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  作者: かの@
4/7

背中合わせ

 翠嵐のお腹が空腹を訴えてよじれてきた頃、昴流は帰って来た。その服では目立つだろうと言って、翠嵐に新しい服を差し出す。

 昴流が黙って部屋から出て行ったので、慌てて翠嵐は着替えようとした。しかし、困ったことに、着方が解らない。いつも雲上原では衣は侍女に着せて貰っていたし、雲上原にくる前は子供用の簡素な服しかきたことがない。


「もう着替えたか」


 結局、扉の外から昴流に声をかけられた時、翠嵐は慌てて頭から一枚の布をかぶり、かろうじて腰に紐を巻き付けただけの状態だった。


「ううん…まだ」

「なんだ、何をとろとろしているんだ」

「それが、着方が解らなくて」


 扉の外で、溜め息が聞こえた。


「入るぞ」


 翠嵐が言葉を失っているうちに、昴流はさっさと扉をあけて中に入って来た。表情1つ変えず、散らかった布の中央に座り込む翠嵐をじろじろ眺めると、「おまえは蓑虫か」とこぼした。

 翠嵐は恥ずかしさと情けなさで、かあ、と顔が熱くなるのを感じた。


「ごめんなさい」

「いや、私の気が回らなかった。おまえは初めてなんだから、仕方ないだろう」


 昴流は手早く翠嵐の衣を手に取ると、上から重ねていった。

 意外に細やかな手つきで、穴に翠嵐の手を通させ、紐を結び、きちんと衣服を着せてくれる。最後に翠嵐の長い髪の毛をとると、なんと簡単に編み込んで結ってくれた。

 青銅の鏡で確認すると、翠嵐にはとても真似できないくらいきっちり結われている。翠嵐は心底感心しきって昴流を見上げた。


「昴流って手先が器用なんだね」

「これくらい、自分でできるのが当たり前だ。一人前の女ならな」


 半人前、と暗に言われた気がして、翠嵐は口を開けたまま何も言えなかった。




「あのね、わたし、江南の方に行きたいの」


 翠嵐は、恐る恐る切り出した。酒に酔った男たちの合唱で、翠嵐の声などかき消されそうだ。聞いたこともない尻上がりの調子で、陽気な音階。

 翠嵐のお腹がついに音をあげてぐう、と主張したのを聞いて、昴流が黙って連れていってくれたのは宿の一階だった。油に汚れた木の扉を押し開けると、そこは金蘭の荒くれ男たちが飲み交わす居酒屋になっていた。


「なぜ」


 昴流は驚くでもなく、淡々と口に粥を運ぶ。翠嵐の目の前にも、同じ粥が用意されていた。木の椀に注がれた粥は自分の顔がうつるくらいに薄く、具は雑草みたいな草が少し入っているだけだ。

 翠嵐は最初は試しにちょっぴり、それをすする。味は少ししょっぱい。でも、あったかくてなんだかほっと安心する。


「わたし、昔は江南の小さな山里に住んでいたの。事情があって、もう雲上原には戻れないから。だからそこに行きたいんだけど、行き方を教えてくれる?」

「一人で行くつもりなのか」


 うん、と翠嵐は頷いた。ここまで流されるままに昴流についてきてしまったが、この宿も、このご飯も、ただではないということを翠嵐だって知っている。本当は、誰かについてきて欲しかったけれど、護衛を雇うようなお金を翠嵐は持っていなかった。


「無理だな」


 けれど、翠嵐の勇気を振り絞った決心を、あっさり昴流は切り捨てた。


「なっ、なんで」

「おまえは世間知らずだ。ここから江南まで、何日かかるか知っているか?道は解るのか?江南に行くには、河を渡らなきゃいけない。河の渡り方を知っているのか?」


 翠嵐はぐうの音もでない。ほら見ろ、と静かな漆黒の瞳が言っている。


「でも、わたし、それじゃあどうしたらいいか…」


 途方にくれて俯くと、情けない顔をした自分が粥にうつっていた。その顔がぼやけそうになって、慌ててまたたく。


「別に、一言言えばすむ話だろう。連れて行ってくれと言えばいい」

「連れていってくれるの!?」


 昴流はいつの間にか粥を食べ終えていた。翠嵐を待つ素振りもみせず、さっさと財布を取り出して席を立つ。翠嵐は慌てて残りの粥を口に流し込むと、跳ねるようにして昴流のあとを追った。




「たまたまそっちの方向に用があるだけだ。それに、対価は払うと言っただろう」


 昴流は部屋に戻ると、にこにこしている翠嵐に素っ気なく言い捨てた。それでも、翠嵐は全然かまわない。


「よかった。ほんとは、一人でとっても不安だったの。だから、昴流みたいな人が一緒にいてくれると、とっても心強い」


 昴流は、素人の翠嵐がみてもかなり旅慣れていた。

 最初、お金がないわけでもなさそうなのに、なぜこのような古い宿を選んだのか不審に思っていた。聞いてみたら、逆に質問で返された。銅貨3枚は安いと思うか、と。

 翠嵐は銅貨3枚がどのくらいの価値があるのか解らなかったが、聞けば中級程度の宿がとれる値段であるらしい。この宿は、部屋は良くない代わりに妖魔の管理が手厚いことがうりなのだ。

 旅をするなら、自分よりも足となる妖魔を大切にするのが普通だ、と昴流は教えてくれた。

 そして、便利な妖魔を連れた旅人が往来をみても滅多にいないことに、翠嵐は気づいている。


「昴流みたいな、ね…」


 昴流が無表情に呟いた。

 お腹が満足すると、次は瞼が自然と落ちてくる。

 翠嵐はいそいそと寝台を整えると、どうぞ、と昴流に指し示した。自分は長椅子に寝そべって、最初に来ていた衣服を掛け布団の代わりにひき被る。


「何をしているんだ。おまえは風邪でもかかって私を困らせる気なのか?」


 腕組みをした昴流が、呆れた顔で翠嵐を見下ろした。


「でも、寝台は一つしか」

「一緒に寝れば良いだろう。おまえみたいにちっちゃければ、二人寝ても十分おさまる」


 そうして、何か言う暇もなく昴に抱え上げられた翠嵐は、驚いてじたばたもがくうちに、ぽい、と寝台の上に放り出された。

 どうもこの昴流という男は強引だ。

 まるで物みたいに扱われた翠嵐は文句の一つも言いたかったのに、すっと切れ長の瞳にみつめられると、言葉につまってしまった。

 瞳の中に閉じ込められた漆黒の闇に、銀色の星のような虹彩が煌めいて、冬の夜に見上げた雲上原の空みたいだ。つめたくて、厳しくて、でも限りなく澄んでいる。果実の砂糖漬け並に甘さを含んだ、飛焔の瞳とは大違い。

 結局諦めて、翠嵐はちんまりと寝台の上で丸くなった。

 襤褸布はごわごわしていたが、風は通さず意外と温かい。昴流はちゃんと布の半分を翠嵐に分けてくれて、寝台の中央で背中合わせになった。

 触れた背中から伝わる温もりに、幼い頃に飛焔と一緒に寝たことを思い出す。

 翠嵐は悪い夢をみると、きまって飛焔の寝台に潜り込んだものだった。

 仕事から返ってきた飛焔は翠嵐が眠れるまで、腕の中で色々なお話をしてくれた。ヒトの世界の話から、翠嵐の生まれるずっと前の雲上原の話まで。飛焔はびっくりするくらい物知りで、おまけに話も上手いのだ。

 翠嵐はその寝物語がたいそう好きだった。

 それでも、翠嵐に月のものが訪れてからは、飛焔も一緒に寝てくれなくなった。どんなにねだっても、あなたも一人前の女性になったのですから、とちょっと困った顔で、でも頑なに。

 いいですか、女の人は簡単に男の人と一緒に寝台に横になってはいけません。厳しい顔をした飛焔が心の中で説教を始めたが、気にしないことにした。

 ここは金蘭だ。もう雲上原ではないのだから。飛焔のお説教も、きっと二度と聞けないのだから…。


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