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李枝に唄うた天虎の噺  作者:
三章 風吹く里
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 彼女なりに気を利かせたのか、ユフェンは来客の存在を告げたきり早々に家を出ていった。

 絨毯の敷かれた居間にラウが顔を見せると、少年たちは揃って目を伏せる。どうやらイェンロンにはこってり絞られたらしいと察してどっかりと腰を下ろした。ならばこれ以上追い打ちをかける必要はないだろう。そもそもラウには、ふたりを叱りつけるつもりなど毛頭なかったのだ。

「……それで?」

 声をかけると彼らは唇を噛みしめる。

 そのままだんまりを決め込むかに思われたが、ユンが怯えるようにしながら顔を上げた。

「迷惑を、かけて。ごめんなさい」

「迷惑、迷惑か、なるほど」

 割り込むように言うとユンは委縮する。その風体には哀れを誘うものがあったが、ラウは声を和らげることはしない。

「それは何を指して言っているんだ? 彩香の授業に出なかったことか、二人だけで森に入って周囲に心配をかけたことか。ユン、お前がエンを止められなかったことか。それともエン、お前が他人をも危険にさらしたことか?」

「……全部、です」

 なるほど、とラウは胸中で呟いた。

 イェンロンには叱られるだけ叱られたのだ。少年たちの非を列挙し、それがどれだけ軽率であったことかを端からきつく非難したに違いない。彼の怒声は大人でもびくりとするほどに鋭く響くものだから、蛮行に走った子供たちを意気消沈させるには十分だろう。しかしそれでは足りないと知って、彼はラウのもとへ二人を遣わしたのだ。

 子供たちからは深く落ち込む様子がうかがえる。だが頭ごなしにきつく叱られるばかりで、そうされる理由の理解にまで彼らが達していないのは一目見れば分かった。一時ばかりの反省にあぐらをかいて放っておけば、いつかはまた同じことをくり返すだろう。

 どう言い聞かせるべきかとラウが考えこんだところで、エンはふいに顔を背けた。

「俺が悪いんだろ。ユンは俺に付き合わされただけだ。関係ない」

「エン、おまえっ」

 言い争いになりかけた二人を「やめろ」と制し、ラウは息をつく。

「……よくわかった、かばい合いもいらない。話を聞け」

 心の中で隣室の彩香に詫びて、ラウは右腕の包帯を解く。皮膚からこぼれた肉に布が擦れ、すぐに頭を揺らすような激痛が戻ってきた。血はすでに止まっていたが、治癒が始まるにはまだ早すぎるのだろう。一月経ってやっと塞がり始めるかどうかという怪我だ。

 露わになった傷口に子供たちが怯える。「目を逸らすな」と一喝した。

「エン、ユン。お前たちのために傷つく者が出た。もちろんお前たちにも何かしらの理由があったんだろう。それがどれだけ考えなしの理屈であったとしても、天虎の男が決めたことなら俺は咎めない」

 だが、と言葉をおいて、揺れる二人の目を交互に見た。

「この怪我からは決して目を背けるな。……そして忘れるな、自分たちの行動がどんな結果をもたらしたかを。それでも遂げたい理由があるのなら、何度でもくり返せばいい」

 ユンはゆるゆると視線を落とし、エンはぐっと歯を食いしばった。

 長く続いた沈黙を持て余し、ラウは再び包帯を巻き直す。不格好ながらも元の通りに似せて結びつけたところで、それを睨みつけていたエンが口を開いた。

「……なんで、ラウは、長をイェンロンに任せておくんだよ」

「エン、やめなよ」

 弾かれたように諌める声が上がった。エンは服の裾を掴んだ友人の手を振りほどく。

「おかしいだろ、もうラウは帰ってきたんじゃないか。それならまたラウが長になるべきだ。いつまで他の奴に預けておくんだよ」一度間をおいて、ラウが何も言わないのを確認する。「みんなそう思ってる。あんたとイェンロンのことを思って口に出さないだけだ。でも、俺は聞き分けのいい大人になんかなりたくない」

「……イェンロンが長では不満か」

「そうじゃないんだよ!!」

 叫んで、エンは身を震わせる。痛みをこらえるように顔を歪ませる姿は、彼の中にふつふつと沸く遣りようのない苛立ちを察しさせるには十分だった。違うんだよ、と細い声でくり返してから数秒、エンはおもむろに立ちあがって家を出ていった。

 ユンはその背中とラウとに視線を走らせる。とっさに友人の後を追いかけようとしたが、開かれた戸に手をかけた段階でふり返った。

「言い訳に、なるけど。……あいつも、俺も、自分たちのしたことぐらいちゃんと分かってるんだ。それでも方法が思いつかなかった。ラウが長にならないのに納得いかないのは、エンだけじゃないんだよ」

 一礼して背を向ける。その足音が遠くなるのを待って、ラウは深く長いため息をついた。

 しばらくして、引き戸を開いた彩香が居間に姿を現す。話にだけは耳を傾けていたのか、その顔つきは険しかった。真一文字に口をつぐんだままでラウの隣に並び、ほどけかけている右手の包帯を整える。きちんと結び目を作り上げてから拳ひとつ分だけ身を引いた。

「あなたが長に戻らないのは、里のみんなを混乱させないためだと思っていたのだけれど」

 違うのねと断定される。

 一瞥してそれとわかるほど、ラウの表情もまた厳しくなっていたらしい。思うような言葉を思い浮かべることができないまま、彼は少年たちの出ていった方へと顔を向けた。

「周りにはそう見せているつもりだったが、な。どうにも子供たちには悟られてしまうらしい」

 イェンロンは立派な男だ。ラウより歳を重ねているぶん経験も積んでいる。長として不足のない人物であることを、誰もが認めている。だが天虎の里に自分が戻れば自然、再び長の交代をと考える者の現れることを、理解していないラウではなかった。

 武の実力がものを言う天虎の里では、単純に強い者こそが長となる。片腕の使えない今ならまだしも、不備のないままで戦えばイェンロンを下す自信もあった。

 しかしその優劣を曖昧にしたまま、ラウは長を避けていた。

 イェンロンは何も言わない。周囲には彩香のように里の平穏を保つためだと納得する者と、エンの言ったようにあえて口にすることを避けた者とがいる。それでも敏感な少年たちには勘付かれ、表にまで引っ張り出されてしまった。

「俺が長になったのは、ここに居場所を見出すためだったんだ。天虎として受け入れられた今、もう長である必要はないと思ってしまった、だから」

 彩香は眉をひそめ、不可解そうな顔をしている。当然だとラウは苦笑した。過去の自分が抱えていた思いなど、彼女どころか天虎のものにも明かしていない。

 話そうか、話すまいか。ラウは逡巡する。ここで口を閉ざしたところで、いずれは伝えねばならなくなるのだろう。

「……俺は天虎ではなかった。ずっと昔、ばば様に拾われた捨て子だ」

 彩香が目を丸くする。思えば彼女の置かれた状況は、かつての自分と同じだった。

 記憶にあるのは山と、月と、獣。そして己の手を引いた老婆の姿。かろうじて襤褸切れで身を覆っていただけの子供の目を見て、感嘆とも悲嘆とも取れぬくぐもった声を漏らした、老いた天虎の巫女の相貌だ。

「俺は、」

「――ラウ!!」

 過去への憧憬に浸りかけたラウを、誰かの声が呼び戻す。つられるようにして彩香を見たが、彼女もまた同様に困惑の表情を浮かべていた。騒がしく廊下を踏む音が耳朶を叩き、先ほど閉められたばかりの戸が勢い良く開かれる。必死の形相で居間に転がり込んだユンは、先ほど出ていったときから態度を一変させていた。

 両手を震わせ、息を荒げて。

 ラウの元へと届けられるそれは、もはや伝言の体すら為してはいない。

「ばば様が……ばば様が、倒れて……!」

 うわごとのようなそれを耳にした瞬間、ラウはユンを突きとばすようにして家を飛び出していた。

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