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「お疲れ様~、澪音!」
ミーのお母さんが、嬉々とした笑顔で飛びついてくる。
「葉雪ちゃんのバカバカバカ! なにをやってるのよ、ほんとにもぉ~!」
葉雪のお母さんは、両手を床に着いて項垂れていた葉雪を抱き起こすと、ぽかぽかぽかと軽い音のしそうな雰囲気で葉雪の体を叩きながら、わんわんとわめき散らしていた。
「あらあら、負け犬が吠えておりますわねぇ~」
「くぅ~、悔しいですけれど、勝敗は絶対ですわ……」
意外なほどあっさりと負けを認める葉雪のお母さん。
勝ったほうが正義。それがふたりのあいだの絶対の掟のようだ。
勝負をつけたのはミーと葉雪なのだけど。やっぱり、納得がいかない気もする。
それでも、ミーはこのイベントが大好きだった。葉雪も毎年そう言っている。
こんな衣装だって、なかなか着る機会なんてないしね。
観客からは、「面白かったぞ!」といった声にまじって、「来年も頑張ってくれよ!」などと気の早い言葉までもが聞こえてくる。
「ツンマリ、カッコよかったよ!」
「ふん、全然期待してなかったけど、ま、なかなかのものだったわね」
「うふふ、思歌さん、素直になったらいかがですか? だらしなく口をぽかーんと開けて、羨望の眼差しを送っていたじゃありませんか」
「ちょ……ちょっと、お嬢! な、なに言ってるのよ!? そんなわけ、ないでしょ!?」
観客の声に紛れて、そんな聞き慣れた声が響いてきた。
「思歌りん、呼春、お嬢!」
「……そして、その他のみんな……」
……葉雪、なにげにひどいよ、それ……。
一応補っておくと、火野くんと水巻くん、その妹の智羽ちゃんだった。
「あはは、いつもながら、彩鳥さんはお茶目だなぁ~」
「……いや、お茶目とは言わないと思う」
「お兄ちゃんだけならともかく、智羽までその他扱いはヤダ~!」
口々に文句を言う、その他の面々。……なんて言ったら、ミーまで怒られるかな。
「はっはっは、先生も含めて、その他なのか~? 彩鳥、覚えとけよ~! ま、それはともかく。蛍伽、彩鳥。ふたりとも、すごくよかったぞ~。最初に彩鳥が転んだときには、どうなるかとハラハラしたがな~」
矛崎先生まで来ていたなんて。わざわざみんなで見に来てくれたのだろう。
「まぁ、先生はたまたまこいつらを見つけて、演舞の直前に合流しただけなんだがな~」
「それはそうですわね。教師同伴でお祭りイベントに参加なんて堅苦しいこと、誰も望んでおりませんわ」
……お嬢もなにげに、ひどいかも……。
先生は苦笑いを浮かべていた。
「でもでも、お姉ちゃんたち、ほんと、カッコよかったよ~!」
飛び上がりそうなほどのはしゃぎっぷりで、智羽ちゃんが太陽のような明るい笑顔を送ってくれる。
智羽ちゃんだけじゃなく、いつもどおり素直じゃない言葉を投げかけてくる思歌りんも含めて、みんな満足そうな笑顔をたたえていた。
このイベントをやってよかった。
心からそう思える瞬間だった。
ミーはそっと葉雪の手を握る。
「いい戦いだったね」
「……うん……」
葉雪も、負けたとはいえ満足そうだ。
思わず可愛い葉雪の顔をじっと見つめてしまう。
葉雪もそんなミーをキラキラした瞳で見つめ返してくれた。
「でもま、ミーの勝ちって事実は変わらないからね。ご褒美は、あとでじっくり考えるわっ!」
ミーは葉雪にウィンクしながら、そう言い放つ。
ふっふっふ、どんなご褒美にしようかなぁ~♪
……あれ?
ふと見ると、葉雪はなんだか、ちょっと寂しそうな表情をしていた。
「……覚えてないんだ……」
「え?」
「……ううん、なんでもない」
葉雪はくるりと背を向けて、控え室のほうへ向かって歩いていった。
☆☆☆☆☆
葉雪ったら、どうしたんだろう?
ぼーっと立ち尽くしているミーの耳に、お母さんの声が届いた。
「ほら、澪音。あなたも着替えちゃいなさい」
「あっ、は~い」
お母さんは葉雪が入っていったのとは反対の控え室から顔を出してミーを呼んでいた。
その声に応えながら、そっか、葉雪も着替えに戻っただけなんだわ、と結論づける。
「みんな、ごめんね。すぐに着替えてくるから、ちょっと待っててね!」
「そのままでもいいのに。着替えちゃうの、もったいないな~」
「ほほう、水巻くんは、こういう衣装に萌えるわけね、メモメモ」
「ちょっと待ってよ! べつにそういうわけじゃあ……」
「お兄ちゃん、不潔!」
「不潔って、なんでだよ、智羽~! そんなんじゃないってば~!」
「いえいえ、わかりますわ。普段とは違った衣装を着た姿を見ることで、違った一面を見られたような感じがするというのは、わたくしでも同じですもの。単に違った服、というだけでもそういうイメージがありますのに、おふたりは巫女装束と修道服といういでたちなのですから、なおさらですわ。そもそも巫女というものは……」
そんな会話を背後に聞きながら、ミーは控え室に入った。
控え室の中にいても観客の歓声は聞こえてきたけど、壁に遮られているからか、少し遠くに感じられる。
それが、自分とは関係ない空間で響く無機質な音でしかないように思えて、わずかに寂しさを覚えた。
その寂しさにつられ、先ほどの葉雪の寂しげな表情が脳裏に蘇る。
「どうかしたの?」
不意に、お母さんがミーに優しい声をかけてきた。
いつもバカみたいにはしゃいでいると言われるミーだけど、寂しかったり心細かったりすることだってある。
そんなとき、お母さんはいつもこうやって優しく話しかけてくれるのだ。
「ん? ちょっと、疲れたかな、って」
「それだけじゃ、ないんじゃない?」
お母さん……。相変わらず、鋭いわ。
「……ん、実は葉雪の様子がね……」
口に出してから、しまったと思った。
今では口うるさく言われたりはしなくなったけど、神社の娘である葉雪とのつき合いは、お母さんにとってはあまり面白い話ではないはずだからだ。
でも。
「気になるのね。そういうときは、会ってちゃんと話すのが一番よ」
「……うん」
お母さんは、いつもみたいに葉雪のお母さんをけなしたりする言葉を吐いたりせず、素直にミーの悩みを聞いてくれた。
……やっぱりお母さんたちは、ほんとは仲よしなんだわ。
唯一無二の親友であるミーと葉雪みたいに……。
そう思って温かな気持ちになっていたミーだったのだけど。
優しい微笑みを浮かべていたお母さんは、突然吹き出し、
「うふふふふふ、なにせ今日は、うちの圧勝だったものねっ! もう笑いが止まらないわっ!」
と、大声で笑い始めた。
……前言撤回。
ミーと葉雪は、絶対こんなふうにならないようにしよう。
改めて強く心に誓うのだった。
☆☆☆☆☆
普段着に着替えて控え室を出ると、葉雪も着替えを終えて待ってくれていた。
「葉雪っ!」
ミーは葉雪の手をぎゅっと握る。
すぐにでもつかまえないとミーのそばから消えてしまいそうな、そんな不安があったから。
「……うん」
葉雪はうつむきながら、ただ頷いていた。
うん、葉雪はいつでもミーと一緒だ。ミーたちは多くの言葉を交わさなくても、心はつながっているのだ。
そんな温かな気持ちを抱えながら、みんなの待っているステージ下へと向かった。
「あれ?」
なにげなく視線を送ってみると、矛崎先生と葉雪のお母さんが話をしているようだった。
「…………お久しぶり…………。……あのときは…………」
「……いえいえ……。…………今も…………?」
「はい…………。ですが……………」
「そうですか…………」
なにを話してるんだろう?
担任の先生だってことがわかったから、単に挨拶してるだけなのかな?
だけど、お久しぶりとかって言ってたよね?
今の高校にはこの春入学したばかりで、授業参観や三者面談なんかもまだしていないのに。
先生と葉雪のお母さんって、もしかして以前から知り合いだったのかな?
そんな疑問を持ち、葉雪の表情をうかがってみたけど、彼女にもよくわからないみたいだった。
「あっ、ふたりともお帰り~」
呼春がミーたちに気づいて声をかけてきた。
すぐに他のみんなも、こっちに集まってくる。
「あんたたちは、相変わらず仲がいいわね~」
両腕を組みながら皮肉たっぷりといった様子でそんなことを言っているのは、当然ながら思歌りんだった。
そっちこそ、相変わらずだわ。
「ふふふ、わたくしたちだって、仲よしですわよね~、思歌さん♪」
そんな思歌りんに、お嬢が咲き乱れるような笑顔を浮かべてベタベタとくっついている。
「思歌さんといえば、このあいだ面白いお話を入手しましたの。思歌さん、今でこそこんな天邪鬼な性格になっておりますけれど、小学生の頃は、それはそれはもう泣き虫だったみたいなんです。おねしょをして怒られて泣き叫んでいる姿が、ご近所では日常の風景だったそうですわ」
「なっ、ちょ、お嬢! どこでそれを……!? っていうか、違っ! 嘘よ、嘘! こんなのお嬢の作り話だからねっ? ほんとだからねっ!?」
「……そんなにムキになったら、認めてるようなものだよ……」
葉雪、正しいツッコミだとは思うけど、言っていいか悪いかのタイミングはつかんだほうがいいよ。
まぁ、この子に言っても無駄だとは思うけど……。
そんな葉雪の言葉を受けて、思歌りんは顔を真っ赤に染め、ムキになって否定している。
それにしても、お嬢はどこからそんな話を仕入れてきたのだろう。思歌りんの小学校時代の友人に賄賂でも渡したのかしら。
お嬢は思歌りんに温かい視線を向けながらも、まだベタベタとくっついていた。
「はいはい、そこまで~。ベタベタするなら、こっちでしょ? 思歌は火野くんのものなんだから」
呼春がふたりのあいだに割り込んで引き離すと、火野くんの背中を押して思歌りんに寄り添わせる。
「ちょ、ちょっと、呼春……!」
やっぱり恥ずかしがる思歌りんだったけど、言葉とは裏腹にとっても嬉しそうだった。
「ほらほら、もっとくっついて! 恋人同士なんだからさ!」
呼春が無理矢理ふたりをくっつけさせる。
「……さすがにこれは恥ずかしいな」
「視言も、そんなこと言ってないで反論するとかしてよ!」
「……そう言われてもなぁ」
そんな言い合いも、ふたりのラブラブぶりを助長させるだけだった。
あはは。思歌りんって、やっぱり可愛いな。
もちろん口が裂けても本人に言ったりはしないけど。
「…………」
ふと葉雪に目を向けると、複雑な表情をしながら思歌りんたちを眺めていた。
視線をたどってみると、その先はラブラブなふたりではなく、それ以外のメンバー――お嬢と呼春、智羽ちゃんのようだった。
三人とも笑顔ではあるものの、葉雪同様、ちょっと寂しそうな表情をしている気がした。
あれ? ひとり足りない?
そう思って探してみると、水巻くんはなぜか少し離れた位置からみんなに視線を向け、微かに苦笑を浮かべていた。
みんなして、いったいどうしたというのだろう?
「さて、先生はそろそろ帰るかな~。蛍伽、彩鳥、今日は楽しかったよ。それじゃあ、みんなも、あまり遅くならないうちに帰れよ~」
矛崎先生の声で、ミーたちも解散することになった。
解散したあとは、ミーの家と葉雪の家、それぞれでイベントの後片づけをする。
町内会の方々も協力しての後片づけは夜遅くまで続く。そのあとは毎年、宴会となるのだけど。
葉雪との演舞で疲れていたミーは、すぐに自分の部屋へと戻り、眠ってしまった。