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きっとどこかに  作者:
11/20

約束はまだ

家に一人しか居ないのにクーラーを使うというのが、何だかもったいなく感じた所為もある。

ただまあ、要は一人で勉強するには限界があるということだ。

「落ち着かない・・・」

母さんは実家の法事に出ていた。遠縁なので俺が出る必要はないと一人で家を出たのは今朝のことだ。

別に日々の予習復習程度ならば一人でこなせるがリビングから常に物音がしているし、学校の授業なら周りに人が居ないなんて状況には決してならない。全く人の気配がない中で勉強するという普段ない状況はそれなりに苦痛で、ストレスとなりうるのだ。

「・・・図書館行こう」

ちょうどシャー芯が切れたところだったし、ついでに買いに行こう。


駅前の商店街まで自転車を走らせる。擦り切れたジーンズの膝が視界の下の方で上下する。

左腕の時計は14時を少し回った辺りを指していた。一番暑い頃合だ、時間をずらせばよかったと少し思ったが、まあいつ出ようが夏が暑いことに変わりはない。

首都圏特有の蒸し暑い夏は今年も容赦なく、Tシャツが汗と湿気で張り付いてひどく気分が悪い。

「・・・早く行こう」

ハンドルを強く握って、俺はじりじりと熱を放つアスファルトの坂を上る。


文具売場で目当てのものを買い込んで、再び自転車にまたがる。二つ先の角を曲がれば図書館だ。

軽くブレーキをかけながら坂を下っていた時のことだった。

何の気なしに右側の背の高い植え込みに目をやって、その隙間から一瞬だけ見えた景色。

―無音。

静止しているかあるいはスローモーションにでもしているかのようなスピードでその景色が流れていく。

青い滑り台。赤い鉄棒。・・・そして黄色いブランコ。

再び風景が加速して、俺はそのまま二つ目の角を通り過ぎた。

「・・・あ」

いけない。これじゃ回り道だ。

三つ目の角を曲がりながら図書館へのルートを頭に思い浮かべようとして、けれどその横で網膜に焼きついてしまったそれを反芻していた。

「森咲・・・だよな、あれ」

ブランコに腰掛けて少しはにかんでいたあいつ。その隣に居たのは・・・きっと。

「・・・付き合い始めてたのか」

全然知らなかった。まあ俺に言わなくちゃいけない理由もないのだけれど。

俺の言った通りに奴の想いを受け入れて、応えることにしたんだろう。

うまくいっているんだな。あんな、見たこともない幸せそうな表情をしていたということは。

きっとこれからあいつは、俺の知らないところでどんどん変わっていくんだろう。今まで奥底で眠っていた女の部分が目覚めていって、男らしいあいつは少しずつ消えていくんだろう。

「・・・それが、何だっていうんだ」

俺には何の関係もないんだ。この先あいつがどう変わるとしてもそれに俺が関わることなどない。

それが・・・どうしてだかひどく痛い。

訳のわからない胸の痛みを振り切るように、履き古した黒いスニーカーでペダルを踏み込んだ。


6時になったのを確認して席を立つ。図書館は7時で閉まるし、母さんもそろそろ戻ってきているだろう。

学習室を出て一階に降りて、見慣れた栗色の髪が見えた気がして立ち止まる。

窺ってみるとどうやら間違いなさそうだ。

「由佳じゃないか」

「え?あ、京一くん。偶然だね」

「ああ」

由佳は微笑んで本を閉じた。

「京一くんも勉強?私もこれから行くところで・・・」

「もう6時だぞ」

壁の時計を指差すと由佳はガタッと立ち上がる。

「えっ!?あ、本当だ、私ったらまた・・・」

「もしかしてまた何時間もここに居たんじゃないか?」

「うん、ここへ来たのが1時くらいだからそれからずっと・・・新刊が入ってるかチェックするだけのつもりだったのに、ああもう嫌になる・・・」

由佳は俺と違って読書家というか本の虫だから、こういうところに来るとどうしても読みたくなってしまうのだろう。勉強したくない、という気持ちも多少手伝っているだろうが。

「今日は図鑑なんだな」

物語が好きな由佳にしては珍しい。

「うん、これ」

「・・・花のかんむり、か?」

「そうそう、昔よく作ったなあ。かんむりとか、腕輪とか・・・指環とか」

指環・・・か。

再び机の奥に仕舞いこまれたそれを思い出す。

「・・・あれ、まだ持ってるから」

あれ、と言っただけだが見上げてくる由佳の目を見るにおそらく何のことか分かっている。

「そっか。・・・ありがとう」

「・・・ああ」

心底嬉しそうなその表情にまたどきりとして、俺はそっと目を逸らした。


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