第九区切り
母のどちらも、声を失った。
当たり前だ。実の息子に、『あなたを殺さなきゃいけない』と言われたようなものだ。
そして事実――それで合っているのだから。
母さんの一人が椅子から立ち上がり、部屋のほうへとフラフラと頼りない足取りで行った。
俺はその背中を心苦しく見ているしかなかった。
危なっかしく歩いている姿を見て、つい手を貸しそうになったが、今、自分がそんなことをすべきではないことにすぐに気付いて堪えた。
隣に座っているもう一人の母も、寂しそうな顔をしてもう一人の自分を見ていた。
二人だけが残ったリビングには、静かな時間が流れる。
けれど、それは決して穏やかなものではなく、重々しく、苦々しいものだった。
「……ごめん、母さん。俺もどうしてこんなことになったのかよく分からなくて……でも……」
「そう……しなくちゃいけないことは確かなのね」
「うん……」
母が言った『そうしなくちゃいけないこと』という言葉の意味など、言わずとも分かりきっている。
俺が、俺自身の手で、二人いる母さんのどちらかを――殺さなくちゃいけない。
そうしなければ、母さんだけでなく、俺も死ぬ。
俺が死ぬだけで済むのなら、自分の命などいくらでも投げ出す。
しかし、自分が命を投げ出したところでどちらも助からないし、助かる可能性を捨てるのも、馬鹿げていると思える。
だから、もう、そうするしかないのだ。
「お母さん自身、よく分からないけど、冗談かなんかじゃないのは嫌ってほど分かるわ。私自身が困惑するほど、もう一人いるお母さんも私によく似ているわ。……だから、きっとあなたには難しいわね。でも、どうすることもできないのも分かってるから、あなたが頑張りなさい」
「……うん。ありがとう」
母さんだ。
俺の知っている、昔から大好きな母さんだ。
でも、だから、しなくちゃいけない――。
ありがとう。
もう決めた。そして、ヒントを貰った。
少しだけ、希望の光が見えた。
それはひどく頼りのない、細く弱い光だけど、真っ暗な世界に希望をもたらすのには充分な光だった。