第2話 その席は、空いている
沙与の背中が、
自動扉の向こうへ消える。
フロアに、数秒の静寂。
そして――
「……優秀章、郵送っていいんだ」
ぽつり、と堀宮が呟いた。
「毘乃木らしいっちゃらしいけどな」
当番明けの先輩が苦笑する。
「仕事優先主義っていうかさぁ……
あの子、功績とかマジで興味なさそう」
「ワーカーホリックだよなぁ」
「いやでも、あれだけ結果を出してるし」
キーボードを叩きながら、
別の隊員が言う。
「現場も補佐も育成もできるって普通じゃないぞ」
「まぁなぁ……」
少し間が空く。
「――そりゃあ一貫校卒だからでしょ」
誰かが、軽く肩をすくめて言った。
「環境が違いすぎるよ。
俺らみたいな一般校と同じ土俵で比べる方が無理って」
冗談めいた口調。
悪意とまでは言えない。
けれど、どこか乾いた響き。
空気が、ほんの一瞬だけ止まる。
堀宮は何も言わない。
言えない、の方が近い。
ただ。
視線だけが、
自動扉の向こうへ伸びていた。
もう見えないはずの背中を追うように。
(……それでも)
(あの人は、誰より現場に立つ)
言葉にならない思考が胸に沈む。
そのとき――
フロア中央の大型モニターが切り替わった。
【保安庁 入庁式・前年度最優秀者表彰授与式】
荘厳な音楽。
整然と並ぶ受賞者たち。
壇上のスポットライト。
整った礼。
誇らしげな拍手。
モニターの光がフロアを白く照らす。
「あ、始まった」
誰かが呟く。
画面の中では、
“そこにいるはずの人物”の名が呼ばれていた。
けれど。
その席は、空席のままだ。
「……マジで出ないのかよ」
小さな笑いが起きる。
呆れと、納得が混ざった空気。
堀宮は静かにモニターから目を外した。
視線の先には――
沙与が消えていった廊下。
「……先輩らしいや」
誰にも届かない声が、そっと零れた。
⸻
第5小会議室。
カードキーをかざす電子音。
静かな解錠。
扉を押し開けた瞬間、
外の空気がすっと途切れた。
自動で灯る白色照明。
無機質な長机。
壁一面の電子ホワイトボード。
整然と並ぶ椅子。
静寂。
沙与は無言で入室すると、
背後で扉を閉める。
――カチリ。
密閉。
世界が、切り替わる。
音が、落ちる。
余計なものが、消える。
これで、音を拾わなくていい。
抱えていたCPを机に置き、
端末を起動。
ホログラム投影が空間に立ち上がった。
新人OJT説明資料。
訓練行程表。
適性評価一覧。
第六配属予定者データ。
無数の情報が、
几帳面に整理されたレイヤーとなって浮かぶ。
その光が、
沙与の瞳に静かに映り込んだ。
「……時間、足りるかな」
誰に言うでもない独り言。
淡々とした声。
感情の起伏はない。
指先が滑らかに空間を操作する。
資料を再構成。
優先度を色分け。
補足データの追加。
説明順の最適化。
一切の迷いがない。
“慣れ”ではない。
“積み重ね”の動き。
ふと。
視界の端に、
日付表示が映る。
【4月3日】
(……一昨日、か)
その数字を、
ほんの一瞬だけ見つめ――
エレベーターでの一幕を思い出した。
⸻
「……なんかありましたっけ?」
きょとん、とした声。
本気で思い出せていない響き。
だが――
「表彰式や!
『前年度最優秀者表彰授与式』!」
岡本の声が、
エレベーターの箱内に響く。
「お前、受賞者やろ!?
なのに今日どう見ても手ぶらやし、
儀礼服でもない……
出なあかんのちゃうんか?」
降下表示が一段、
また一段と降りていく。
岡本はなおも続けた。
「隊長にも呼ばれてたやろ!?
忘れたんか?」
沙与は一拍置いて、
わずかに首を傾ける。
「……あぁ。
てか、出ない先輩が1番焦ってどうするんですか」
思い出す仕草すら、
どこか他人事のようだった。
そして、淡々と。
「出ませんよ」
迷いのない即答。
岡本の眉が跳ね上がる。
「は?」
「ずっと座ってるの苦痛ですし、
興味もないですし」
視線は正面の扉へ向いたまま。
感情の起伏がない声。
「何より、目立つの嫌いです。
知ってるじゃないですか」
エレベーターが地下階へと滑り込んでいく。
「……知ってるけど、そやけどなぁ毘乃木」
⸻
そんな回想から、
意識が今に戻っていく。
(出るのも大切だって頭では分かってる。
岡本先輩は正しい)
キーボードの打鍵音が響く。
(だけど私は……出ない)
一瞬、指が止まる。
(評価は、重い。
噂は――もっと重い)
「う〜ん……この表現はやめよう。こっちか」
Deleteして、
分かりやすい文に変える。
よし。次。
(私はただ、波風なく仕事が出来ればいい。
章も賞賛もいらない。
ただ――皆と同じでいたい)
「……これも、お高くとまってるって言われるのかな」
分かってる。
分かってるのに、やめられない。
指も止まらない。
いや、止めたくない。
余計なことを、今は考えたくなかった。




