普通の女の子
どんなに考えないようにしても森咲の件が頭を離れなくて、俺はその日授業に全く集中出来ていなかった。
「このままじゃ午後の授業も壊滅的だな・・・」
俺は観念して席を立つと、隣のクラスへと歩いていった。
「―あの」
「あ、絢南くんだぁ~。今日はユカちゃん?それともアヤ?アヤだったら珍しく休みだけど」
ドア近くに居た女子はなんだか妙ににやけながらそう言った。
「・・・由佳を呼んでくれ」
「おっけー」
どうして俺がここに来ただけで用件が分かるんだ・・・。そんなに頻繁に来ているだろうか?
由佳に教科書を借りたり、森咲にサッカー部の用事で会ったりすることは確かに多いが、顔を見るなりそれと結びつけられるほどここに来ている自覚はない。
「なあに、京一くん」
「ああ、由佳。ちょっといいか」
廊下に出てから尋ねる。何だか教室内からものすごく視線を感じるが、まあいつものことだ。
「森咲、休みなんだってな。理由とか聞いてるか?」
「え?うーん、先生は風邪だって言ってたけど」
由佳もよくは知らないようだった。
まああの森咲が休むような風邪ならメールしている余裕もないだろう。あいつは本当にダメだと思ったときしか休んだりしないから。
「もしかしてお見舞いに行くの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだ。ちょっと気になっただけで」
「そう?」
由佳は少し小首を傾げたが、あまり詮索はしてこなかった。
「じゃあ、またな」
「あ、うん。またね」
由佳と分かれて自分のクラスに帰る。
「風邪・・・ねえ」
本当にそうか?何か別の理由があるんじゃないか?
なんとなくすっきりしない気分のまま、時間は過ぎていく。
土曜の夜、親父への電話を終えてベッドに倒れこむ。
確かに、あいつは泣いていたんだ。今となっては確信に変わっていた。
あんな雨の中で打たれていたら、誰だって風邪を引くだろう。けれど森咲が休んだのはその所為だけではなくて、榊に振られたショックも混じっている。きっとそうなんだ。
「あいつも、男を好きになったりするんだな・・・」
由佳にあんな風に優しくできるような男だ、森咲が好きになっても仕方ないことかもしれない。
全然そんな風には見えなくても、森咲は繊細で傷付きやすい普通の女の子だ。あの性格の所為で見落としがちなそういう一面を、俺が全く分かっていなかっただけで。
「・・・どんな顔して会ったらいいんだろうな」
泣いていた森咲に何もせずに帰った俺が、どの面を下げてあいつに会えるというのだろう。
今日は練習がなかったけれど、明日は違う。サッカーにだけは誰よりも真剣なやつが、そう何度も練習をサボるとは思えない。
慰めるとか、励ますとか、そういう言葉は必要だろうか。それともそういう行為は森咲の傷を広げるだけなんだろうか。
「・・・どうするか」
そのまま眼を閉じて、俺は眠りに落ちた。
「―おっす、京の字。悪かったな昨日休んだりして」
「・・・おう」
梅雨時期に似つかわしく今日も天気は雨で、廊下での筋トレに向かうために俺はこの昇降口に立っていた。
まさにばったり、といった感じでこうして今一番会いたくなかったやつに出会ってしまった。
「どしたー京の字。なんか元気ねーぞ。あ、もしかしてあたしの風邪感染った?」
心配そうに覗き込む森咲はまだマスクをしていて、その声は少し掠れていた。
「・・・おい、そうやって近付いたら意味ないだろ」
「おっと、悪い。いやーまだ完治とはいえなくってさあ、朝練もちょっと出られそうにないわ」
「別に、それは構わないけど。・・・早く治せよ」
「おう、サンキュ」
風邪の所為かいつもより少しだけ覇気のない森咲の目は、気のせいではなく腫れていた。