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「葉雪、待った~?」
元気いっぱいに手を振るミー。
朝の清々しい空気の中、挨拶を交わすふたりの女子高生。
ごくありふれた日常の風景だ。
「……澪音、待たせすぎ……。走らないと、ギリギリだよ……」
葉雪が、言葉とは裏腹にあまり慌てていなさそうな声で指摘してきた。
「だったら、走るよっ!」
「あ……う、うん……」
ぱしっ、と葉雪の手を握って、ミーは走り始める。
いきなりだったせいでバランスを崩しながらも、葉雪はどうにか体勢を立て直して駆け出した。
ミーたちはいつも、こうやって待ち合わせてから登校している。
昨日は激しく寝坊して遅刻してしまったわけだけど。
葉雪はある程度の時間までは待ってくれるものの、それを越えるとひとりで先に学校へと向かってしまう。
べつに薄情ってわけじゃない。そう決めてあるのだ。
ずっとミーにつき合っていたら、一年の半分くらいが遅刻になっちゃうからね。
それなら家まで呼びに来てもらえばいいのに、と思うかもしれないけど、そういうわけにもいかない。
なにせ、うちと葉雪の家は対立し合っているのだから。
家柄に引き裂かれたロミオとジュリエットよろしく、お忍びで逢い引きを繰り返す恋人同士、そんなシチュエーションに酔っているというのが実情だったりもするのだけど。
実際には、目くじらを立てて葉雪と会うのを咎められたりするわけじゃない。
でも、あまり好ましく思われていないのは事実だろうから、ミーたちとしても無意味な波風は立てないようにしていた。
ケータイでもあれば電話してもらうという方法が使えるのだけど、あいにくミーも葉雪もそんな便利な品物は持っていなかった。
バイトでもするべきかな~。
と、そんなことより、今は走ることに集中しないと。
予鈴はとっくに鳴り終えて、本格的に滑り込みでギリギリセーフという時間になっているのだから。
必死に走るミーと、ゆったり走る葉雪。これでどうして同じ速度になるんだか。
ミーの走り方って、どこかおかしいのかな……。
そんな感想を抱きながら、教室のドアを開けて文字どおり滑り込む。
「ふ~、セーフッ!」
安堵の声と同時に鳴り響いたチャイムの音は、ミーたちを祝福してくれているかのようにも思えた。
だけど……。
「はいはい、一応セーフではあるがな。お前ら、もっと余裕を持てよ~。さて、すぐにホームルームを始めるから、早く席に着け~」
安心したのも束の間、すでに教室に入っていた矛崎先生から、ため息まじりの言葉を浴びせられてしまった。
☆☆☆☆☆
「あんたたちって、ほんっと、いつもどおりよねぇ~」
休み時間、いつもどおり両手を握り合ってお喋りに興じるミーと葉雪にちょっとトゲトゲしい声がかけられた。
声の主は、ポニーテールを揺らしながら両手を腰に当ててふんぞり返っている女子生徒だった。
ミーの宿敵、土浦思歌だ。
「なによ思歌りん、いつもいつも。そんなにミーが羨ましいの?」
思歌りんはどういうわけだか、ミーに対して突っかかってくるような物言いをすることが多い。
当然ながら、ミーのほうも思わずツンケンした言葉遣いで対応してしまう。
べつに思歌りんのことを嫌っているわけじゃない。
むしろ、こういった言葉のやり取りがなんとなく楽しい。そんなふうにすら思っている。
だからこそ、「思歌りん」なんて愛称で呼んでいるのだ。
まだこの学校に入学して二週間程度、今のクラスになってから知り合ったばかりだというのに、すでに旧知の仲というほど胸のうちをさらけ出せる間柄と言える。
向こうも同じように思っているかは、かなり怪しいところだけど。
「な……なんでこの私が、あんたなんかを羨ましがらなきゃいけないのよ!? というか、思歌りんって呼ぶな!」
「いいじゃない、可愛いネーミングだと思うよ~? 全然可愛くない思歌りんとのギャップが、ほら最高!」
「なっ……! あんたね~!」
突っかかってくる物言いを通り越して、実際にミーの目の前数センチのところまで突っ込んでくる思歌りん。
それももちろん、いつもどおりの光景だった。
「……澪音、それはちょっとひどいよ……。せめて、顔と名前のギャップ、くらいにしておかないと……」
控えめな声で、葉雪が言葉をそよぎ出す。
うあっ、この子、はっきりと顔って言った!
この場合、明らかに「戦ぐ」って字で合ってそう!
宿敵とはいえ、一応思歌りんの名誉のために言っておくと、彼女はべつにブサイクなわけじゃない。
それどころか、ポニーテールがとてもよく似合っていて、男子にはかなりの人気があるくらいだ。
じゃあさっきの葉雪の発言は、それを羨んだ嫉妬の言葉なのかというと、そうでもない。
葉雪だって可愛いのだ。幼なじみであるミーのひいき目ってのを抜きにしてもね。
そんなわけで、ふたりの可愛さは男子の人気を二分するほどのものだった。
あっ、ミーもいるから、三分する感じかなっ!
……ごめんなさい、嘘です。ミーはそこまでの人気はないです。逆に腫れ物に触れるような視線を向けられます。なんでだろ……。
と、それはいいとして。
男子に人気のあるふたりではあるけど、実際に告白したりする生徒はいない。
なぜなら、思歌りんには『恋人』である火野視言がついているし、葉雪には『変人』である蛍伽澪音、すなわちミーがついているからだった。
この表現はクラスメイトの受け売りなのだけど、人のことを変人呼ばわりっていうのは、さすがにひどいと思わない?
ま、べつにいいんだけどね。葉雪とミーを離れられない存在としてセットで捉えてくれているというのは、ミーとしては嬉しいことなのだから。
なんか話が脱線したわね。
とにかく、さっきの葉雪の発言は、純粋にミーの言葉を言い換えて、語調を弱めようとしてくれただけなのだろう。
ミーは思ったことをすぐ口にしてしまい、相手を不快にさせることが多い。
そんなとき、いつも葉雪がフォローしてくれて、とっても助かっているのは事実だった。
とはいえ、さっきの葉雪の言い方では、余計に悪化させただけだと思うけど。
葉雪はそんな細かいことまで考えて喋ったりはしないのだ。
おとぼけキャラというか……、
そう、天然!
これが一番しっくりくる表現ね!
「あんんたたちは、ふたりして……。ケンカ売ってるの!?」
「……え? え? どうして私まで怒られてるの……?」
声を荒げて怒鳴り散らす思歌りんに、葉雪は不思議そうな目を向けておろおろしていた。
「ケンカですね、三万円になりまっす!」
そしてミーは、くだらないことを言って火に油をそそぐ。
「うき~~~~っ! マリちゃん、いくらなんでも、ふざけすぎじゃない!?」
思歌りんは案の定、顔を真っ赤にしてツバを飛ばしながら叫び始めた。
目の前にいるミーは、その被害をばっちり受けるわけだけど。そんなことにも、すっかり慣れっこだった。
こんなふうに怒鳴っている姿を頻繁にさらしていても人気が下がらないことを考えれば、思歌りんの外見が悪くないことや、口は悪くても性格は全然悪くないってことが、容易に推測できるに違いない。
ところで、思歌りんが言った『マリちゃん』ってのは、ミーのことだ。
突っかかってくるのに「ちゃん」づけだったりするし、仲が悪いわけじゃないのは一目瞭然、いや、一聴瞭然だろう。
で、マリちゃんってのが、いったいなんなのかというと――。
「まぁまぁ、思歌。ツンデレマリア様をあんまり困らせちゃダメだと、ボクは思うな。神罰が下るかもしれないよ?」
不意に背後から声がかかった。
思歌りんの友人、木下呼春だ。
ショートカットの眼鏡っ子な優等生で、自分のことを「ボク」なんて言う上に、声はとっても可愛い系。
学級委員をしていて、真面目で明るい性格。
しっかりしているようで、微妙に抜けている部分もあるのが、余計に可愛さを強調するような感じだ。
こんな子がどうして思歌りんと友達なのか。世の中って不思議だわ。
呼春は優等生なのに、なぜこの落ちこぼれクラスに在籍しているのかというと、この子、どうやら運がすっごく悪いらしいのだ。
クラス分けテストの日に熱が出てしまい、だけど病欠するほどでもなくて、ぼーっとしたままテストを受けた。
結果、ギリギリでこのクラスになってしまったのだという。
ともかく、マリちゃんという呼び方の由来はこれ、『ツンデレマリア様』だった。
名づけたのは、この呼春。
ミーが教会の娘であることを知って、マリア様の名をつけてくれたのだ。ああ、なんていい子なんでしょう。
呼春はそれから、ずっとミーのことをそう呼んでいる。
それがうつってしまったのか、いつしか思歌りんもそう呼ぶようになった。
そのうち、長いからってことで、マリちゃんと短縮されたってわけ。
「マリア様の名前で嬉しいって、澪音……。ツンデレってのがつけられてるよ……?」
葉雪はそう指摘するのだけど、そんなのミーにとっては些末なことだった。
マリア様と言われて悪い気がするわけないのだ。
一応、ツンデレってのについても調べてはみたのだけどね。べつにミーは、そういう感じでもないと思うのだけど。
葉雪は、言いえて妙、と控えめにつぶやいてたな……。
「そうですわよ。思歌さんと澪音さんが仲よしこよしさんであるのは、痛いほどよくわかっておりますけれど、いささか冗長すぎるかと思いますわ」
声は、さらに増えた。
のんびりした丁寧口調で、長いウェーブがかった綺麗な髪を揺らめかせながら、しっとりとした動作で会話に加わってくる。
高貴ないい香りがふわっと辺りを包み込むような感じ。実際、フローラルないい香りも漂わせている。
彼女も思歌りんの友人で、金蔵桃味。超がつくほどお金持ちのお嬢様だ。
クラスメイトにも「さん」づけで丁寧に喋る彼女は、「お嬢」と呼ばれている。
桃味って名前は気に入っていないらしく、彼女自身も、お嬢という呼び名を推奨しているようだ。
「思歌さんには視言さんがおりますし、澪音さんには葉雪さんがおりますのに、その関係に割って入ろうとするなんて、いけないことだと思いますわ。でもでも、それはそれでギャラリーとしましては楽しいイベントと考えられますし、わたくしとしましても、そのまま突き進んでほしいと思っておりますのよ。
そもそも思歌さんも澪音さんも女性ですけれども、それを言いましたら葉雪さんも女性なのですし、そういう需要もあるわけですから、ここは問題なしと判断してよいと考えられますわね。わたくし自身は静観させていただく所存でございますが、せっかくですから呼春さんも参戦してみてはいかがですか? うふふ、我ながらいいアイディアですわ。是非是非参戦してみてくださいませ。
ここまで来ましたら、視言さんのお友達や矛崎先生にも参戦していただいて、複雑な恋愛模様のドロドロした昼ドラのような展開というのも、ゾクゾクして最高の演出になりそうですわね。うふふふふ、楽しみですわ~♪」
気づけば、チャイムの音が鳴り響いていた。
呼春が苦笑を浮かべながら軽く頭を抱えている。
お嬢が息継ぎする暇もないのではと思うほどの勢いで、わけのわからない内容の話を喋くりまくっているあいだに、あっさりと休み時間は終わってしまったのだ。
あなたのお話のほうがよっぽど冗長です、お嬢!
そんなツッコミを入れる間もなく、チャイムの音を聞いた思歌りん・呼春・お嬢の三人は、そそくさと席に戻っていった。
……って、あの人たち、いったいなにをしに来たんだろう?