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李枝に唄うた天虎の噺  作者:
三章 風吹く里
14/27

 子供たちを集めた教室は、ほどなく開講の日を迎えた。

 現族長であるイェンロンにラウが口利きをしたためだろう、指定された日付、場所には、天虎の子供たちが続々と姿を現した。誰も彼もが小ぶりの筆と硯を手にしている。里にはペンの類が存在しなかったため、代わりとして持ってくるように彩香が指示したのだ。苑師に手を習っておいてよかったと息をついた理由である。

 教室として開放されたのは、火災で屋根を失った家だった。焼けた家具のうち主としたものは天虎の若者が取り払ったが、依然として煤ぼこりにまみれていたそこを掃き清めたのは彩香自身だ。その床には今、十を少し超える数の子供たちが尻をついている。

 事前に聞いた子供の数は十六。実際に集まったのは十四。空いた席に座るはずだった二人の名は、ラウからすでに聞いていた。

 ともあれ、集まった子供たちの誠意を無碍にするわけにはいかない。頃合いを図ってぱちんと手を叩くと、彼らの眼差しが一斉に彩香に向けられた。

「今日からあなたたちにお勉強を教えることになりました。彩香です。みんな、筆は持ってきてくれたかしら?」

 ばらばらと、大小様々な腕によって、筆が高く掲げられる。下は七歳、上は十六歳の子供たちだ。欠席した二人がその十六歳にあたるため、実質この教室での最年長者は十四歳の少女であった。

「まずはあなたたちの名前を教えてもらいます。それから自分とお友だちの名前を書けるようにしましょう。今日はそれで終わり。さあ、自己紹介よ」

 窓際のあなたから。まずは目を大きく見開いた少年を指して、順に自己紹介をさせていく。顔と名前を焼きつけるように自分の口でもくり返し、全員の名を聞いたところで、ふと気付いたふりを装って空いた席に目を向けた。

「そこに座るはずの二人が来ていないの。誰か知っている人はいない?」

 子供たちは顔を見合わせる。それからあけすけに唇を尖らせた。

「たぶんエンとユンだよ」

「またあいつらかよー」

「双子、狩りにでも行ったんじゃないの」

「剣の特訓とか?」

「そんなタマじゃないだろ」

 次々に飛び交う不満は、どれもここにいない少年たちに向けられるものだ。嫌われているとまではいかないまでも、こうして集合を強制される際には姿を現さないのが常であるらしい。なるほど思春期の少年らしいことだと彩香は心中で考えながら、なんでもないような顔をしてみせた。

「それじゃあ、今日は二人を抜きにして頑張りましょう。墨と紙を配るけれど、まだ手をつけないでね」

 滞りなく華の文字の綴りを教え、その日の教室を予定通りお開きにする。幼い子供たちは大きく手を振り、年上の子供たちは一礼と共に教室となった家を出ていく。彩香は先生と呼ばれたことに浮足立つ気持ちを抑えつけて彼らを見送った。

 全員の姿が見えなくなったところで教室の片付けを始める。生徒の名前が記された紙の束をひとまとめにしながら、そこに無い名前を呟いた。

「エンとユン、ね」

 誰もがまとめて双子という呼び名を使うけれど、実際は血縁関係にすらないという。

 しかし仲がいいというのは確かなことで、外に出るときは二人一組で行動することが多いらしい。生意気盛りの子供たちだと肩をすくめたのはラウだ。彩香が華学を教えるにあたって、最も苦戦するのが彼らであろう、と。

 一週間も続けていればひょっこり顔を出すのではないかとも考えていたが、そうも上手くはいかなかった。

 どれだけ授業を重ねても、彼らは一度として教室に姿を見せなかったのだ。村を歩くついでに探してみてもそれらしき影は見つからない。彼らを抜きにして続けていた授業も、その頃には遅れを取り戻すのが難しい段階に入っていた。

「……はあ」

 生徒がいなくなった教室に残って、彩香は深いため息をつく。ぽっかりと空いた天井からは朱に染まった夕空が見える。視界の端にはうっすらと月が昇りかけていた。

 どうにかして二人の少年たちを出席させなければと気は急くものの、顔を合わせることもできない日々が続いている。それぞれの家を訪ねて行っても留守を伝えられるばかりだった。

 ぐるぐると考え事をしていたとき、誰もいない教室に足音を聞く。

 がっしりとした体格の青年が入ってきていたのだ。歳は三十を越えたところだろう、黒い瞳には思慮深さが見て取れた。

「すまないな、先生。邪魔するぞ」

「いえ、どうぞ。あなたは?」

「イェンロンだ、よろしく頼む」

 彼の黒髪が三つ編みにされているのに気付き、彩香は小さく声を上げた。非礼を詫びると笑って首を振られる。

 ――天虎の里の新たな族長だ。直接顔を合わせるのは初めてのことだった。

 ラウを仲介に里への伝言を頼むばかりで、彼本人に用があって家を訪問することはしなかったのだ。その後は少年たちのことで頭を悩ませていたので、彼へ礼を言いにいくことも忘れてしまっていた。失礼を重ねていたことを自覚してもう一度頭を下げる。

「子供たちを集めて下さって、本当にありがとうございます。本来ならすぐに挨拶に伺うべきだったのですけれど」

「ああ、いや、構わんさ。あのラウの頼みだ、俺も断れん」

 ラウが長の証を捨てた後、イェンロンが族長に選ばれることに悶着はなかったという。その実力、思慮深さ、人望、どれも長たるに相応しいものであったのだ。裏を返せば、その彼を差しおいて長の座に居座るだけの実力を、ラウが有していたということにもなるだろう。

 イェンロンはぐるりと教室を見回し、それから頭上を見て険しい顔をした。

「こんな屋根のない家しかなくて悪いな。不便はないか」

「いいえ、なにも。子供たちも素直な子ばかりで、苦労はありません」

「その割には浮かない顔をしていたが」

 気取られていたのだ。不用意にため息をこぼしていたことを思い出して口に手をやる。

 エンとユンのことを相談すべきか逡巡したところで、イェンロンが肩をすくめた。

「双子、か?」

「……わかりますか」

「なに、俺も最近奴らとひと悶着あったんだ」

 彩香が首を傾げると、彼は頬を掻いた。

「自分が長になってやると言って突っかかってきてな。口に出したのはエンの方だが、ユンも止めはしなかった。いつものことではあるが、あのときは随分危機迫った顔をしていたものだから、少々心配になってな」

 その後、彼らはぱったりとイェンロンの前に姿を現さなくなったという。訓練や狩りに出ている様子もなく、ただ二人でどこかへ出かけているらしいというのが彼の耳にした噂であった。

「行き先は草原でも山でもないらしい。となると山際の森ぐらいしかないんだが、あそこは最近物騒だからな」

「物騒、というと?」

「虎が出ると言うんだ。……いや、伝説とは関係ないぞ、普通の虎だ。姿を見た奴が何人もいる。今のところ里に実害は出ていないし、こちらから手を出さない限りはなにもしないと信じたいが」

 そのとき彩香とイェンロンが考えたことは、村に留まらなくなった少年たちのことだった。

 天虎の者たちが恐れる虎を打ち倒せば、それはそのまま強者たる証になるだろう。長になると言い放った彼らが虎に目をつけたとすれば、蛮勇に及ぶことも考えられる。

「……明日、二人のお家をもう一度伺ってみます」

「そうしてくれると助かる。手のかかる子供ですまないな」

「いいえ。……きっとなにか理由があるんです」

 ただの反抗心で危険を冒すようなことはしないだろう。イェンロンを敵視し、彩香を避けるだけであればまだしも、もし森に入り浸っているようであればそれなりの動機があるのだ。十六歳ともなれば無謀さを理解できない歳ではない。

 その理由も本人の口から聞きだす必要がある。息巻く彩香に対し、イェンロンはその顔に影を落とした。

「理由、か。想像がつかないでもないがな」

「え?」

 彩香の追及を逃れるように首を振る。「頼むぞ、先生」とだけ言い残して、彼は教室を出ていった。

 翌日の教室には、もうひとりの欠席者が出た。

 それまでの年長者であった少女だ。名は確か、ラン。大人しく従順な半面、自分から発言をすることの少ない印象があった。風邪でも引いたのだろうかと考えながら空いた三つの席を眺めていると、唐突に引き戸が開かれた。

 自らの立てた大きな音に驚いていたのは件のランだ。息を切らせて里の道を駆けてきたのか、肩が大きく上下している。しばらく深呼吸をし、息を整えたあとで、「先生」と震える声で呼んだ。

「先生、エンが……エンが」

「落ち着いて、がどうしたの」

 嫌な予感が頭をよぎる。――それが得てして当たるものだと知っていた。

「槍を持って森に入っていったんです、虎を退治するって……!」

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