第十区切り
「母さん」
キッチンに立ち、背を向けている母さんにそっと、声を掛ける。
「なあに? なによ、そんな改まって、みたいな神妙な顔しちゃって」
ふふっと、母さんが優しい笑い声を漏らす。
「母さんは、俺のこと信じてる?」
「何言ってるの。当たり前じゃないの」
「そっか。ありがとう。そうだよね。ありがとう。おかげで、分かりそうだよ」
「なによ、もう。いいのよ、私はあんたの母親なんだからね」
そう、だね。
俺の、母さんだ。
俺をずっと、十六年もの間、女手一つでここまで育ててくれた、俺の大事な母親だよ。
――だから、失うわけにはいかないんだよ。
「母さん、俺ちょっと、もう一人の母さん呼んでくるね」
「いってらっしゃい」
流れっ放しだった水道の水が、キュッという音と共に止まる。
とても、静かな空間。
俺が、少し前に大嫌いになった時計の針の音だけが聞こえる。
この家は、こんなに静かなのか。
べつに、このへんにいくらでも他の民家もあるのに、とても静かだ。
俺と母さんだけが、別世界に来た、みたいなもんか。
まあ、休日だから外に出れば、幾人もの人間が道を往来しているのだろうけれど。
「いってきます。なんて、そんな大それたもんじゃないんだけどね。すぐそこの寝室なわけだし」
「ふふ、それもそうね」
「そうだよ。じゃあちょっと行ってくるね」
「ええ」
母さんは、近くにあったタオルで手を拭き、優しく微笑んでいた。
――嗚呼、見慣れた笑顔だ。
昔から、この時間は確かに好きだったけれど、こんなに温かく優しい物だとは感じなかった。
母さんと、こうして二人で過ごす時間を、失うわけにはいかない。
だから、俺は、――偽者の母さんを殺すんだ。