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朝から春先とは思えない暖かな日差しが照りつける。
イベント当日の日曜日は、そんな絶好の陽気となっていた。
午前中に最終的な準備を終わらせ、正午の鐘の音とともにそれぞれの出店からは美味しそうな匂いの煙が立ち昇る。
お客さんを呼び込む威勢のいい声も響き始めた。
たくさんのお客さんが、教会と神社の敷地内にひしめき合っている。
イベントの雰囲気に呑まれた人々は、みんな清々しい笑顔をこぼしているようだった。
そんな中を、ミーと葉雪は並んで歩いていた。
バトルの演舞が始まる一時間くらい前までは、自由にイベントを楽しんでいいことになっているからだ。
「……今年も、大盛況だね……」
「そうね~。みんな、お祭り騒ぎが大好きなのね」
「……事の発端が、お母さんたちのケンカだなんて、もう全然関係ないのかな……?」
「関係ないでしょ、そんなこと。楽しけりゃ、なんでもいいのよ! ……あっ、おじさん、リンゴ飴ひとつっ!」
「……あんまり食べると、太るよ……?」
ミーが出店のおじさんに笑顔を振りまいてリンゴ飴を注文すると、案の定、葉雪がツッコミを入れてきた。
そっか、葉雪はしっかりダイエットしてるって言ってたっけ。
「ミーは太らないも~ん♪ 葉雪だって食べたいでしょ?」
「……食べたいけど、太りたくないし……」
そう言いながらも、ミーが食べているリンゴ飴にチラチラともの欲しそうな視線を向けてくる。
葉雪も食べたいんだろうな~。甘いもの大好きだもんね。
「じゃ、ひと口だけ」
すっと、かじっていたリンゴ飴を差し出すと、
「……ありがとう……」
控えめにお礼を述べながら、葉雪はミーがかじっていたところをパクッとくわえる。
もぐもぐと、口の中が見えないように小さく噛んで、美味しそうに食べる葉雪を、ミーはほのぼのした気持ちで眺めていた。
「ふふっ、間接キッス♪」
ミーがそう言ってからかうと、
「あぅ……」
とつぶやいて、リンゴみたいに真っ赤になる葉雪。
「もう、なに赤くなってるのよ。女の子同士なんだから、べつにいいじゃん」
そう言って、ミーも葉雪がかじったリンゴ飴をパクッとくわえる。
ほのかに葉雪の香りが感じられるようで、とても美味しく思えた。
「リンゴ飴、美味しいねっ!」
「……うん……」
ミーの声に応えた葉雪は、なんとなく沈んだような表情をしていた。
「あれ? どうしたの?」
「……ううん、なんでもない……」
いくら訊いても、葉雪はそのことに関して、ちゃんとした答えを返してはくれなかった。
☆☆☆☆☆
楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうもので、あっという間に演舞の準備をしなければならない時間となった。
「それじゃあ、あとでねっ!」
「……うん……」
そう言葉を交わして、ミーと葉雪はそれぞれステージの横に設置された控え室に入る。
この中で演舞用の衣装に着替えるのだ。
「澪音、体調とかは大丈夫?」
お母さんが着付けをしながら話しかけてきた。
演舞には、ミーが修道服、葉雪が巫女装束で臨む。
激しく動き回って観客の目を惹くことが重要なので、ひらひらと大げさなほどに布地が風に舞いながらも、はだけたりはしないように厳重に縛りつけたり縫いつけたりする必要があった。
だからお母さんに着替えを手伝ってもらう。
そのとき、お母さんはこうして、いろいろと喋りかけてくれるのだ。
「うん、大丈夫っ!」
「ふふっ、絶対負けちゃダメよ? めっためったに打ち倒してあげなさいね」
「いや、お母さん、演舞なんだから、さすがにそれは……」
「演舞じゃなくて戦いよ!」
お母さん同士のでしょ……。
どうにか口には出さずに留める。
葉雪のお母さんとの争いに関しては、どんなに口を挟んだところで無駄なのだから。
「まぁ、ミーも負ける気なんて、さらさらないわよ」
ご褒美のこともあるしね。心の中でつけ加える。
「さっすが、私の自慢の娘だわっ! さて、そろそろ時間よ! 頑張ってね! 紗雪にひと泡ふかせてやるのよっ!」
「それはどうでもいいけど……いえ、蛍伽澪音、行って参ります!」
睨みつけられていることに気づいたミーは、言葉を途中で区切り、敬礼をしてステージへと向かった。
☆☆☆☆☆
ミーがステージに飛び出すのと同時に、巫女装束を身にまとった葉雪も、ステージの反対側から歩み出てきた。
「うわっ、やっぱ可愛いわ、葉雪っ!」
そんな大声を上げてしまうくらい葉雪のイメージに合っていて、とても可愛かった。
観客からの歓声によって、思わず漏れていたミーの声はかき消され、本人のもとへは届かない。
そんな状況だから、葉雪がぼそぼそとなにか言っているみたいだったけど、その声がミーに聞こえることもなかった。
ともかくミーと葉雪は一礼して、ステージの中央へ向かって歩き出す。
そこで向き合い、さらに一礼してから演舞が開始される決まりとなっている。
と、葉雪が歩き出した最初の一歩目で、いきなり盛大にすっ転んだ。
それはもう、ドシーンと音が響くのではないかと思うくらい盛大に。
葉雪の衣装は裾が長いから、それを踏んづけてしまったのだろう。
うわ~、葉雪ってば、いきなりなにやってるのよ! ここからじゃ、フォローもできないじゃない!
そう思ったのだけど、
「葉雪ちゃん、頑張れ~~~!」
「緊張しないで、落ち着くのよ~!」
真っ赤になっている葉雪を応援する声が響いてきた。
むむむ……。
葉雪だから計算ってことはないとは思うけど、観客の大部分をしっかり味方につけられてしまったようだ。
戦いが始まる前にいきなり劣勢に追いこまれた感は否めない。
ステージの上には、「澪音VS葉雪、シスターと巫女の本気の戦い!」と書かれた、派手な装飾が施されている看板が立てられている。
だから、ミーたちの名前は観客にもわかるのだ。
というか、どちらが勝つかで賭けとかしてるんじゃないかしら。
あの母親ならありえるかも……。そう思って毎年問い詰めているものの、そんなことはしてないとの答えしか返ってこない。
その割に、イベントが終わったあとはしばらくのあいだ、食卓のおかずが豪華になっているような気がするのは、ミーの思いすごしだろうか。
……と、いけないいけない。イベント中なんだから、今は目の前の敵(葉雪)に集中しないと。
まだ真っ赤な顔のまま照れ笑いを浮かべている葉雪が、ステージの中央でミーの正面に立つ。
「やるわね、葉雪。ドジな自分をさらけ出して、観客を味方につけるなんて」
すぐ目の前で対峙している状態にもなれば、観客の歓声が大きくても、お互いの声は届く。
「あぅ……。そういうつもりじゃないよぉ……」
あくまでもしらを切るつもりね。
まあ、いいわ。よし、こうなったら……。
「でもね、葉雪。さっき転んだとき、パンツ丸見えだったわよ?」
「……ええっ!?」
思ったとおり、葉雪は動揺し始める。
「ふふふ、はだけたりしないように帯をしっかり強く巻いてるみたいだけど、あの盛大な転び方じゃ防げなかったみたいね。葉雪のことだから、いくら激しく動く演舞だからって、神様の御前だもんね、見られてもいいニセモノのパンツなんて、はいてないでしょ? ふふふふ。あ~あ、こんな大勢の観客に見られちゃって、葉雪、かわいそ~!」
ミーは必要以上に大げさな身振り手振りをまじえて、葉雪を言葉で攻撃する。
まだ演舞は始まっていないけど、戦いはすでに始まっているのだ。
こんなことを言ってはいるけど、ミーだってべつに、見られてもいいパンツをはいているわけじゃない。
だけど、しっかりと布を縫いつけたりして準備してある衣装なのだから、派手な転び方をしたところで見えるはずがない。
晴れの舞台で転んでしまったからだろう、葉雪は今、恥ずかしさで焦りまくっている。だから、そんな簡単なことにすら、気づく様子はなかった。
「ふふふ。ま、演舞中も頑張って、せいぜい見られないようにしなさいよっ!」
ダメ押しでそう言いながら葉雪に笑みを向けたところで、演舞の開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。
☆☆☆☆☆
案の定、葉雪は動きが鈍かった。
裾を気にしながら動いているのだから、当たり前だ。
とはいえ、これだけたくさんの観客が集まってくれたのに、すぐに決着をつけてしまうというのも悪いだろう。
なんといっても、これは戦いというより見世物なのだから。
激しい動きをしてくれなくなっている葉雪の代わりに、ミーがなるべく派手な動きを見せてあげないと。
そんなことを考えながら、ミーは演舞を続ける。
「ふふふ、今ちょっと見えちゃったんじゃない?」
こうやって、たまに葉雪の耳もとでささやいたりするのも忘れずに。
お互いに腕を、脚を、そして飾りのついた杖を、大げさに振り回す。
演舞では、『神様の杖』と呼ばれる、ご神木で作られた杖も使う。
腕や脚を使った演舞だけでは、派手さが足りないからだ。
飾りをつけて、ひらひらと舞い踊っている様子を、さらに強調する役目もある。
腕を、脚を、杖を打ち合わせる音が、ひっきりなしに響く。
そんな、傍目には緊迫した戦いが続いた。
実際には、完全にミーのペース。
いくらなんでも、裾を気にしすぎだよ、葉雪。
ただ、ミーのほうも少し疲れてきていたのは事実だった。
もう十分以上は演舞を続けているはず。そろそろ、決着をつけてもいいかな?
そう思った、ちょうどそのとき。
ミーは葉雪と同じ失敗はしまいと、自分の衣装の裾には注意を払っていた。
だけど、足もとにあるのは、自分の裾だけではなかったのだ。
ずるっ。
ミーの足は、葉雪の巫女衣装の裾を踏んづけ、そのせいで思いきり滑ってしまった。
あっ! と思ったときには、もう遅い。
ミーはそのまま後ろに倒れ、尻もちをついてしまう。
目の前には、神様の杖を高々と掲げている葉雪。
「ふっ。ミーの、負けね……」
ミーは、すっかり観念した声を上げる。
それまで劣勢だったことがわかっている葉雪は、数瞬のあいだ躊躇しているみたいだったけど。
やがて意を決し、
「……澪音、ごめんね……」
そう言いながら、葉雪は杖を振り下ろした。
☆☆☆☆☆
「勝者、澪音!」
わーーーーーーーーっ! と大きな歓声が轟く。
そう、勝者は澪音、つまり、ミー。
葉雪は最後の最後で、最大の失敗を犯したのだ。
神様の杖を振り下ろしながらも非情になれなかった。だから、ゆっくりとした動作で振り下ろした。
ミーが観念しているようだから、それで勝ちだと思ったのだろう。
でも。
ミーは振り下ろされた杖をしっかりと左手で受け止め、右手に持ったままだった自分の神様の杖を、葉雪の頭に容赦なく打ちつけた。
というわけで。
「ミーの勝ち~♪ さ~て、葉雪にはなにをしてもらおっかなぁ~♪」
「……うう~、負けちゃった……」
ステージの上には、満面の笑みを浮かべるミーと、がっくりと項垂れる葉雪という、対照的な構図が出来上がっていた。