おおきくなったら
それはありふれた、どこにでもある平凡な物語。
きっとどこかに
いつだったか。
「おおきくなったら、“けっこん”しようね」
なんて、ませた子供にありがちな言葉を吐いて、俺は微笑んだ。
「あのね、きょういちくん。けっこんするにはゆびわがなくちゃだめなんだよっておとうさんがいってたよ?」
「ゆびわ?」
「そう、けっこんゆびわ!」
これは困った。それじゃあ彼女と結婚できないじゃないか。
「ゆびわなんてないよ・・・。ごめんね、ごめんねユカちゃん」
情けなくもべそをかき始める俺に彼女は―ユカは微笑んだ。
「ないんだったらつくればいいんだよ、きょういちくん!」
そう言うとユカはポケットからそれを取り出した。
「・・・これ」
「ゆびわだよ。ユカがつくったの」
細い茎を編みこんで作られた白い花の指環。それを俺は受け取った。
「けっこんするとき、それをあげればいいんだよ!」
「そっか!これでだいじょうぶだね」
未来に何も不安なことなんてないと本気で思っていたあの頃、俺たちは繋いだこの手が離れることなどないと信じていた。
▽▽▽
視界に飛び込んできたのは、見慣れた白い天井。
「・・・随分と昔の夢だったな」
身体を起こして身を捩り、殺風景な勉強机の上に目をやる。
原因は分かっている。あれだ。
「まさかまだ残ってたなんてな」
昨日探し物をしていたとき、十年以上前に彼女から預かった指環を偶然発見した。丁寧にティッシュに包まれたそれは、歳月に逆らうことなど出来ず見事に萎れていた。
「何が“だいじょうぶ”だよ、全く」
結婚出来るであろう二十年後を迎える前に枯れてしまっているじゃないか。
ベッドから降りて机に歩み寄り、指環を手にとって嵌めてみる。
「・・・でかいし」
男の俺の指よりも太いのに、彼女の細い指に嵌まるはずもない。
溜息をついて指環をティッシュにくるみ直し、再び机の奥底へと仕舞いこんだ。
着替えようと壁に掛けてある制服に目をやると、その隣の本棚が視界に飛び込んできた。大きいけれど半分くらいしか使っていないし、そのほとんどを参考書が占めている。何冊か紛れている漫画本も敦史の奴が飽きて押し付けてきたもので、一回目を通したきり開かれてはいない。いかにもあいつの興味なさそうな恋愛モノばかりだし。
首を振って制服を手に取った。
この学ランに袖を通すのも、今年で最後かもしれない。どこの高校を受験するかは分からないけれど、私立ならば高確率でブレザーだ。
第一ボタンまでしてホックも留める。敦史には「見てるだけで暑苦しい」と言われ続けているが、崩す気は全くなかった。クソ真面目だろうがなんだろうが俺の知ったことではない。
四月のまだ冷えた空気の中、襟のカラーが首に冷たかった。
階段を下りると、母さんが振り返った。
「おはよう、京一くん」
「おはよう」
食卓に並べられた朝食は二人分。親父は福岡に単身赴任中で、今ここには居ない。
「今日から学校ね」
「うん」
味噌汁を啜っていると母さんが唐突に切り出した。
「ねえ、どこの高校に行くかは決めたの?」
「・・・まだ見学にも行ってないし、分からないよ」
「でも少しは絞っておかないと、あとで困るわよ」
「・・・まあ」
あまり好きな話題ではなかった。今まではただ惰性的に生きていればそれでよかったのに、これからは自分で進むべき道を決めなくちゃいけなくなる。それは分かっているつもりだけれど。
「・・・そろそろ行くよ、ごちそうさま」
早々に切り上げて席を立った。まだ時間には早いけれど、構わない。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
聞こえない振りをしつつ無言でドアを開けた。