第8話 崩れる夜
『司令より各局』
無線が入った瞬間、車内の空気が変わった。
「……来たね」
「はい」
短いやり取り。
それだけで、切り替わる。
『港署管内、複数通報』
『新橋駅南側幹線道路にて多重事故発生』
『車両三台以上が衝突、混乱中』
「了解。特視603、現場急行します」
沙与がアクセルを踏み込む。
車体がグッと前へ出る。
夜の流れを、押し分けるように。
「廣目さん」
「はい」
「今回は、少し荒れるかも」
穏やかな声。
けれど、その意味は軽くない。
前方に赤色灯が見えてくる。
交差点。
不自然に止まった車。
散らばる破片。
「……現場、視認」
その瞬間だった。
空気が、わずかに濁る。
(……また)
白いワンボックス。
その周囲だけ、違う。
歪んで見える。
「見えてる?」
「……はい」
人影。
ふらついているのに、速い。
「特視、入る」
ドアを開ける。
外の音が流れ込む。
サイレン。
怒号。
ガラスを踏む音。
ゴムとガソリンの匂い。
「止まれ!」
反応はない。
男がこちらを見る。
焦点の合っていない目。
笑っている。
(……ジェミニ?)
違う。
四葉の蒙古斑が、ない。
次の瞬間、男が走った。
一直線に。
(来る)
分かる。
次の動きが。
でも。
体が動かない。
「下がって」
沙与が前に出る。
一歩で距離を詰める。
腕を叩き落とす。
体勢を崩す。
そのまま、地面へ叩きつける。
男の動きが止まる。
「確保」
短い言葉。
「手錠!」
「現逮!!」
周囲の警察官が一斉に動く。
押さえていた沙与が、静かに手を離した。
それで終わる、はずだった。
(……多い)
瑛梨の視線が足元に落ちる。
透明な欠片。
ガラスとは違う、鈍い輝き。
一つではない。
周囲にも散っている。
明らかに多すぎる。
「……これ」
「使いすぎだね」
いつの間にか戻ってきた沙与が言う。
しゃがみ込み、ひとつ摘み上げる。
「個人で扱う量じゃない」
淡々と。
でも、その意味は重い。
スマートウォッチで一枚、撮影する。
片手を上げ、鑑識を呼ぶ。
「それ、保安回しでお願いします」
その横を担架が走る。
救急隊の声。
警笛。
現場は少しずつ収まっていく。
それでも。
瑛梨の中には、違和感が残る。
(なんで)
似たものは見てきた。
アメリカでも。
でも。
こんなじゃなかった。
ここまで多くない。
ここまで当たり前でもない。
「……廣目さん」
「はい」
「こういうの、増えてるから」
立ち上がった沙与が、軽く言う。
それだけ。
でも。
その一言で十分だった。
(増えてる)
つまり。
これが、特別じゃない。
ネイビーブルーの車体が、夜の中で静かに待っている。
その反射光だけが、現実を繋ぎ止めていた。




