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矛崎先生は呪われてしまったのでは。
そんな心配の声も聞かれたけど、次の日、先生は普段どおり学校にやってきた。
「先生! 大丈夫でしたか!?」
「ん? おお。見てのとおり、大丈夫だぞ~」
「そっかぁ~、よかった~」
元気な笑顔を見せる先生に、安堵の声が広がる。
「なんだ? お前ら、どうしたんだ~? 風邪で一日休んだくらいで。……でも、そんなに心配してくれるなんて、先生は嬉しいぞ~」
ちょっと真実とは違う方向な気がするけど、先生は満足そうな表情を浮かべているのだから、わざわざ水を差すこともないだろう。
「昨日は隣の樋口先生が来てくれたはずだよな? お前ら、迷惑かけてないだろうな~?」
「先生、俺たち、そんな問題児じゃないですよ~」
「ははは、そりゃそうだ。だが、今日は樋口先生が入れ違いでお休みしててな~。先に隣のホームルームに行ってきたが、二年生だからか、樋口先生のクラスだからなのか、みんな静かに聞いてたぞ~」
矛崎先生は、他愛ない話のつもりでそう言っただけなのだろう。
ただその言葉で、クラスメイトたちが微妙な雰囲気になっているのは感じ取ったようだ。
「木下~。昨日、なにかあったのか~?」
先生は、学級委員である呼春に話を促す。
「えっと……、実は昨日……」
慎重に言葉を選んでいる、という感じで、呼春はゆっくりと昨日の出来事を話し始めた。
「……なるほどな。樋口先生はそのせいで寝込んでいるのかもしれない、ってことか~」
「矛崎先生は、実祈さんの霊が存在するとお思いですか?」
お嬢が先生に質問を投げかける。
ミーにはなんとなく、そんなのいるわけないじゃないですかという否定的な雰囲気ではなく、いるはずですよね? と言いたそうな口調にも感じられた。
「……さあ、どうだろうな。あまりそういうのを信じるほうではないが、昨日のことに関しては実際にお前らみんなが体験してるんだろ? 樋口先生も、ってことになるか。これだけ大勢の証言があったら、信じざるを得ないかもしれないな~」
とりあえず、気をつけるんだぞ。
最後にそう言って、先生は教室を出ていった。
だけど、いったいなにをどう気をつければいいのやら……。
☆☆☆☆☆
今日もまた、妙なことが起こるのではないか。
そう思って身構えていたクラスメイトたちだったけど、とくに何事もなく時間は過ぎていった。
「昨日、あれだけのことが起こりましたのに、今日は不思議なほど静かですわね。静かなのは悪いことではありませんけれど、思歌さんや澪音さんまで静かになっておりますと、天変地異の前触れか、などと考えてしまいますわ。わたくしだけではなく、おそらくクラス全員の総意でしてよ?」
最近のミーと葉雪は、思歌りんたちグループと一緒にお弁当を食べるようになっていた。
そんなわけで、机をくっつけ合わせ、みんなで一緒にお弁当を食べていると、お嬢がそんなことを言い出した。
確かにミーは、昨日からいろいろと考えすぎているせいか、あまり喋っていなかった。
普段なら真っ先に話しかける葉雪に対してさえも、それほど多くの言葉を交わしていないような気がする。
「悩みごとでも、あるのかな?」
呼春が鋭い意見を述べると、すかさず葉雪が言葉をそよぎ出す。
「……じゃあ澪音は、知恵熱が出て元気がないのかも……?」
「なるほど、そうですわね。澪音さん、頭を使っちゃダメですわ! いつもみたいに、おバカさんでいてください! ……これで澪音さんについては解決ですわねっ!」
パチンと手を合わせて明るい笑顔を振りまくお嬢。
「こら待て! ちょっとミーの扱い、ひどすぎない?」
目を吊り上げて怒りの表情を見せると、
「……いつもの澪音に戻った……」
葉雪が真っ先にそんなことをつぶやいた。
この子、やっぱりかなりひどいよね?
そう思わなくもなかったけど、葉雪が晴れやかな笑みを浮かべているところを見たら、ミーとしても機嫌を直すしかないってものだ。
「うんうん、さすがツンマリだ! いつもの調子に戻って、よかったよかった!」
呼春まで、そんなことを言いながら笑っている。
ふん。ま、いいけどさ。
って、あれ?
べつにミーはもともと機嫌が悪かったわけじゃないはずなのに、どうしてこんなことになったのだろう?
ふと見ると、こんなに明るい食卓といった雰囲気の中、思歌りんはひとり黙ってお弁当を食べていた。
そっか、今までの会話も、思歌りんを元気づけるためだったってことね。
さすがは、仲のいい思歌りんグループだけのことはあるわ。
でも思歌りん、ほんとにどうしたのかな?
いつもだったら、ミー絡みの話題が出た途端、絶対会話に割って入ってくるのに。
もちろん、否定的な言葉を添えて、だけど。
「思歌りん、どうしたの? トイレなら我慢しなくていいんだよ?」
食事中の話題ではないけど、思歌りんを元気づけるためだ、あえて悪役に徹しようじゃないか。
そう息巻いて反応を待つ。
「ん、大丈夫……」
なっ……!?
思歌りんが、ミーから直接振った挑発にすら生返事しか返さないなんて!
「ちょっと思歌りん、ほんとに大丈夫なの!?」
ミーは思わず立ち上がり、思歌りんの両肩をつかんで激しく揺さぶりながら叫ぶ。
クラスメイト数人が何事かとこちらを見ているのはわかったけど、今はそれどころじゃない。
凄まじい勢いで揺さぶるミーに、とろんとした目線を向ける思歌りんは、そこまでやってようやく気がついたように口を開いた。
「やめてよ。大丈夫だからさ……」
そんな声を返すも、全然大丈夫そうには思えない。
とはいえ、ミーたちの思いは伝わったのだろう。思歌りんはポツリポツリと話し出した。
「実はね……」
思歌りんいわく、今日もおかしなことがたくさん起こっていたのだという。
下駄箱に真っ黒く塗りつぶされた手紙が入っていたり、
上履きに画鋲(なぜか針は抜かれていて、丸い部分だけになっていたらしい)が入っていたり、
机の中に粉々に砕けたクッキー(これはビニール袋に入っていたらしい)が詰め込まれていたり、
置きっぱなしだったノートにびっしりと落書き(といっても、まだなにも書かれていなかった白紙のページにだけ、しかも鉛筆でだったらしいけど)がされてあったり……。
「これって、実祈さんの呪いかな!?」
………………。
「……それって、単なる嫌がらせじゃ……」
葉雪は相変わらずストレートに言ってのける。
だけど葉雪の言うとおり、嫌がらせ以外にありえないだろう。
しかも状況的に考えて、思歌りんに危害を加えるつもりはまったくないのがうかがえる。
思歌りんはあんなツンケンした性格だから、それを逆恨みされてとか、きっとそんな感じなんじゃないだろうか。
それにしても、確かに嫌がらせを受けたら不快になるとは思うけど、こんなことであんなにも悩んでいたなんて。
結構デリケートなんだわ、思歌りんって。
☆☆☆☆☆
思歌りんの件で、なんとなく変な音とかのことは忘れてしまっていたのだけど。
やはりそれは起こってしまう。
午後になってすぐの授業中、昨日と同じように突然スピーカーから変な音が流れ出し、床からは振動を伴った衝撃音が鳴り響いた。
そしてまたしても被害に遭ったのは思歌りんだった。
教室の一番後ろの窓際にある思歌りんの席。そのさらに後ろにある掃除用具をしまうロッカーのドアが、振動のせいで見事に外れて思歌りんの頭を直撃したのだ。
運のいいことに、掃除当番の人が洗って干していたのか、ドアの上側のカドには雑巾が何枚も重ねて掛けてあり、痛みはそれほどなかったみたいだけど。
「うわ~~~っ! やっぱり私、呪われてるんだ~~~~!」
教室内に響き渡る音で精神的に追い詰められていたからなのだろう、思歌りんは大声でそんなことをわめき散らす。
「土浦さん、大丈夫ですか? 落ち着いてください!」
今日のこの時間は、日本史の笹塚先生の授業中だった。
先生は思歌りんに声をかけてはいたものの、他のクラスメイトたちもパニックになっている状況で、どうしたらいいかわからないといった様子だった。
「……大丈夫か?」
すぐ隣の席の火野くんが、思歌りんを優しく諭す。
さすが、思歌りんのナイト様だわ。
と思いながら、微笑ましく様子を見ていたのだけど……。
パシッ!
気を落ち着かせようした火野くんの手が肩に触れそうになった瞬間、思歌りんは右手を勢いよく振り上げた。
伸ばされていた手を思いきりはたいたのだ。
「あ……。だ……大丈夫に決まってるでしょ! ベタベタくっついてこないで!」
そう言ったきり、思歌りんは机に突っ伏してしまう。
呆然とする火野くん。
そんな火野くんの視線を受けながら、前の席のお嬢が後ろを向き、思歌りんの耳もとに顔を寄せて落ち着かせようとしていた。
☆☆☆☆☆
授業時間が終わると、笹塚先生はすぐに教室を出ていった。
「葉雪」
ミーは葉雪に声をかける。
「こういうときこそ、『みっしぃ』の出番だよ!」
昨日は葉雪の様子も少しおかしかったし、もしかしたら今日も拒否されるかもしれない。
ダメもと気分で、ミーは日課のパトロールをしようと提案したのだけど。
「……うん、わかった。ちょっと久しぶりだよね……」
意外にもあっさりと、葉雪は肯定の意思を示してくれた。
「……でも、ひとつお願いがあるんだ……」
葉雪からのお願いなんて珍しい。
と思って訊いてみると、そのお願いというのは――。