第6話 宮廷から届いた毒の噂
宮廷の紋章が刻まれた木箱。
中身は高級な乾燥ハーブだった。辺境の商人が扱うには、あまりにも不自然な品物。箱の角には金の箔押しがあり、蓋の内側には蝋で封がされていた。宮廷の正式な納入品に使われる様式だ。
「ロッタさん。この箱、宮廷の納入業者の印がありますけど」
「ああ、それね。仕入れ先の問屋が宮廷との取引があるんだ。箱の使い回しだよ」
自然な答え。用意されていたかのように、滑らかな説明だった。まるで、この質問が来ることを予想していたかのように。
「なるほど。良い品ですね」
私は笑顔で受け取った。けれど、心の中では別のことを考えていた。
(箱の使い回しなら、中の包装紙も問屋のものであるはず。でもこの包装は、宮廷厨房の内部で使われるもの。薄い油紙を二重に巻き、麻紐で三つ結びにする。問屋を経由していたら、こうはならない)
この結び方は宮廷厨房独特のものだ。私は十年間、毎日この結び方で食材を包んでいた。見間違えるはずがない。
この箱は、宮廷から直接来ている。
つまり、ロッタは宮廷の誰かと繋がっている。
ロッタが帰った後、私はヴェルナーに報告した。書斎の机の上に包装紙を広げ、結び方の特徴を説明する。
「確証はあるのか」
「包装の様式は確実です。私は十年間、あの厨房にいましたから。この三つ結びは宮廷厨房の規則で定められた方法です。外部の問屋は使いません。ただ、ロッタが誰と繋がっているかは、まだ分かりません」
「……候補は」
「ドルク厨房長。あの人は食材の仕入れルートを自分で管理していました。部下にも触らせない。外部の商人を使って辺境に手を伸ばすのは、あの人のやり方に合っています。自分の手を汚さず、人を使うのが得意な人です」
ヴェルナーは腕を組み、しばらく黙考していた。窓から差す光が、彼の銀灰色の髪に白い筋を作っている。
「もうひとつ、報告がある」
「何ですか」
「王都の知人から続報が来た。体調不良の件で、宮廷内部で調査が始まったらしい。そして——調査の矛先が向いているのは、ドルクではなく、お前だ」
息が止まった。
「……私?」
「追放された元厨房係が恨みで毒を仕込んだ、という筋書きを、誰かが流している。お前が辺境から密かに毒入りの食材を送り込んでいるという噂だ」
馬鹿げている。私は辺境から一歩も出ていないし、王都に食材を送る手段も動機もない。けれど——噂は事実とは無関係に広がる。宮廷にいた頃、何度もそれを見てきた。
◇
夜、厨房で一人、仕込みをしながら考えた。
竈の火が揺れている。鍋の中で豆が静かに煮えている。この厨房にいると、不思議と頭が冴える。手を動かしているうちに、考えが整理されていく。
私が追放された理由は、魔獣素材の混入疑惑。今度は毒の仕込み疑惑。どちらも身に覚えのない罪だ。
けれど、遠く離れた辺境にいる私には、反論する手段がない。宮廷での噂は、距離があるほど大きくなる。
(焦るな。証拠を積み上げろ)
私にあるのは、料理の腕と、観察する目だけだ。偶然や奇跡は頼りにならない。地道に、確実に。
まず、ロッタの行動を記録する。いつ来て、何を持ち込み、どんな話をするか。日時、品目、会話の内容。すべて紙に書き留める。
次に、混入された眩暈草の出所を特定する。この辺境で眩暈草を扱える場所は限られているはず。
最後に、宮廷との繋がりを証明する物的証拠を押さえる。あの包装紙は有力だが、まだ決定打ではない。
紙に書き出しながら、手が震えた。
——怖い。
認めたくないけれど、怖い。一度追い出された場所から、もう一度手を伸ばされている。今度は噂という、姿の見えない敵だ。剣で斬ることも、料理で対抗することもできない。
竈の火が揺れて、影が壁を這う。
厨房の扉が開いた。
「まだ起きていたのか」
ヴェルナーだった。手に、湯気の立つ杯を二つ持っている。
「……何ですか、それ」
「ハーブ茶だ。お前が先週作っていたのを、真似してみた」
差し出された杯を受け取った。一口飲んで——正直に言った。
「ハーブの量が多すぎます。苦いです」
「……そうか」
「これだと薬ですよ。半分——いえ、三分の一でいいくらいです」
「……覚えておく」
「淹れ方は教えますから、今度」
「必要ない。次は自分で調整する」
「……意地っ張りですね」
「効率の問題だ」
表情は変わらなかったが、耳の先がわずかに赤くなったのを、私は見逃さなかった。この人は顔は動かないのに、耳だけが正直だ。
「でも、温かいです。ありがとうございます」
「……寝ろ。明日も早いだろう」
「もう少しだけ」
「命令だ」
「……はい」
ヴェルナーが去った後も、杯の温かさが手のひらに残っていた。
苦いハーブ茶。不器用な優しさ。この人は言葉で気持ちを伝えるのが苦手だから、行動で示す。薪を運び、茶を淹れ、「命令」という形で休息を強いる。
(この人がいるから、まだ折れずにいられる)
翌日から、私は行動を開始した。
まず、ブリジットに頼んで、この地域で眩暈草が採取できる場所を調べてもらった。
「眩暈草? あれは魔獣の巣の近くに生える厄介な草だ。魔獣の瘴気を養分にして育つから、普通の場所では見つからない」
「つまり、採取できるのは——」
「専門の薬師か、闘市の業者だな」
「辺境の普通の商人には手が出せない、と」
「そういうことだ。ロッタみたいな行商人が独力で仕入れるのは不可能だな。……何か引っかかることがあるのか」
「まだ確証がないので。もう少し調べます」
「手が要るなら言え。兵士の二、三人はいつでも出せる」
「ありがとうございます、ブリジットさん」
「礼はいい。お前を守るのも俺の仕事だ」
ブリジットは腕を組んで笑った。この人の裏表のなさに、何度救われたか分からない。
ロッタが独力で眩暈草を入手したとは考えにくい。やはり、背後に組織的な供給元がある。
次に、ロッタの過去の取引記録を、ヴェルナーの協力で入手した。辺境伯として、領内の商取引を閲覧する権限がある。
記録を丹念に辿ると、ある事実が浮かび上がった。
ロッタが辺境で商売を始めたのは、ちょうど私が追放された翌週だった。
(偶然にしては、出来すぎている)
さらに、ロッタの取引先のひとつに、王都の香辛料問屋の名前があった。その問屋は——ドルク厨房長の親族が経営している店だった。
点と点が、線になり始めている。
けれど、まだ足りない。これだけでは状況証拠に過ぎない。
確たる証拠が要る。ロッタが宮廷と直接やり取りしている現場か、もしくはドルクからの指示書のようなもの。
その夜、私は検証結果と調査記録をすべてまとめた書類を、二通作った。
一通は厨房の棚の奥に。もう一通は——ヴェルナーに預けた。
「万が一のためです。私に何かあったら、この書類を王都に送ってください」
ヴェルナーは書類を受け取り、一度だけ私の目を見た。
「何もさせない」
静かな、しかし確かな声だった。命令ではなく、約束の響き。
私は頷いた。
この辺境で積み上げてきたものを、守る。守り抜く。
そのために、次にロッタが来たとき——私は、仕掛けるつもりだった。




