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5月のはじめ

 ハヅキとはなんとなく気まずいというか、微妙な距離が開いたままだった。その距離感に気づけないレイカたちは、今日も大きな声で昨日のテレビがどうのとか、あのアイドルかっこいいとか。最近は前より会話に男子が乗っかってくるようになった。クラスでも結構、人気者な男子たちが。ユートくんが入ってくるたび、ハヅキは顔を赤らめた。

 最近男子は前ほどガクちゃんにちょっかいを出さなくなった気がする。だからガクちゃんが立ち上がることもあまりない。指導部のお世話になることが減って喜ぶべきなんだろうけど、なんだか余計ガクちゃんの「ひとり」が際立ってしまっている気がした。

 そうそう。結局あたし、美術部に入ったんだ。

 だけど花谷さんとは、教室ではあまり話さない。ずるいとは思うけど、花谷さんもいかにもひとりオーラを出していて話しかけづらくて。美術部でも隣には座るけど、もうそれほど会話をしてない。

 ハヅキはともかく、レイカたちといるのが本当に疲れてしまうので花谷さんと一緒にいたいと思うときさえあった。レイカたちの好きな番組も好きな音楽もどうでもいい、興味がないジャンルばかりだ。あたしは湿っぽいありふれた恋のバラードより、激しいロックの渦に飲まれていたいのだ。もうレイカの機嫌ばっかりとるのも疲れた。どうして同じ歳で同じ立場の人間にヘコヘコしないといけないの?


「あたしちょっとトイレ」

「うちもー」


 レイカ様のお手洗いにはグループ全員でついていく。あたしも「めんどくせー」と内心思いつつもついていく。ハヅキや、ミヤビたちがトイレに行くときも何人かはついていく。

 だけれどあたしが立ち上がっても誰もついてこなくなった。ハヅキさえ。今更これがやばいと気づいたのは、ひとりで手を洗っていてハンカチを忘れたときだ。


 もしかして、あたし、浮いてる?


 とりあえずスカートで拭いた。今の問題はこれで解決したとして、もしかしてあたしも、ある意味「ひとり」に近づいているのではないだろうか。

部活の時間が待ち遠しかった。

 みんなの前で花谷さんに声をかけられない自分が腹立つ。だけど花谷さんも以前ハヅキと喧嘩した日から、あたしのことをきらいになったんじゃないか心配なんだ。都合のいいやつって思われてるかも。いやその通りです、ごめんなさい。

 とにかく、教室にいる時間が息苦しくて。5時間目が終わると、すぐに部室へ向かった。

 いつも、少し不安を覚えながらそっと隣の席に筆箱を置いて、花谷さんの席を取っておいている。花谷さんはそれに礼を言って、今日も座ってくれた。多分完全にきらわれてはないんだと思う。けど、ほかの一年生もクラスごとに固まって座っているからなんともいえないところだ。

そして今日もデッサンをする、入部数日目。手を描くのはだいぶこなれてきた。だが、今日のテーマは手じゃない。


「そろそろデッサン慣れてきたなら、隣の人の顔を描いてみて」


 室田部長の指示に、みんなは「きゃあ」とか「恥ずかしい」とか騒ぎつつ、スケッチブックを開きだした。隣の人の顔、花谷さんを描くってこと? やっと手がヒトデから脱出してきたレベルにそんな難題を吹っかけるなんてどうかしている。だけれど花谷さんは、何も言わずあたしの方を向くと鉛筆を走らせた。


「えっ、もう描いてるの!?」


 あたしは慌てて手鏡を見る。給食に出たほうれん草の胡麻和えのゴマが歯に挟まってないか、鼻毛は出てないか、寝癖はないか一通りチェックして、深呼吸をした。

 って、あたしばかりモデルぶるわけにいかない。花谷さんを描かないといけないんだ。スケッチブックを開いた。

 人の顔ってどこから描こう、とりあえず、輪郭かな。

 花谷さんは、割と丸顔。色が白いけどほっぺたは赤くて、健康的に見える。瞳は大きくて、まつげが長くて、まばたきすると先のほうが柔らかくカールしているのがわかった。唇もふっくらして、えくぼがあって……。


「花谷さんって、かわいいんだね」

「え!?」


 急に変なことを言い出したあたしに、明らかに花谷さんは動揺した。

 でも本当に思ったんだもん。化粧をしてるレイカたちよりずっとかわいいよ。

 そんなことない、と何度もまばたきする姿もかわいい。いいなあ、あたしって目は細いし、そもそも一重だしなあ……。

 かわいいのはいいとして、あたしが描く花谷さんは全然かわいくならない。お化けみたい。


「花谷さんみたいに絵が上手くなれたらなあ。昔から絵が好きなの?」

「うん、あのね」


そう言って、鞄の中からもう一冊スケッチブックを取り出した。学校用のB4サイズのスケッチブックじゃなくて。A5くらいの小さなスケッチブック。それを差し出してきたから見ていいよってことなんだろう。

 そこにはデッサン、手だけじゃなく足や誰かの顔や、リンゴ、花など。リアルなものばかりじゃなくて抽象的なイラストもある。何かのデザイナーがつくったような不思議な模様がひたすら描かれたページもある。


「それ、落書き帳なんだけどね」


 落書きとは思えないくらいの出来で、まるで何かの画集みたい。特にこの小さな猫が花畑で寝転んでいる絵は、ポストカードにでもしたいくらいだ。


「わたし、卒業したらデザイン科がある星見高校に行きたいんだ」


 入試にデッサンの試験があるため、今のうちから練習しているのだと言う。おとなしいと思っていた花谷さんが自信を持って自分の夢を話している。この間入学したばかりなのに、もう進路のことを考えてるんだ。あたしは目の前のことで悩むのに精一杯なのに。もしかして花谷さんはあたしが思うよりずっと大人っぽい子なのかもしれない。


「花谷さん、本当にすごいんだね……」


 貧しいボキャブラリーじゃすごいとしか言えないのが情けないけど、本心だった。すると花谷さんは「チナツでいいよ」と小さい声で言った。それは、花谷さんの下の名前だった。

 大したことはないけれど……だけれど、とても、嬉しい事だと思った。


「あっ、あたしも! あたしも、ミズキでいいよ!!」


 照れたように笑って「よろしくね、ミズキちゃん」という花谷さん……じゃなかった、チナツは可愛くって、そしてもしかして、あたし達って友だちになれるんじゃないかなと思ったんだ。

 その前に、まず言わなくちゃいけないことがある。


「ごめんね、チナツ……」

「えっ?」

「その、いつも避けたりしてさ……この間も、レイカがひどいこと言っちゃったし」

「あぁ、そんなこと。大丈夫、気にしてないから」


 とか言っちゃっても、もしかして本当はめちゃくちゃ怒ってるとか?腹の奥底で憎悪の炎が燃えたぎってるとか?訝しげに顔を覗き込むと、チナツはまた何度も驚いたようにまばたきを繰り返して、「ちょっと、今度はなぁに?」と噴出した。

 あたしもつられて、思わず笑った。そういえば、こうやってハヅキ以外のクラスメイトと自然に笑えるのって、入学してから初めてのことかもしれないなぁ。


「チナツは絵うまいし、優しいから……いつかみんなもわかってくれると思うよ」


 あたしがそう言うと、チナツはそんなことないとばかりに、かぶりを振った。なんだかそれが少し、寂しいなと思った。



 それから、あたし達はまたお互いの顔を描き続けた。二時間後、だいたい同じ時間に二人とも出来上がったんだけれど、それはまあすごい違いで。

 チナツはまるで白黒写真のように忠実にあたしを描いてくれたんだけど……あたしの描いた彼女は、目だけがやたら大きくて、とにかく可愛く描こう!って必死になったものだから、エイリアンみたいだった。

 チナツは最初、噴出すのをこらえて何か必死にフォローをいれてくれようと思ったみたいだけれど……結局、あたしの方が先に笑っちゃった。またあたし達はしばらく笑いの発作から抜け出せなくなった。



「このあと絵の教室があるから、先に帰るね。ばいばい、ミズキちゃん」


 チナツはそう言って、急いで荷物をまとめて帰ってしまった。美術部でも絵を描いて、帰ってからも絵を描くなんて……チナツにとっては、この部活動はお遊びみたいなものなんだろうなぁ。

 あたしの方は、まだまだ絵が下手だなぁ。でも、友だちが出来たから、これからもっと美術部は楽しくなると思う。なんだか楽しくなってきた。

 美術部は他の部活より、終わるのが三十分ほど早い。ハヅキをどこで待っていようかと考えていたら、ふと、教室に体操服を忘れたことを思い出した。そろそろ汗ばむ時期になってきたから、あまり放置はしたくない。

 日が落ちかけた廊下は誰も歩いていなくて、なんだか寂しい感じ。窓の外から、練習している運動部の声が聞こえた。なんとなく、覗いてみる。

 ファイトーとか、そういう掛け声を交わし合いながら練習している。

 そこに、グラウンドを横切る彼女を見つけた。


「ガクちゃん……」


 何故、なのかはわからない。頭で考える前に、衝動的に窓に近づいてしまう。

  小柄で、ボサボサのショートカット。それは間違いなく、ガクちゃんの姿で。ああ、ガクちゃんは陸上部に入ったんだ。部活動をやるタイプにはあまり見えなかったのに……。

 ジャージを着て、グラウンドを駆ける、駆ける。なんて速いんだろう、いつも男子を追いかけていたからかな。走ることが好きなのかな。他に、ガクちゃんはどんなことが好きなんだろう。

 気づくとあたしは、仕舞ったはずのスケッチブックと鉛筆を取り出していた。

 彼女は本当に速くて、それに合わせてあたしも慌てて鉛筆を走らせて。日が落ちていく。それでもあたしは、彼女を見失わない。ガクちゃんは、まるで流れ星みたいに速く、駆けていくのに。

 往復するたび、ガクちゃんは声を出す。か細い声だった。


「ファイットー」


 それだけ言う。また走る。練習のメニューの一つだろうけど、一体どういう内容かはわからない。ただ同じところをぐるぐると走り続けている。

 いつまで、見ていたんだろう。

 何周目かで、ガクちゃんは他の陸上部の人たちとどこかに消えてしまった。おそらく、練習が終わったんだろう。

 そこで初めてあたしも、手を止めた。指が少しだけ痛くなっていることに気付いた。

 紙に描かれたそれは、ガクちゃんとは全く似ていない女の子の姿だった。手足のバランスが不恰好で、何故か悲しそうな顔をして、うつむきながら走っている。……やっぱり、あたしは絵が下手だなぁ。チナツに、これからいろいろ教えてもらおうかな……。

 ガクちゃんがいなくなったグラウンド。

 あたしはそのとき初めて、自分を突き動かす熱の正体を疑問に思った。自分でも、どうしてこんなに彼女にこだわるのかはわからなかった。ただ、描かなくてはいけないと思ったんだ。

 今もその熱が、わずかな痛みと共に尾を引く。それに、戸惑った。

 ハヅキが言ったことが、脳裏をよぎった。

 ミズキ、学さんのこと好きだもんね。

 違う。そんなわけがない。

 好き、とか、嫌いとか、そういうんじゃない。ただ、目が離せないだけだ。

 だって、ガクちゃんは、女子だもん。あたしと同じ女子だ。そんなわけがない。

 この紙の上のガクちゃんを、今すぐ6Bの鉛筆でぐちゃぐちゃに塗りつぶしてしまいたかった。だけれど、出来なかった。出来なかった……。


「何してんの?」


 声をかけられて、わっと叫んでしまいそうになった。最初、待ちくたびれハヅキかと思ったのだけれど。

 目の前に、いたのは。


「学、さん」


 思わずガクちゃんと呼んでしまいそうになったのを、慌てて訂正した。目の前に、彼女がいる。さっきまでずっと見ていた、彼女がこんな近くにいる。いや、教室ではいつもあたしの真後ろの席という比較的近い場所にいるのだけれど。


「それ、あんたが描いたの?」


 ガクちゃんはちらりと、あたしの開きっぱなしのスケッチブックを見た。それに頭が真っ白になってしまった。しかしどうやら彼女は、自分自身を描かれたとは思っていないようだ。それもそうか、女の子ってことがかろうじてわかるくらいの出来だもん。初めて、絵が下手でよかったと心底安心した。


「あ、うん。美術部に入ったんだけど、まだまだ下手で……」

「ふぅん」


 別にうまいとフォローするわけでも下手だと同調するわけでもなく、ガクちゃんはそのまま興味なさそうに、あたしの横を通り過ぎた。それは、教室の方向だった。

 ガクちゃんも、教室に忘れ物したのかもしれない。授業中以上の頭の回転の速さで、そう思った。そしてまた謎の熱に突き動かされて、こんなことを言ってしまった。


「あの、あたしも教室行くんだけど」


 ガクちゃんは、振り向く。明らかに「は?」という顔をしているので、心が折れてしまいそう。それにしても目つきが本当に鋭い。目が大きいから、余計怖く見える。


「一緒に、行かない?」


 ドキドキしすぎて、心臓が破裂するかと思った。生き物はそれぞれ心臓が動く回数というのが決まっているらしい。ということは、今あたしは寿命に達してしまうんじゃないかと思うほど激しく心臓が動いてしまっている。


「いいけど」


 ガクちゃんは、そのまままた歩き出した。何事もないように。そうだ、一大事になっているのはあたしだけで、ガクちゃんからしたらこんなこと、どうってことない普通の会話だ。

 拍子抜けするような、安心したような。体が小さいのに歩みが速い彼女に置いていかれないように、急いでついていった。



 あまりにも歩くのが速いので、これ以上世間話を交わすことはなく、あっという間に教室についてしまった。その短い時間の間さえ、あたしは緊張を忘れるため頭の中で必死に最近習った英単語を繰り返し唱え続けたのだけれど。

 ガクちゃんも体操服を忘れたみたい。そういえば運動部って、体操服じゃなくてそれぞれ持参のジャージで練習しているのはなんでだろう? というか、どうしてガクちゃんは陸上部に入ったんだろう? 走るのが好きだから? どうしてガクちゃんは、いつもあんなに男子に、特にユートくんに突っかかるんだろう? ユートくんと仲が悪いのかな? ああ、聞きたいことがたくさんあるのに、どれも言葉にならない。

 一番、聞きたいのは。

 どうして、ガクちゃんといるとこんなに、こんなにも。

……なんて、そんなこと聞いても、しょうがないか。


「あのさ」


 飛び上がってしまいそうになった。


「何ぼーっとしてんだよ」

「えっ!? あ、ご、ごめん」

「別に謝らなくてもいいけど」


 ガクちゃんは今まさに、教室から出ようとしていた。

 ああ、帰るんだろうな。結局、何も会話しなかった。馬鹿みたいだ。玄関まで一緒に行こうという気力もわかない。絶対、変な奴だって、思われた。

 ああ、せめて、帰りの挨拶くらいはしなくちゃ。本当に変な奴になってしまう。それでも、彼女の目を見るだけで、もう精いっぱいで。


「……変な奴」


 それはあたしの心の声ではなくて、目の前のガクちゃんから向けられたものだった。

 そしてさっさといなくなってしまった。


……き、きらわれた……?


 その場に崩れてしまいそうになった。あたしは、何をしているんだろう。同じクラスの女の子に。姿を目で追って、その姿を絵に描いて、一緒にいればろくに何も言えなくて。本当に、気持ちが悪いやつじゃないか。

 いや……あたしがあたし自身勝手に気持ち悪いならまだいいんだけど、ガクちゃんにも絶対気持ち悪いと思われた。

 ああ、もう、こんなのって……。


「あー! ミズキ、こんなとこにいたの! 探したんだから!」


 教室の中に、明らかに怒っているハヅキの声が飛び込んできたけれど、呆然としたあたしには何も答えられなかった。


「美術室行ったら誰もいないし、本当にもー! ……どうしたの、ミズキ? 顔色悪いけど……」

「……あたしって、変?」

「えっ、変だけど大丈夫?」


 親友にさえ言われるのだから、やっぱり変な奴なんだろうな。

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