海棠陣
去年十二月。
コンビニでバイトをしていたある日、俺こと海棠陣は、不思議な女の子が店内にいることに気付いた。
学校の制服に身を包んだ綺麗な黒髪の彼女は、雑誌コーナーでひたすら立っていた。
それだけなら、何処のコンビニでも見かけることは有るだろう。
不思議だと感じたのは、その少女が纏っていた雰囲気だ。
まるでそこにいるのが当たり前であるかのように、彼女はずっとそこにいた。
店内に他にも客はいたが、何故か俺はその少女をずっと見ていた。
ここだけ言うときっと俺は変質者か何かと間違われるだろうから、変な気は無かったと言うことだけ言っておく。
店内にいたのは、その少女含め五人。
レジで待機している俺と、商品整理をしている先輩。お菓子の所で何を買おうか迷っている女子高生に、雑誌コーナーにいる男、そして少女。
ただ、その男の動きが変だった。
最初は少女と人二人分程距離を開けて立っていたのだが、少しずつ距離を詰めていっていた。
確かに、読みたい雑誌が他にもあるなら、移動はするだろうが、それならもっとスムーズに移動し、目に止まった所で動きを止めてその雑誌を見るだろう。
だが、男はあくまで自然を装っているかの様に、不自然に距離を詰めていた。
やがて、男は少女の隣まで行き、大胆というか何というか、少女に手を伸ばした。
レジを出て止めようと、正しく俺が掛だそうとした瞬間、しかし、少女はその手を避けた。
そう、あの動きはどう見ても避けていた。
まるで男の行動が分かっていたかの様に、自然な動きで体を横に移動させた。
いや、レジにいた俺からでも分かったのだから、隣にいた少女に分からない訳は無いのかも知れないが、それでも、あそこまでタイミング良く避けることが果たして出来るだろうか?
しかし、俺のそんな考えは、先程迷っていた女子高生がレジに来たことで打ち切られた。
菓子を袋に詰めておつりを渡し、お礼を言った後雑誌コーナーを確認すると、少女も男も居らず、探すとドリンクのコーナーに、少女いた。
男はいない所から、恐らく帰ったのだろう。
って、何で俺はあの子を……。
そう思い、バイトに集中しようとしたが、三人いた客から二人減ったことにより、店内に残る客はその少女だけとなった。
仕方なく、俺は少女の動向を見ることにした。
と、そこで、今はまだ学校の時間ではないのか? という疑問に思い至った。
腕時計を見れば、時刻は一時半。
午前中授業でも無い限り、学生がコンビニにいるのは可笑しいことだ。
いや、俺も人のことは言えないが……サボってバイトしているからな。
と、俺のことは良いか。問題は彼女だ。
制服を着ていると言うことは、少なくとも学校にはいたのだろうが、途中でいなくなって誰も気にならないのだろうか?
まさか、授業を受けなくて良い、なんて言われている訳でも無いだろうに……本当にそうだとは露程も思っていなかったが……。
そんなことを考えながら過ごしていると、少女が胸に二本の炭酸飲料を抱えてレジに来た。
世間話、という名目の元、何故こんな時間にここにいるのか聞いてみようと思い、聞いてみた所、少女は懐から手帳を取り出し俺に見せてきた。
そんなにあっさり見せても良いのだろうか?
等といった俺の疑問は、少女が一頁手帳を捲り、そこに書かれていたことを見た瞬間吹き飛んだ。
一切の授業を免除する。
そこには確かにそう書かれていた。
驚きのあまり、俺はボトルを落としてしまい、その音で我に返った。
その炭酸飲料を別の物と変えて改めて会計し、袋に入れて少女、清川朱音に渡すと、彼女は何故か俺に向けて手をヒラヒラと振り店を出た。
何だったのだろうか?
そう思った俺の疑問は、しかし、またも別のことで飛ばされた。
「――にしても、授業免除なんてスゲぇよな……」
「……?」
四月二十一日、時刻は一時五十分を回った所。
俺は街をぶらついていた所で遭遇した清川と、あるファミレスにいた。
バイトが思っていたより早く終わり、先輩に今日はもう上がって良いぞ、と言われて適当にぶらついていたら、前方から最近はよく会う彼女、清川が来ていたのを発見し、なんとなくファミレスに誘ってみたのだ。
断られるかと思ったが、清川はあっさり頷いて了承。
結果、俺と清川は、四人掛けの席で向かい合って座っている。
背もたれに肘をかけ、天井を見上げながら呟いた俺の言葉に、清川はドリンクの入ったグラスを両手で持った状態で首を傾げた。
可愛いな、と思った俺が可笑しくないことは、この数ヶ月の間に証明されている。
風音達の場合は、清川のこの仕草を見ると血を吐きそうになる程だからな……。
ちなみに風音達とは、清川と会ったコンビニで会った。
一月頃に、清川が姉の風音に、友達数名と来たからだ。
出会い頭に、一番大事なモノは何だ、と問われ戸惑ったのは、記憶に新しい。
「いや……気にするな」
清川は頷き、ピザを一切れ同じ様に両手で持ってパクと小さくかじりついた。
噛み切れなかったチーズが伸びたが、清川は気にせずちびちびとピザを食べ進めていく。
マイペースというか何というか……あれだけ鋭い動きをすると言うのに、こういうことに関してはとんと鈍いのは何故だろうか?
鈴が言うには、恋愛などに関してもそうらしい。
他のことには鋭いが、夕が清川に対して抱く想いには全く気付いていないようだ。
何とはなしに、携帯を開き、次にアドレス帳を開く。
あ行には、現在自転車で日本一周を行っている安藤静香と、有沢姉妹の名前。
か行には、目の前にいる清川朱音と、その姉である清川風音、そして二人の両親に、黒澄紗奈の名前。
さ行には、私立探偵をしている周防健二の名前と言った具合に、以前と比べて、俺の携帯、そのアドレス帳は賑やかになった。
今までは、殆どバイトの先輩やら後輩やらばかりだったからな……そう言えば、姉貴には何も言っていなかったが、まあ、良いか。帰ってきた時に教えれば。
そう思い、携帯を閉じて清川に目を向けると、伸びたチーズと格闘していた。
口の中に収めようと、何度もパクパクと口を動かしたり、上に上げて下からチーズを食べようとしている。
気が付けば、俺はその一連の行動を、いつのまにか開いていた携帯で動画を撮っていた。
まさか無意識で動いてしまうとは……。
まあ、撮った物は仕方ないと、ソレを保存し、ついでに風音達の携帯に送る。
五月蠅くなりそうなので、電源を切りポケットに仕舞い、また清川の観察を続行。
「はむ」
と、八枚にカットされたピザの一枚を、たった今清川は食べ終わった。
その瞬間を撮りたかったが、時既に遅しだ。
清川は続いて二枚目に取り掛かり、同じように食べ進め、四枚目を食べ終わった所で皿ごと俺の様に押してきた。
どうやら腹一杯らしい。
その後、残った四枚のピザを食べ終わり、ファミレスを出て携帯の電源を入れると、まるで見ていたかの様なタイミングで携帯が震えた。
開くと風音からのメール。いや、着信を見ると、たった五、六分足らずで鈴と周防以外の全員からメールが来ていた。
やはり面倒なことになったか、と携帯を閉じる。
一々相手にすることは無いだろう。
「清川、学校まで送ろうか?」
問いかけると、清川はゆっくり首を横に振り、初めて会った時の様に手をヒラヒラと振り、学校へ歩いていった。
「相変わらずだな……」
まあ、いつもの清川だ。
そう思いながら、俺も今日は他にバイトは無い為、家へと帰るべく足を動かした。
疑問が飛ばされたのは、清川が数人の男に絡まれていたのを視界の端に捉えたから。
慌てて店の外に出ると、案の定ナンパが目的だった様で下卑た笑みを浮かべながら、三人の男は清川に遊びにいかねぇか、等と言った古すぎると思うような言葉を掛けていた。
しかし、普段から無口で無表情である清川は、男達から見れば無視している様に見えたのだろう。
男達の声には、少しずつ苛立ちが込められるようになり、やがてキレたのか一人が清川の手を掴もうと腕を伸ばした。
だが、彼女はソレをいとも簡単に回避し、勢い余った男はそのまま転んだ。
呆気に取られた俺だったが、男の痛がる声に我に返り、残りの男達が何かする前に清川をこの場から離した方が良いと思い、彼女の手を引いてコンビニに引き返した。
暴力沙汰を起こせば、彼女に取ってはマイナスにしかならないと、なんとなく思ったからだが、そこまで彼女を気に掛ける様になっていたことが不思議だった。
言葉すら交わしていなかったのに、そう思ったからだ。
その後、男達は暫くすると解散していき、俺は念の為と思い、先輩に彼女を安全な所まで送っていくことを伝え、コートを羽織ってコンビニを出た。
ファミレスまで行った所で、彼女が俺の前に出てここまで良いと言う風に頭を下げた。
気を付けて帰れよ、そう言うつもりだったのだが、清川はまた手帳を取り出すと、今度は何かを書いて差し出してきた。
疑問に思いつつ受け取り、そこに書かれていることを確認すると、清川朱音と言う四文字と、携帯の番号とアドレス、家の番号が書かれていた。
どういうつもりか訳が分からず、聞こうと思ったが、既に清川は俺からは離れた所を歩いていた為、声を掛けることが出来なかった。
結局その日、俺が知ったのは、清川朱音と言う彼女の名前と、彼女の番号とアドレス。そして授業が免除されているということだけだった。
いや、それだけでも十分多かったであろうが、その後風音達と会ったことで、更に色々知ったからな……。
「無口で無表情で……でも無感情じゃない。確かに、アイツを一言で表すなら、それが一番しっくり来るな」
鈴から聞いたことを復唱し、改めて納得しながら顔を上げれば、そこには俺が住んでいる家。
思い出しながら歩いている内に、どうやら到着したらしい。
さて、晩飯は何を作ろうかな?
そんなことを考えながら、俺は家に入った。