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「葉雪、おはよう~!」
「……澪音、おはよう。今日は少し薄暗いね……」
朝の挨拶を交わして歩き出す。
今日は珍しくちょっとだけ早めに起きることができたので、歩いて登校する余裕があった。
「そうね~。雨、降らないといいけど」
「……うん……」
このところ、ただでさえおとなしい葉雪が、悩みでもあるのかさらに沈んだ雰囲気を漂わせているように感じられる。
ミーとしては、とても気になるところだ。
でも、無理に聞き出すなんてことは、してはいけない。そう考えている。
ミーと葉雪は小さい頃からずっと一緒で、大抵どんなことでも話してきたと思っているけど、それでも心にしまっておきたいことだってあるだろう。
自分から話そうとしないのなら、詳しく聞き出したりはしない。
だからこういうときは、他の話題で明るい気持ちにさせてあげるよう努める。今までも、ずっとそうしてきたのだ。
「あ~、そういえば! ご褒美、まだもらってなかったよね~」
「あ……うん……」
なぜか葉雪は、微かに頬を赤く染めて頷く。
「いろいろ考えてるんだけどね~、まだ思いつかないのよ。べつに期限とかは設けてなかったし、じっくり考えてから決めるわね。ふっふっふ~、楽しみにしてなさいよ~♪」
「……私にとっては、罰ゲームになるんじゃなかったの……?」
ふふっ、と笑顔をこぼす葉雪。
「あ~、そうだったそうだった、忘れてたわ! それにしても、自分から思い出させるなんて、葉雪はマゾっぽいわね~」
「……ち、違うよぉ……」
「ふふふ、それじゃ、覚悟しておきなさいよ! とびっきりのを用意してあげるから♪」
「……澪音~、その、お手柔らかに頼むよ……」
こういうとき、嫌がる素振りは見せても、無理に止めようとはしないんだよね、葉雪って。
……やっぱりマゾっ気があるのかな?
それはともかく、苦笑まじりとはいえ、葉雪に笑顔が戻ってよかったわ。
もうしばらく引っ張って、この「ご褒美」の話題を使わせてもらうことにしよう。ミーは、そう心に決めていた。
☆☆☆☆☆
「みんな、おっは……」
「きゃあっ!?」
朝の名物、教室に入ったミーの明るい挨拶の声を途切れさせたのは、甲高い思歌りんの悲鳴だった。
「思歌りん、どったの?」
「なによ、このべちゃべちゃしたの~!?」
思歌りんはミーの声が耳に入っているのかいないのか、慌てた様子で椅子から立ち上がり、しきりに自分のお尻の辺りを気にしながら叫んでいた。
いつもどおり一緒に登校してきた葉雪とともに、思歌りんのもとへと駆けつける。
視線を向けてみれば、思歌りんの椅子の上とスカートのお尻から腰にかけて、なにか色のついた半透明の物体がびっしりとこびりついているようだった。
「これって……」
「……スライミン……?」
昔流行ったおもちゃだ。
さほどベトつかない程度の粘着性と弾力性がある、ドロっとした感じの物体。触るとひんやりしていて、結構気持ちいい。
「そうみたいね。でも最近あまり見かけない気はするけど。そんなの、よく知ってたね、葉雪」
「……だって、澪音のイタズラで服の中とかによく入れられてたから……」
「あ~……。そんなこともあったわね!」
ミーと葉雪のやり取りが続いているあいだも、思歌りんはお尻からスライミンをはがそうと躍起になっていた。
スライミンって確か、簡単に千切れたりはしないはずだから、椅子と思歌りんのお尻の辺りに分かれいてるところを見ると、何個もまとめて椅子の上にぶちまけてあったのだろう。
そんな状態の椅子に気づかず座ってしまうなんて、思歌りんってば、相変わらずお間抜けさんだわ。
「もう、ほんとになんなの!? 今朝は上履きの中にも、これが入ってたのよ? これって古いおもちゃなんだよね? ……やっぱり、実祈さんの呪いなんじゃ……!?」
「いやいや、古いおもちゃではあるけど、まだ売ってるはずだし。どう考えても、誰かの嫌がらせだから! 思歌りん、いったいなにをやらかしたのよ?」
「べつに、私はいつもどおりよ」
いつもどおりでも、思歌りんの口調なら反感を買うことだってあるかもしれないなぁ。
ミーはそう考えたけど、口には出さない。
思歌りんは、随分と怯えているみたいだった。
「……大丈夫か?」
そんな思歌りんを元気づけようとしたのだろう、火野くんが声をかけていたけど、
「大丈夫だから、放っといて」
冷たくそう言い返すだけだった。
そういえば、昨日もこんな感じだったよね。
思歌りんと火野くん、ケンカでもしたのかな?
寂しげな視線を残したまま席に座る火野くんを尻目に、お嬢が思歌りんのスカートにくっついたスライミンを取ってあげていた。
椅子の上のスライミンも、とりあえず掃除用具のロッカーから取り出したバケツに退避させたところで、チャイムの音が鳴り響く。
「おーい、お前ら、席に着け~!」
矛崎先生がチャイムと同時に教室へと入ってきたため、ミーと葉雪も素直に自分の席に着くしかなかった。
☆☆☆☆☆
この日は、スピーカーからの変な音や床下からの振動が響いてくることはなかった。
その代わり、思歌りんへの嫌がらせはさらに増えているようだった。
思歌りんのペンケースに、またスライミンが入っていたり、
お弁当を開けたらビックリ箱にすり替えられていたり(本物のお弁当は、教室の後ろにある思歌りんのロッカーの中に入れられていた)、
体育の授業でジャージに着替えようとしたら、やっぱりまたスライミンが入っていたり、
移動教室のときに呼春とミーと思歌りんで並んで歩いていたら、思歌りんの足もとの床にだけ水がこぼれていたみたいで、滑って尻もちをついたり。
……最後のは、単なる思歌りんのドジっぽいけど。
運の悪い呼春が巻き添えを食い、思わず手を伸ばした思歌りんにつかまられて一緒に転んでいたっけ。
嫌がらせを受けて沈んでいる思歌りんのそばには、いつも呼春やお嬢がついていて、心配そうに声をかけていた。
やっぱり仲よしグループだわ。
それでも、思歌りんはまだ呪いかもしれないと思っているらしく、ずっと血の気の引いたような青い顔をしていた。
そんな思歌りんとは少し離れた位置から、火野くんが心配そうな視線を向けていることに気づいた。
なぜか思歌りんは、このところ火野くんを邪険に扱っている。避けているようにすら思える。火野くん、ちょっとかわいそう。
「ねぇ、火野くんとなにかあったの?」
移動教室のときに、軽く尋ねてみたけど、「べつになにもないわよ」と、思歌りんはいつもの口調で答えるだけだった。
☆☆☆☆☆
結局、放課後になるまで思歌りんに対する嫌がらせは続いた。
「……なんか、散々だよね……」
葉雪が遠慮がちにつぶやく。
いつもの面々は、思歌りんを心配して席の周りに集まっていた。
「今日はこのまま家に帰るわ!」
思歌りんは荒々しくそう言って立ち上がると、机の横に掛けてあったカバンの取っ手をつかむ。
そしてそのまま、ずっこけた。
カバンを引っ張った勢いで机が倒れそうになるのを、お嬢が素早く手を伸ばして止める。
思いっきり尻もちをついた思歌りんは、涙目になりながら顔を上げた。
カバンを見ると、まだ机の横に掛かったままだった。
思歌りんはもう一度カバンの取っ手をつかみ、引っ張ってみたけど、びくともしない。
よく見てみると、カバンと同じ黒い色をした糸が何重にも巻きつけら、机から外れないようになっていた。
「もう頭にきた! びしっと言ってやらなきゃ!」
思歌りんはそう吐き捨てると、ドシンドシンと轟音が鳴り響くような勢いで教室を飛び出していってしまう。
「ボクたちも行こう! ……ほら、火野くんも! 急いで!」
「……ああ」
隣の席で心配そうな目を向けながらも積極的に輪の中に加われない様子だった火野くんに発破をかけると、呼春は思歌りんに続いて教室を出た。
火野くんは一瞬戸惑いながらも、すぐに立ち上がって駆け出す。
もちろんミーたち残ったメンバーも、そのあとを追いかけた。