熊除けの鈴
――この辺りの熊は、すっかり人間に慣れてしまった。
そう私に語ったのは、山のふもとにある小さな雑貨屋の店主だった。
店主によれば、熊は本来、臆病な性格をしているのだそうだ。だから、人間の気配を察知すると特に何もしなくても勝手に逃げていってくれる。ところが最近のこの辺りの熊は人里に慣れてしまって、従来の熊対策は効果がなくなってしまったのだそうだ。
「熊除けの鈴も、それで効かなくなってしまいましてね。鈴の音を聞いても、逃げていきやしない」
“困ったものだ”といった口調で店主はそのように語った。しかし、それから「そこで“こいつ”ですよ」と言うと、金ぴかの鈴を取り出した。私が「それは?」と尋ねると、彼は得意げに顔を歪めて鈴を揺らした。
キリリンッ
鋭く鈴の音が鳴った。耳に痛みを覚えそうなほどの高音だった。つまりは彼が開発した熊除けの鈴なのだろう。
“……なるほど。これなら確かに熊は嫌がりそうだ”と私は思い、その鈴を買い求めた。
「絶対に騙されているって」
鋭く鈴を鳴らしながら歩く私に向かって、一緒に山登りをしている友人はそう言った。もしかしたら、鈴の音を煩わしく思っていたのかもしれない。
「そう? いかにも熊が逃げそうじゃないか」
「少しは疑えよ。そんな程度で熊が逃げ出すのなら、みんな、こんなに苦労はしていないって」
「それは、もしかしたら、この鈴をつけていない所為かもしれないぜ」
「つまり、お前以外は誰も騙されていないって事だろう?」
そう彼が言い終えたタイミングだった。
キリリンッ
と熊除けの鈴の音がやや遠くから聞こえた。
「……そうでもないみたいだな」
あの雑貨屋で買い求めた人が他にもいて、山登りをしているのだ。私は音のした方に顔を向けようとした。
が、そこで異変が起こった。
キリリンッ キリンッ キリ、キリリリリッ!
突然、激しく熊除け鈴の音が聞こえ始めたのだ。
私はその音の意味が分からず、妙な心持ちになっていたが、友人は顔を青くしていた。そして、「違う」と一言。私の腕を掴むと走り出した。
「あれは鈴を買った人間が鳴らしているんじゃねぇ!」
鈴の音は相変わらずに、キリリリリッと高音で激しく鳴っていた。
友人が何を言っているのか分からず、私は鈴の音の方に顔を向けた。すると、そこには大きな熊がいて、私達に迫って来ていたのだった。物凄いスピードだった。
熊の口には血が付着していて、そして鈴の紐が引っかかっていた。熊が上下運動をする度に煩い音を発している。つまり、鈴を鳴らしていたのは人ではなく、あの熊だったのだ。
私はそれで察した。
鈴を買った誰かをあの熊は食べたのだ。
やはり、あの熊除けの鈴の音は、友人の言う通り、役には立たないらしい。




