『ブラックブローカー3』人が死ねば、金が儲かる。
「人が死ねば、金が儲かる」
不動産ブローカー松崎は、いつもそう口にしている。
実際、世の中そうなのだ。
人が死ぬと遺産相続となり、不動産は動産となり
お金に変わる。
誰かの思い出だった家に値札が付き、最後には金へ変わる。
不動産の世界では、人の人生さえ数字になる。
そんな松崎に、新しい案件が入った。
「資産家の老人が、土地を売らないそうで」
「場所は?」
「駅前再開発地区です。最後の一軒だけ残っています」
資料には所有者の名前があった。
大場徳蔵、七十八歳。
元不動産会社経営。
預金、株、不動産を合わせた推定資産は六億円以上。
松崎は資料を閉じた。
「金が好きな人間には、値段をつければいい」
そう思っていた。
翌日。
松崎は徳蔵の屋敷を訪ねた。
「三億でどうでしょう」
徳蔵は湯呑みを置いた。
「五億」
松崎の指が止まった。
「……五億?」
「嫌なら帰れ」
「相場よりかなり高いですよ」
徳蔵は笑った。
「相場?」
「お前より知ってるよ」
再開発を止めている最後の土地。
工事が一年遅れれば、建設費も融資もテナント契約も影響を受ける。
徳蔵は自分の土地そのものではなく、
相手が困っている時間に値段をつけていた。
周囲はすでに更地。
巨大マンションの建設予定地の中央に、徳蔵の家だけが残っている。
「この土地がなきゃ、お前ら工事できないんだろ?」
松崎は黙った。
「だったら、土地の値段を決めるのは相場じゃない」
徳蔵はニヤリと笑う。
「わしだ」
松崎は帰り道で呟いた。
「タヌキじじいだな」
交渉は続いた。
三億五千万。
四億。
四億二千万。
それでも徳蔵は首を縦に振らない。
「五億だ」
「欲をかきすぎると、全部なくしますよ」
松崎が言うと、徳蔵は鼻で笑った。
「貧乏人は、そうやって金持ちを脅す」
その数週間後。
徳蔵から電話が来た。
声が弾んでいた。
「松崎。もう来なくていい」
「どうしました?」
「買い手が現れた」
「いくらです?」
徳蔵はもったいぶった。
「六億」
翌日。
徳蔵は一枚の名刺を松崎へ見せた。
GLOBAL FRONTIER CAPITAL
海外投資ファンド。
代表取締役 ヴィクター・リー。
五十代。
流暢な日本語。
高級スーツ。
商談場所は一流ホテル。
秘書、通訳、法務担当を名乗る人間まで同席している。
会社案内には海外の巨大ビルやホテルの写真が並んでいた。
ヴィクター側は、徳蔵を急かさなかった。
むしろ逆だった。
「大切な土地です。ゆっくり検討してください」
ヴィクターは穏やかに言った。
「大場さんの土地を評価しているから、六億なんです」
徳蔵は気分を良くした。
松崎はそこにも違和感を覚えた。
値段だけではない。
ヴィクターは徳蔵が最も聞きたい言葉を知っている。
「あなたは賢い。」
「あなたの土地には価値がある。」
「日本の不動産会社は安く買おうとしている。」
「私たちは正当に評価する。」
徳蔵は完全に信用した。
徳蔵は得意満面だった。
「世界中の不動産を買っている会社だ」
「会社の実在は確認しました?」
「ホームページがある」
「それだけ?」
「立派な会社だ」
「登記や代表者、所在地は?」
徳蔵が苛立つ。
「お前、悔しいんだろ」
「何がです?」
「お前は四億二千万」
徳蔵は指を六本立てる。
「向こうは六億」
「一億八千万も違う」
松崎は名刺を置いた。
「高いから信用できる、という理屈にはなりませんよ」
「負け惜しみだ」
「契約するなら、自分で選んだ弁護士や司法書士にも確認させてください」
「必要ない」
「六億ですよ」
徳蔵は笑った。
「だからこそ逃したくないんだ」
松崎はその言葉を聞いて、もう何も言わなかった。
六億。
その数字が、老人から慎重さを奪っていた。
ヴィクターは徳蔵を急かさなかった。
むしろ優しかった。
「大場さんの土地には、それだけの価値があります」
徳蔵が最も聞きたかった言葉だった。
「日本の会社は、この土地を安く買おうとしている」
徳蔵は大きく頷いた。
「そうなんだよ!」
「あなたは五十年、不動産を見てきた」
「そうだ」
「あなたの判断が正しいんです」
徳蔵は笑った。
完全に気分を良くしていた。
ヴィクターが売っていたのは、六億円の土地ではない。
徳蔵自身の自尊心だった。
契約の日。
徳蔵側の司法書士が慎重に言った。
「大場さん。条件をもう一度確認しましょう」
「必要ない」
「大きなお金です」
「だから早くしろ」
銀行担当者も忠告した。
「代金について十分な確認が取れてから進めた方が安全です」
徳蔵は怒った。
「六億が逃げたら、お前ら責任取れるのか!」
誰も何も言えなくなった。
決済予定日。
ヴィクター側から説明があった。
海外側の手続きのため、資金の確認に時間がかかっているという。
司法書士が言った。
「今日は止めましょう」
しかしヴィクターは静かに言った。
「もちろん構いません」
そして付け加えた。
「ただ、本日成立しなければ、本国の投資委員会で案件を再審査する可能性があります」
徳蔵の頭の中に残った言葉は一つだけだった。
六億が消える。
「進めろ」
それからだった。
翌日。
徳蔵は銀行口座を開いた。
六億円はない。
電話する。
『海外側で確認しています』
翌日。
ない。
『金融機関側の処理が遅れています』
三日後。
ない。
一週間後。
電話が繋がらなくなった。
「おい!」
徳蔵は何度も電話をかける。
「出ろ!」
「わしだ!」
「大場だ!」
応答なし。
ホテルへ飛んでいく。
ヴィクターはすでにチェックアウトしていた。
東京オフィスへ向かう。
もぬけの殻。
ホームページ消えている。
メール返ってこない。
名刺の電話番号。
使われていない。
徳蔵はその場に立ち尽くした。
「……六億は?」
誰も答えない。
「わしの六億は?」
最初から存在していない。
それを理解するまで、老人には時間がかかった。
数日後。
松崎の携帯が鳴った。
徳蔵だった。
「松崎……」
以前の尊大な声ではなかった。
老人の声だった。
震えていた。
「来てくれ」
「何の用です?」
「頼む」
「警察か弁護士に――」
「頼むから来てくれ!」
松崎は徳蔵の家を訪れた。
扉を開けた瞬間、驚いた。
徳蔵は別人になっていた。
髪は乱れ、無精髭が伸びている。
テーブルには契約書。
名刺。
会社案内。
銀行の通帳。
床には紙が散乱している。
「松崎……」
徳蔵が近寄ってきた。
「取り返してくれ」
「何を?」
「決まってるだろ!」
徳蔵の声が裏返った。
「わしの金だ!」
「六億ですか?」
「そうだ!」
徳蔵は松崎の腕を掴んだ。
「わしの六億だ!」
「返してくれ!」
「頼む!」
「お前、こういう仕事が得意なんだろ!」
松崎は老人の手を見る。
震えている。
かつて五億円を要求し、松崎を鼻で笑っていた手だった。
「警察と弁護士に任せるしかありません」
「そんなことは分かってる!」
徳蔵は泣き始めた。
「でも戻ってこないんだ!」
「わしの金が……」
膝から崩れる。
「わしの金が……」
「六億……」
「六億あったんだぞ……」
松崎が静かに言った。
「ありませんよ」
徳蔵の泣き声が止まった。
「……何?」
「あなたに六億円なんて、一度もなかった」
徳蔵の顔が引きつる。
「何を言ってる」
「六億で買うと言われただけです」
「違う!」
「一円も受け取ってない」
「わしの土地は六億だった!」
「違います」
「違わん!」
徳蔵は床を叩いた。
「六億だ!」
「六億だったんだ!」
「わしの金だ!」
「わしの六億だ!」
老人の叫び声が、広い屋敷に響く。
「返せ!」
「返せよ!」
「わしの金を返してくれ!」
松崎は冷たい目で見下ろしていた。
「誰が返すんです?」
徳蔵の口が止まる。
「ヴィクター?」
「警察?」
「銀行?」
「私?」
松崎はしゃがみ、徳蔵と目を合わせた。
「大場さん」
「あなたが失ったのは六億円じゃない」
「……」
「六億円を手に入れた未来ですよ」
徳蔵の唇が震える。
「それを勝手に自分の金だと思った」
「違う……」
「一度もあなたの口座に入っていない」
「違う……」
「一度もあなたの手に触れていない」
「やめろ……」
「それなのに」
松崎はテーブルに落ちている名刺を見る。
「もう自分の金になったと思った」
徳蔵は両手で耳を塞いだ。
「やめろ!」
「わしは五十年、不動産をやってきた!」
「騙されるわけがない!」
「だから騙されたんでしょうね」
徳蔵が顔を上げる。
松崎は続けた。
「自分だけは騙されないと思っていた」
「六億という数字を見た瞬間、都合の悪い忠告を全部無視した」
徳蔵は泣いた。
子供のように泣いた。
「頼む……」
「松崎……」
「助けてくれ……」
松崎のズボンを掴む。
「金なら払う」
「いくらです?」
徳蔵は言葉に詰まった。
「一千万……」
「……」
「二千万……」
「……」
「三千万払う!」
松崎は笑わない。
徳蔵が叫ぶ。
「半分でもいい!」
「六億全部じゃなくていい!」
「三億でいい!」
「いや……」
「一億でもいい!」
「頼む!」
「わしの金を……」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、老人は床に額をつけた。
「返してくれ……」
「わしの金が……」
「わしの金が……」
「なくなっちまった……」
静かな部屋に、その言葉だけが繰り返される。
松崎は立ち上がった。
「大場さん」
徳蔵が顔を上げる。
「地面師って知ってます?」
「……知ってる」
「他人の土地を自分の物のように扱って騙す連中です」
「だから何だ……」
松崎は玄関へ向かう。
「今回は逆ですね」
「……?」
「あなたは本物の土地を持っていた」
ドアを開ける。
「でも、存在しない金を本物だと思った」
松崎は振り返った。
「逆地面師ですよ」
「ふざけるな!」
徳蔵が叫ぶ。
「戻ってこい!」
「松崎!」
「わしの金を取り返せ!」
「わしの金が!」
「わしの金が――!」
ドアが閉まった。
老人の声だけが、家の中から聞こえていた。
数日後。
大場徳蔵は自ら命を絶った。
新聞の記事は小さかった。
《七十八歳男性死亡。不動産取引を巡るトラブルか》
松崎は記事を読んだ。
部下が言う。
「六億円を失って死んだんですか」
松崎は首を横に振った。
「違いますよ」
「え?」
「六億なんて最初から持ってなかった」
記事を折り畳む。
「持っていない金を失ったと思い込んで死んだんです」
部下は黙った。
松崎は徳蔵の屋敷を見る。
主を失った土地。
相続。
債権。
権利。
訴訟。
再開発。
老人が死んだことで、止まっていた人間たちが一斉に動き始めていた。
詐欺師が狙うのは、無知な人間だけではない。
「自分は詳しい」
「自分だけは騙されない」
そう信じている人間もまた、格好の標的になる。
携帯が鳴る。
「松崎さん、新しい案件です」
「何です?」
「資産家が亡くなりまして。相続人三人が土地の売却で揉めています」
松崎は鞄を持つ。
「資産額は?」
「二億ほどです」
「分かりました」
電話を切る。
そして徳蔵の屋敷から歩き去る。
誰もいなくなった家の中。
床にはヴィクター・リーの名刺が落ちている。
その横に、徳蔵が何度も書いた数字。
600,000,000円。
その数字だけが残っていた。
松崎は振り返らない。
「人が死ねば――」
口元に笑みが浮かぶ。
「わたしが儲かる」
『ブラックブローカー3』人が死ねば、金が儲かる。
――完――
漫画化しました。
https://rookie.shonenjump.com/series/TWpXKpY7dbc




