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賄い飯の魔女と呼ばれた私が、飯テロで王国をひっくり返す  作者: 渚月(なづき)


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第4話 飯テロと呼ばれた夜

転機は、ひとつの宴席から始まった。


 辺境領に隣接する男爵家から、晩餐会の招待状が届いた。羊皮紙に金の縁取り。形式的には丁寧だが、辺境では珍しい催しだった。


 表向きは領地間の友好を深めるための会だが、ヴェルナーは書面を一瞥して鼻で笑った。


「友好などではない。うちの戦力がどの程度回復したか、探りに来たんだ。魔獣の脅威が去っていない以上、周辺の領地は互いの戦力を気にしている」


「行くんですか?」


「行かないわけにはいかない。断れば弱みを見せることになる」


 ヴェルナーが私を見た。いつもの無表情だが、視線に力がある。


「料理を、お前に任せたい」


「……私が?」


「男爵家の晩餐は、持ち寄りの形式だ。各領地が自慢の料理を一品ずつ出す。うちの領地の食を見せる機会になる。お前の腕なら、恥はかかせない」


 それは、信頼の言葉だった。追放されてから、こんな言葉をかけてもらったのは初めてかもしれない。


 私は頷いた。


「任せてください」


 三日間、仕込みに没頭した。


 トビアスが助手として横に立ち、指示を待つ。寝癖は相変わらずだが、包丁の握り方はだいぶ安定してきた。


「トビアス、乾燥ハーブを擂ってくれる? 細かく、粉になるくらいまで」


「はいっ!」


 すり鉢を渡すと、彼は両手に力を込めて擂り始めた。力任せになりすぎて、すり鉢が滑る。


「もう少し手首を柔らかく。回すように」


「こう……ですか」


「そう。いい感じ」


 男爵家の晩餐に持ち込めるのは三品。限られた食材で、記憶に残る料理を作らなければならない。


 一品目は、辺境の根菜をじっくりと焼き上げた温かい前菜。蕪と人参を薄切りにし、低温の竈でゆっくり火を通す。水分が抜け、甘みが凝縮されるまで。仕上げにハーブ塩を振り、蜂蜜をほんの一滴。


 二品目は、干し肉と香草の煮込みパイ。パイ生地は麦粉と少量のバターで作る。中の煮込みは前日から仕込んでおいた。干し肉を戻して柔らかくし、香草と根菜を一緒に煮込む。生地の蓋を被せて竈に入れれば、熱で膨らんで黄金色になる。


 三品目は、蜂蜜と木の実の焼き菓子。小さく丸めた生地に砕いた木の実を混ぜ込み、蜂蜜で甘みをつけて焼く。素朴だが、一口食べれば頬が緩む味。


 どれも宮廷料理のような華やかさはない。けれど、ひと口食べれば体が温まり、もうひと口食べたくなる。そういう料理だ。



 男爵邸の大広間は、辺境にしては立派な造りだった。石壁に掛けられた旗には男爵家の紋章。蝋燭の明かりが長卓を照らしている。


 長卓には各領地の料理が並んでいる。金箔を散らした肉料理や、砂糖細工で飾られた菓子。見た目は華やかだ。隣の子爵領からは、銀の皿に盛られた鳥肉の丸焼きが出ていた。


 その中に、私の料理は明らかに地味だった。木の皿に盛った根菜の前菜は、周囲の豪華さの中で浮いている。


「あら、辺境伯領のお料理は随分と素朴ですこと」


 隣の席の貴婦人が、扇の向こうでくすりと笑った。周囲の客も、ちらちらとこちらの皿を見比べている。


 ヴェルナーは無表情のまま、何も言わない。動じていないように見えるが、顎の筋肉がわずかに強張っているのが分かった。


 私は黙って、皿が運ばれるのを待った。


 前菜が配られる。焼き根菜の皿を手に取った人々が、まずは物珍しそうに眺め、それから一口。


 ——空気が、変わった。


 最初に反応したのは、男爵本人だった。銀髪の壮年の男で、食通として知られているらしい。


「……これは。この甘みは、何だ」


「辺境の根菜です。低温でゆっくり火を通すと、芯まで甘くなるんです」


「砂糖は使っていないのか?」


「使っていません。根菜そのものの甘みです」


「こんな味は初めてだ」


 男爵の声に、周囲の客が次々と皿に手を伸ばし始めた。さっき笑っていた貴婦人も、扇を膝に置いて二口目を運んでいる。


 二品目の煮込みパイが出ると、広間は静かになった。みんな食べることに夢中になっていたからだ。パイの蓋を割ると、中から立ち上る湯気と香りが鼻を包む。干し肉の旨味と香草の爽やかさが溶け合って、舌の上で広がる。


 三品目の焼き菓子に至っては、追加がないかと給仕に尋ねる声まで上がった。


「辺境伯」


 男爵がヴェルナーに向き直った。


「この料理人はどこで見つけた」


「……縁があって」


「うちに譲ってもらえないか。倍の報酬を出す」


 ヴェルナーの表情が、ほんの一瞬だけ固くなった。


「断る」


 短い、しかし有無を言わせない返答だった。声の温度が一段低い。


 帰りの馬車の中で、ブリジットが大笑いしていた。馬車が揺れるたびに、彼女の笑い声も揺れる。


「見たか、あの貴婦人の顔。最初は馬鹿にしてたくせに、最後はおかわりを頼んでただろう」


「ブリジットさん、声が大きいです……」


「いいじゃないか。あれは完全に飯テロだったぞ」


「飯テロ?」


「知らんのか。旨い飯で相手の心を奪うことを、兵士の間ではそう呼ぶんだ。腹が満たされると、人間は警戒を解く。交渉でも戦でも、まず飯を出せってのが鉄則だ」


 ブリジットが私の肩を叩いた。大きな手だったが、力加減は優しかった。


「お前は今夜、男爵領を飯テロで陥落させたんだ」


 飯テロ。妙な言葉だけれど、悪い気はしなかった。


 馬車の反対側の座席で、ヴェルナーが窓の外を見ていた。月明かりが銀灰色の髪を照らしている。


「ヴェルナー様。さっきの、断ってくれてありがとうございます」


「……当然のことだ」


 彼は窓から目を離さなかった。


「お前がいなくなれば、うちの兵士は飯が食えなくなる。合理的な判断だ」


「……はい」


 合理的な判断。この人はいつもそう言う。


 けれど、「断る」と即答したあの声には、合理性だけでは説明できない何かがあった気がする。


 ——気のせいかもしれない。


 屋敷に戻ると、厨房の入り口にロッタが立っていた。提灯を手にして、にこにこと笑っている。


「やあ、遅かったね。晩餐会はどうだった?」


「おかげさまで。ロッタさんの食材のおかげもあります」


「そりゃあ良かった」


 ロッタはいつもの笑顔で、新しい木箱を差し出した。


「今日は特別にいいものを持ってきたんだ。王都で評判の香辛料。ちょっと値は張るけど、お前さんの腕なら使いこなせるだろう」


 箱を開けると、確かに良い香りが広がった。深く甘い、異国の花のような香り。


 けれど——。


 私は香辛料を手に取り、指先で触れ、匂いを嗅いだ。


 (……混ぜ物がしてある)


 ほんのわずかだが、本来の香辛料にはない成分が混じっている。微かに苦い匂い。土のような、薬草のような。宮廷で何百種類もの食材を扱ってきた私の鼻は、それを見逃さなかった。


 ただし、この場では言わない。


「ありがとうございます。使わせてもらいますね」


 笑顔で受け取りながら、私は心の中で手順を組み立て始めていた。


 (この香辛料を分析すれば、混ぜ物の正体が分かる。そして、なぜロッタがこんなものを持ち込んだのかも)


 ロッタが帰った後、私は厨房の隅で香辛料を小分けにした。


 一部は料理用に。一部は、検証用に。


 ——信じたい。この人が悪意でやっているのではないと。


 けれど、湯気と同じで、食材も嘘をつかない。


 今夜の「飯テロ」の成功は、嬉しかった。兵士たちの笑顔も、ブリジットの大笑いも、ヴェルナーの短い「断る」も。


 でも、喜びに浸っている暇はなさそうだった。


 厨房の窓の向こうで、夜風が冷たく吹いている。


 この辺境の小さな町に、何かが近づいている気配がする——私の勘が、そう告げていた。


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