EP 6
覚醒、月影流の蹴り
空気が変わった。
虎耳族の戦士たちは、野生の勘でそれを察知した。
目の前にいるのは、先程まで震えていた怪我人の少女ではない。
「月兎族……上位種か。だが、足を怪我した女子供に何ができる!」
一人が咆哮と共に、戦斧を振り下ろす。
狙いはキャルルの脳天。
直撃すれば、頭蓋骨ごと砕け散る威力だ。
だが、キャルルは動じない。
彼女は右足の捻挫を庇うように左足一本で立ち、ゆっくりと息を吐いた。
「……遅いですぅ」
次の瞬間、彼女の姿がブレた。
ドンッ!
鈍い衝撃音。
振り下ろされた戦斧は、キャルルの頭ではなく、何もない地面を叩き割っていた。
そして、斧を振るった男の腹部には、いつの間にか小さな靴底がめり込んでいた。
「が……はっ!?」
男の巨体が「く」の字に折れ曲がり、数メートル後方の岩壁まで吹き飛んだ。
ドワーフ製の鉄芯入り安全靴。その重さと硬度が、キャルルの脚力によって恐るべき凶器と化していたのだ。
「な、なんだ今の動きは!?」
もう一人の虎耳族が狼狽する。
彼らの目には、キャルルが瞬間移動したようにしか見えなかった。
「『縮地』……おじい様直伝の歩法です。……ふふ、久しぶりにご飯を食べたので、少し体が軽すぎたみたいですね」
キャルルはパタパタと埃を払いながら微笑んだ。その笑顔は可憐だが、赤い瞳の奥は氷のように冷徹だ。
彼女の纏う空気が、穏やかな春風から、肌を切り裂く鎌鼬へと変わる。
「貴方たち、恩人であるレオンさんとヴォルトちゃんを傷つけましたね? ……許しません」
キャルルが腰を落とし、独特の構えを取る。
左足に体重を乗せ、右足を軽く引く。捻挫の痛みを、闘気による自己強化で無理やりねじ伏せた構え。
「月影流格闘術……」
静かな詠唱と共に、彼女の周囲の小石がフワリと浮き上がった。
闘気の放出量が跳ね上がる。
「クソッ、化け物か! やっちまえ!」
「殺せぇええッ!」
火傷の痛みに顔を歪めたグレンと、残った虎耳族が同時に襲いかかる。
グレンの鋭い爪による斬撃と、虎耳族の重い戦斧による挟撃。
逃げ場はない。
だが、キャルルは避けない。
彼女は深く息を吸い込み、捻挫したはずの右足を軸にして、独楽のように回転を始めた。
「――『鐘打ち(ベル・ストライク)』!!」
ゴォォォォォンッ!!
谷底に、巨大な鐘を撞いたような重低音が響き渡った。
それは、キャルルの遠心力を乗せた連続回し蹴りが、グレンたちの武器と肉体を捉えた音だった。
「ぐべああっ!?」
「ぎゃああああッ!!」
グレンの爪は砕け、虎耳族の戦斧はひしゃげた。
二人はボールのように弾き飛ばされ、それぞれ反対側の岩壁に激突して動かなくなった。
「ふぅ……」
回転を止めたキャルルは、片足でピタリと静止した。乱れた髪をかき上げ、胸元のハンカチ(人参柄)で額の汗を拭う。
その所作は優雅だが、周囲の惨状(気絶した三人)が彼女の強さを物語っていた。
「す、すげぇ……」
レオンは言葉を失っていた。
これが、上位種族の本気。そして、ガルーダ国最強と謳われる「近衛騎士」候補の実力。
ただ可愛いだけのウサギではない。「音速の脚」を持つ戦士の姿がそこにあった。
「レオンさん、ヴォルトちゃん、大丈夫ですか?」
戦闘モードが解除されたキャルルは、いつものおっとりした口調に戻って駆け寄ってきた。
その足取りは少しぎこちない。
「キャルルこそ、足は……」
「いたた……やっぱり、ちょっと無理しちゃいましたね。でも、二人を守れて良かったですぅ」
彼女は痛みに顔をしかめながらも、安堵の笑みを浮かべた。
レオンは改めて、目の前の少女を見つめた。
空から降ってきた、規格外の強さと、それ以上に強い優しさを持つ少女。
「……ありがとう、キャルル。君のおかげで助かった」
「お礼なんていりませんよ。だって、レオンさんは私の命の恩人なんですから」
キャルルはにっこりと笑うと、レオンの腕の中で眠り始めたヴォルト(ブレスの反動で気絶中)の頭をそっと撫でた。
「それに、この子も……必死にパパを守ろうとして、偉かったですね」
「パ、パパって……」
レオンが赤くなると、キャルルは「ふふっ」と悪戯っぽく笑った。
静寂が戻った谷底。
だが、この騒ぎがこれで終わるはずがなかった。
遠くから、騎士団の本隊と思われる、規則正しい多数の足音が近づいてきていた。




