を放逐しておいて、必要になれば手段も顧みずに取り戻そうとするなどと。

 逡巡に答えを待つまでもない。彩香は床に放られたままの布を掴み取ると、鼻と口を覆うように何重にも巻きつけた。息ができることを確認してうなずく。害を及ぼすのはあくまでも粉塵だ、それを呼吸器に取り込まなければ痺れは起こらない。

「彩香……」

「ユフェンはここにいてちょうだい。騒ぎが済んだあとに看病をする人が必要だから」

 ユフェンが目を瞠る。しかし彩香を止めるには、彼女はあまりにも薬に無知であった。

 窓は完全に閉めておくこと、なにがあっても家の外に出ないこと。そして赤い霧が完全に消えるのを待つことを言いつけて、彩香は玄関の戸に手をかける。自らに勢いをつけ、外へと飛び出した。

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