第9話 名前のついたもの
白い光。
静かすぎる部屋。
機械音だけが、一定のリズムで流れている。
「……これが、鑑識から回ってきたやつ」
瑛梨はテーブルの上に置かれたトレーを見た。
透明な欠片。
乾いている。
でも。
ただの物体じゃない。
「廣目さん」
呼ばれて、顔を上げる。
白衣の人物。
保安の科捜研。
表情は、読めない。
「見たこと、ありますか」
一瞬。
迷う。
「……似たものは」
正確には、違う。
アメリカでもあった。
でも。
「こんなに量は」
言葉が続かない。
白衣の人物は、軽く頷いた。
「そうでしょうね」
それだけ。
責めるでもなく。
ただ、確認するように。
「アメリカでも流通は確認されています」
淡々とした声。
「ですが、日本ほどではない」
一拍。
「ここまで“日常化”していません」
日常。
その言葉が、やけに引っかかる。
「……日常、ですか」
「はい」
即答。
「今回のような案件、ここ最近で急増しています」
モニターが切り替わる。
数字。
グラフ。
分布。
全部、右肩上がり。
(……多すぎる)
「これ、全部……」
「同一系統です」
被せるように言う。
「成分、製法、ほぼ一致」
つまり。
一箇所じゃない。
でも。
バラバラでもない。
「……作られてる」
小さく呟く。
「ええ」
肯定される。
迷いなく。
「自然発生するものではありません」
静かに。
確定する。
(誰かが)
(意図して、作ってる)
喉の奥が、少しだけ詰まる。
その時。
白衣の人物が、トレーの一つを指差した。
「これ」
「……?」
「分析結果、出ています」
「ただの薬物ではありません」
空気が変わる。
ほんの少し。
でも、確実に。
「……どういう」
言葉の続きを、聞きたくない。
でも、聞かないといけない。
「廣目さん」
名前を呼ばれる。
「これは」
ほんの一瞬。
時間が止まったみたいに、間が落ちる。
そして。
「人骨です」
音が、消える。
機械音だけが残る。
理解が、遅れる。
(……人骨?)
「骨を粉砕し、精製したものです」
一拍。
「強く作用します」
「神経系に」
「依存性も高い」
情報は入ってくる。
でも。
意味が、追いつかない。
(人……の……?)
視線が、トレーに落ちる。
さっきまで“物”だったものが。
急に、違うものに見える。
(これ……)
(人……?)
「……知らなかったんですね」
静かな声。
責めていない。
でも。
見抜いている。
「アメリカでは……そこまで」
やっと、出た声。
知らされていなかった。
ただの薬物。
そう思っていた。
「そうでしょうね」
短い返答。
「そこまで辿り着いていない」
一拍。
「もしくは、隠されているか」
どちらでもいい。
どちらでも、同じだ。
(知らなかった)
(でも、使われてた)
指先が、少しだけ震える。
その時。
「廣目」
後ろから声。
振り向く。
岡本が立っていた。
壁に寄りかかるように。
いつもの姿勢。
でも。
目だけが、少しだけ違う。
「……聞いたか」
「……はい」
短く答える。
それ以上、言えない。
岡本は小さく頷く。
それだけ。
トレーを見る。
一瞬だけ。
「……やっぱりな」
視線が、わずかに落ちる。
(知ってた)
その一言で、分かる。
全部じゃない。
でも。
何かは、知っていた。
「班長」
呼ぶ。
気づけば、口が動いていた。
「これ……」
言葉が続かない。
何を聞けばいいかも、分からない。
岡本は、少しだけ考えるように視線を上げる。
そして。
「まぁ」
軽く言う。
「ろくなもんちゃうな」
それだけ。
軽い言い方。
でも。
それで十分だった。
(ろくなもんじゃない)
その通りだ。
「……廣目」
もう一度、呼ばれる。
「無理に飲み込まんでええ」
一拍。
「気持ち悪い思うんは、正常や」
視線が、少しだけ揺れる。
「……はい」
小さく答える。
その言葉だけで、少しだけ楽になる。
でも。
完全には消えない。
トレーを見る。
透明な欠片。
もう。
さっきと同じには見えない。
(これが……)
(今、外に出てる)
街の中。
人の中。
普通の顔をして。
(……日本)
思い出す。
夜の光景。
事故現場。
逃げる人。
笑っていた男。
(あれが……全部)
繋がる。
一つに。
「……増えてるんですよね」
誰にともなく、言う。
「ええ」
白衣の人物が答える。
「確実に」
逃げ場はない。
「……」
小さく呟く。
納得じゃない。
ただ。
受け入れるしかない。
岡本が、壁から体を離す。
「ほな、行くで」
いつもの調子。
変わらない。
でも。
変わっている。
「……はい」
出口へ。
⸻
――朝。9時。
夜の名残が、まだ少しだけ残っている。
ビルの影が長い。
空気は軽いのに、体は重い。
(……終わった)
そう思っても。
何も終わっていない気がする。
足が止まる。
庁舎の外。
人の流れは、いつも通り。
通勤。
日常。
(同じなのに)
違って見える。
全部。
透明な欠片。
白い部屋。
“人だったもの”。
頭の奥で、まだ繋がっている。
「……」
息を吐く。
浅い。
整わない。
その時。
「廣目さん」
呼ばれる。
振り向く。
沙与が立っていた。
いつもの姿。
変わらない顔。
でも。
少しだけ、距離が近い。
「ショックだった?」
短い言葉。
問いかけ。
「……はい」
間を置いて、答える。
嘘はつかない。
つけない。
沙与は小さく頷く。
それだけ。
一拍。
視線が、まっすぐ向く。
逃げ場がない。
でも。
逸らしたくはない。
「でも、これがこの世の裏」
静かに言う。
淡々と。
「あなたが来た場所だよ」
言葉が落ちる。
重くない。
でも、軽くもない。
そのまま、残る。
「……」
何も返せない。
返す言葉がない。
でも。
聞いている。
ちゃんと。
「新人説明会でも言ったけど」
ほんの少しだけ、間。
「改めて言うね」
呼吸が、整う。
自然と。
次の言葉を待つ。
「第六特命巡視捜査隊は――あなたを守らない」
一瞬。
音が遠くなる。
「でも、歓迎はする」
同じ声。
同じ温度。
それなのに、意味だけが変わる。
胸の奥が、わずかに揺れる。
怖い。
でも。
嫌じゃない。
「命知らずの最前線へようこそ」
ほんの少しだけ。
瑛梨の口元が緩む。
それだけ。
それ以上はない。
「廣目 瑛梨保安官」
名前が、呼ばれる。
はっきりと。
逃げ場のない形で。
第1章 お読みいただきありがとうございました。
次回、第2章です!




