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  作者: かの@
6/7

龍と獣

 市での買い物が終わって気づいた時には、すでに寺院の鐘が鳴り終わり、丸い月が雲間から顔を覗かせていた。昴流は、翠嵐を金蘭の真ん中を突き抜ける大通りまで連れて行った。夜も眠らぬ街の喧噪に翠嵐が目を奪われていると、唐突に目の前の背中が立ち止まる。しかめられた眉の下、昴流の厳しい視線の先を追うと、細い路地裏にするりと人影が滑っていった。

「悪いが、私は少し用ができたから、先に食事をとっておいてくれ」

 握っていた手と手が離れた。昴流は翠嵐に銅銭を何枚か渡し、引き止める間も与えず狭い裏路地の向こうに姿を消した。

 掌がやけにすうすうする。置いて行かれたような気持ちになったが、しょうがないと自分を奮い立たせて目の前の店の中に入った。一人で店に入るのは初めてで、心細さが翠嵐の身体を少し強ばらせた。店内を見回して、空いている椅子に座る。すぐに注文を聞かれたのでつっかえながら答えたのち、そのまま何をするでもなく縮こまっていた。

 その声が耳に飛び込んできたのは、だから偶然だった。あるいは『龍族』という言葉に、自分が思う以上に敏感なのかもしれない。

「龍族を捕まえると面白いもんが見れる」

「どういうことだ?」

 翠嵐の席のすぐ向かいで、好奇心を抑えきれないといった様子の男たちが、酒を囲んで大声で話している。

「龍の奴ら、最初はな、人間を見下してやたらと馬鹿にした態度をとるんだよ。それをみっちり痛めつけて、とにかくしつける。何が何でも、膝をつかせるんだ」

「どうやって?」

「一番良いのは、子どもだな。龍の子どもを捕らえて、そいつを痛めつけてやる」

「なるほどなあ。龍は情が深いと聞いたことがある」

「あいつらが初めてご主人様、と言った時の悔しそうな目といったら」

「力を失うと、人型を保てなくなって龍の姿に戻るんだろ?」

「そうさ。それで、轡をはめられて、きいきい五月蝿く鳴くんだぜ」

「人型の時には高慢ちきで減らず口をたたくっていうのに、本性はまるきり獣だな」

「良い気味だ。まったく、龍神さまも形無しだ」

 げらげらと男たちの笑い声が重なった。

 すう、と血の気が引いていくのに、心臓だけがどくりと波打った。哀れな龍の末路を、酒の肴に、面白おかしく話しているのだ。目の裏がかっと真っ赤に染まったと思ったら、翠嵐は男たちの前に立って、ばんと掌を机に叩き付けていた。

「龍族は獣なんかじゃないもん!あなたたちに、侮辱されるような存在じゃない!」

 自分でも、どこから出たのかと思うくらいの大声に、店が一瞬静まる。そこで翠嵐は、はっと我に帰った。

 男たちが目を丸くしたのは少しの間で、すぐにその目が油断なく細められる。ぴゅい、とはやすような口笛があちこちであがり、男たちは、それに応えるように気怠そうに腰をあげた。がっしりした上背は立ち上がると相当な迫力で、勢いのそがれた翠嵐は一歩後さじった。男はそのまま翠嵐が逃げるのを許さず、ぐい、と翠嵐の細肩を掴む。無骨な指をかけて、翠嵐の顎を無理矢理持ち上げた。

「何をするの!」

 じたばたもがく翠嵐を検分するようにじろじろ眺め回す。視線が服の中にまで入り込んでくるようで、嫌悪で鳥肌がたった。

「威勢がいいねえ、お嬢ちゃん。やけに綺麗な面してると思ったら、さては龍の子どもだな。この銀の髪といい、碧の目といい、珍しい色だ」

「違う!…わたしは龍じゃない」

 自分で言った言葉が自分を傷つける。翠嵐のその躊躇いが、男たちの疑念を更に深めたようだった。

「じゃあ、なんだってそんなに龍族を庇う?」

「それは…だって、龍神様を祀る一族だから」

 じたばたもがいても、男たちの前ではかなしいくらいに翠嵐は無力だった。顎を持ち上げられ、いいように視線にさらされる屈辱に、目尻に涙がうっすら浮かぶ。悔しくて、翠嵐はきっ、と精一杯男のひげ面を睨み上げた。

「おい、どうする」

「近くに親もいないようだしな。こっちの準備もないまま、親にみつかると後が面倒だ。龍かどうかは、連れ帰ってから調べる方がいい」

「別に龍じゃなくたって、使い道はいくらでもあるさ」

 使い道。翠嵐のことをまるで道具みたいみたいに言い合う男たちに、翠嵐は怒りも冷えて固まった。分厚い掌で口を塞がれると、あっという間に軽々と抱き上げられる。ばたつかせた足が男の腹にあたっても、男は薄笑いを浮かべただけだった。男たちは酒場の主人に銭を払って出て行く。好奇や哀れみの視線が向けられても、酒場の誰も彼らを止めようとはしなかった。

 今更ながらに翠嵐は自分の行動を呪った。どんなに幼い妖魔でも、自分より大きな妖魔に戦いを挑まないのに。自分みたいな、世間知らずで親の庇護すらもない子どもが、たてついていい相手ではなかった。なんであんなに、許せない気持ちになったのだろう。

 ──助けて!助けて誰か…!

 こんな時にいつも呼べと言われた名は、もう呼べない。向き合うことが怖くて、飛焔から逃げたのは、翠嵐自身だ。

 ──助けて、昴流…!

 結局、混乱した翠嵐が呼んだのは、つい数日前に知り合ったばかりの男の名だった。その名を呼んだところで、どうにもならないと解っていても。

「おい。私の連れを離してもらおうか」

 落ち着いた低い声が飛び込んで来て、翠嵐は耳を疑った。ち、と男が舌打ちする。乱暴に翠嵐を下ろすと、後ろの男にむかって突き飛ばした。よろけた翠嵐をすぐ後ろの男が羽交い締めにする。

 昴流だった。彼が、翠嵐の目の前、男の向こう、往来の真ん中に立って静かにこちらをみつめていた。早くも野次馬が集まり始めている中、余裕すら感じさせるゆっくりとした動きで、腰の長剣を抜く。すっと上段にかまえ、全身黒い装束に包まれた身体が沈み込んだ。対する男がごくり、と息をのんだのが、翠嵐にも聞こえた。

「おまえら、援護しろ!」

 その言葉を合図に、翠嵐を捕らえる以外の三人の男が得物を手に飛びかかる。獲物を捉えて細まった昴流の切れ長の瞳が、薄闇の中、街の灯りをうけて煌めいた。

 それはまるで演舞だった。昴流の剣先が、男の剣を跳ね上げ、衣を切り裂く。決まった型などない。流れる水のように変幻自在に姿を変えて、昴流の剣は男たちを弄んだ。

 昴流の身体が男たちの間を風のように走り抜けただけで、男たちは次々薙ぎ倒された。風はすぐに翠嵐の前に辿り着く。切先が翠嵐の前でぴたりと止まる。

「おまえも命を失いたいか」

 自分の背後の男に向けられた言葉なのに、翠嵐はその眼光におののき、そして魅入られた。なんてつよい、強者の言葉。自分を抑える太い腕が、震えている。この人も、怖いんだ。

 ひい、と裏返った悲鳴をあげて、男が転びそうになりながら逃げて行く。昴流はそれを黙って見送ると、倒れた男の衣で剣の血糊をぬぐって鞘におさめた。鞘におさめるまでが、一つの流れのようだった。思わず溜め息をついた野次馬が、昴流の一睨みで散り散りになる。昴流は翠嵐を振り返ると、行くぞとぶっきらぼうに言って左手を差し出した。


「なぜあんなことになった」

 怒鳴りつけるでもなく、静かに問われ、かえって翠嵐は見捨てられる予感に怖くなった。

「ごめんなさい」

 翠嵐もあの一瞬、自分の身体を突き抜けた激しい落雷のような怒り──衝動を、うまく説明できないのだった。今どこを探しても、そんな感情は残っていない。

「龍族のことを馬鹿にされたの。そしたら…、堪えきれなくて、怒鳴ってしまって」

 昴流はそこで、呆れたような、顔をしかめるような妙な表情をした。

「喧嘩を売るなんて、愚かな者のすることだ」

「ごめんなさい!」

 翠嵐はぎゅっと目をつぶる。なんで、あんな考えなしのことをしてしまったんだろう。後悔がぐるぐると頭の中で渦を巻いて、自己嫌悪の海に突き落とされた。結局、昴流の足を引っ張ってばかりではないか。

「あいつらがどんな話をしてたのかは大体想像できる。……おまえはこんなに小さいのに、ちゃんと龍なんだな」

 その言葉は、怒りというよりは、しみじみとした響きを含んでいた。

「え」

「龍はたとえ子どもでも怒らせてはならないという。獣は自分より大きいものを恐れるが、龍は恐れないから」

 ぽん、と頭に手をのせられてぐしゃぐしゃとかき回すように撫でられた。荒っぽいやり方。なのに、その手が離れてしまうと、不思議と翠嵐は名残惜しい気分になった。

「悪かった。酒場にこんな小さい子どもを一人で放り込んだ私の不手際だ」

 どうやらそれを気にして、昴流は用事を切り上げて戻って来たらしい。

「いいか。勘違いするなよ。もう二度と自ら危険を作るようなことはするな。自分の身は自分で守れ。今度は、見捨てる」

「うん」

 翠嵐はこくりと頷いた。言われなくとも、翠嵐もあんなことになるなら感情を落ち着かせる方がましだと思った。昴流が助けてくれなかったら、今頃翠嵐は彼らに囚われて恐ろしい目にあっていただろう。

「ありがとう、昴流」

 ああ、と昴流は頷いただけだったが、翠嵐は微笑んで、繋いだ手に力をこめた。


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