第6話 追跡の夜
「了解。特視603、急行します」
夜を――赤色灯が切り裂く。
沙与の右足が深くアクセルを踏み込む。
目はまっすぐ、けど耳は無線を拾い続ける。
『対象車両、新橋方面へ逃走中』
「……了解」
沙与が誰にも聞かれないぐらいに短く返す。
そしてハンドルを切る動きに、一切の迷いがない。
ネオンが流れる。
信号が変わる。
それでも前方の車列を縫うように、603は滑り込んでいく。
(速い……)
瑛梨は思わず隣を見て息を呑んだ。
ただ速いだけじゃない。
無理がない。
“分かっている”動きだった。
その時、瑛梨の左目が前方へ向く。
「前方、黒のセダン――」
視界に入る。
明らかに信号を無視し、強引に車線を跨ぐ車影。
「……いた!」
沙与は瑛梨を一瞥すると、すぐにハンドルを切った。
距離が、一気に詰まった。
フロントガラスに、その姿を完全に捉える。
助手席の瑛梨がマイクの側部ボタンを押してスピーカーへ切り替えた。
「警告して止める。
『前方のセダンの運転手さん、止まりなさい。黒いセダンのあなたですよー。減速してくださーい』……おぉ、ガン無視」
国が変わっても無視されるのは一緒みたい。
「……どうする?」
「あの十字路で赤になるはずだから、そこで止めよっか」
読み通り、両車両が浜松町方面へと抜ける。
車の流れが一瞬緩む。
だが。
「っ……!」
黒のセダンが、急にラインを変えた。
「嘘っ!?」
(右――)
焦る思考より先に、感覚が先走る。
「次、右に――」
言い切る前に。
黒のセダンが、交差点を強引に右折した。
「「……」」
瑛梨の言葉が、空中で止まる。
「……完全に遊ばれてるね、私達」
(けどアタシには……今の偶然?)
横目で見る。
沙与は、何も言わない。
再三の警告も無視し続ける黒のセダン。
「挙動、おかしいね」
ぽつりと、沙与が言う。
確かに。
加速と減速のタイミングが合っていない。
ラインがぶれる。
まるで。
「……反応が遅れてる」
瑛梨の口から、無意識に言葉が出た。
前方の運転席の熱。
揺れる影。
視界の奥で、何かが濁って見える。
(これ……)
(なんだろう……今日、おかしい)
「……芝公園方面に入る」
沙与の声。
前方の黒セダンが、大きく蛇行した。
そのまま、脇道へと突っ込む。
「止まった。廣目さん、降りる準備」
急ブレーキ。
ドアが開く。
男が、転がるように車外へ飛び出した。
「降りるよ
……FIELD Link」
口内で、硬質な飴が砕ける音。
次の瞬間。
周囲の空気が、わずかに沈んだ。
音が、遠くなる。
夜のざわめきが、一歩引いたみたいに。
瑛梨が足を踏み出す。
その瞬間。
遠くにいたはずの人影が、こちらに気づいていない。
(……え)
一瞬だけ、違和感。
でも。
考えるより先に体が動く。
足音。
コンクリートを蹴る音。
逃げる影。
追う影。
芝公園の外縁、暗がりへと男が消える。
「右、抜ける……!」
(来る……)
次の動きが、分かる。
足の運び。
重心。
進む先。
(そこ――)
曲がる。
予測と同時に、男の姿が現れた。
「……っ!」
(やっぱり、アタシ……)
でも。
否定する。
理解が追いつかない。
男が振り返る。
荒い呼吸。
焦点の合っていない目。
手には刃物。
距離が詰まる。
(今なら)
分かる。
でも。
(無理……)
指が止まる。
その瞬間。
別の影が前に出た。
「邪魔」
一歩で距離を詰める。
腕を叩き落とす。
体勢を崩す。
そのまま、叩きつける。
男の動きが止まる。
制圧。
静寂。
瑛梨は動けない。
(分かってたのに)
(動けたのに)
「……今の、視えてたよね」
沙与の声。
返事は、出なかった。




