EP 5
迫りくる追手と、初めての咆哮
「そこに居たか、ゴミ処理係」
谷底の静寂を切り裂いたのは、粘着質な嘲笑だった。
レオンがハッと上を見上げると、崖の突起を足場にして、数人の男たちが降りてくるところだった。
先頭に立つのは、見慣れた豹耳族の男――グレン。
そしてその後ろには、屈強な筋肉を鎧で包んだ、虎耳族の私兵が二人。
「グレン……!」
レオンは咄嗟にキャルルとヴォルトを背に庇うように立った。
グレンの目は、獲物を見つけたハイエナのように濁って輝いている。だが、その視線はレオンでも、怪我をしているキャルルでもなく――レオンの足元で威嚇音を上げている、青い幼竜に釘付けになっていた。
「おいおい、冗談だろ? あの時捨てさせた『死に卵』か、そいつは?」
グレンが驚愕に目を見開く。
ブリーダーとしての経験が、彼に目の前の生物の価値を理解させてしまったのだ。
青白い雷光を帯びた鱗。額の水晶角。
「変異種……それも、伝説級の雷撃種だと!? あのゴミ卵が、どうやって孵化しやがった!」
グレンの声が欲望で震えた。
雷撃種の幼体。もし闇市場に流せば、城が一つ建つほどの値がつく。あるいは騎士団に献上すれば、彼自身の出世は約束されたも同然だ。
「おい、そこの女は後だ! まずはその竜を確保しろ!」
グレンの命令を受け、虎耳族の兵士たちがドスドスと重い足音を立てて迫ってくる。
彼らが放つ闘気の圧力が、風圧となってレオンの肌を刺す。
「逃げてくれ、キャルル。こいつらの狙いはヴォルトだ」
「で、でも……私、まだ走れませんっ……それに、恩人を置いて逃げるなんて……!」
キャルルが痛む足を引きずりながら立ち上がろうとするが、顔色は青白いままだ。空腹と捻挫で、本来の戦闘力は皆無に近い。
「無駄な抵抗はやめろ、駄犬」
グレンが一瞬で距離を詰め、レオンの胸倉を掴み上げた。
「がはっ……!?」
「身の程を知れ。魔力ゼロのお前が、俺たち上位種に勝てるわけがねえだろうが」
圧倒的な腕力。
レオンは宙に浮いたまま、地面に叩きつけられた。肺の中の空気が強制的に吐き出され、視界が明滅する。
「レオンさん!」
「キュウッ!!」
キャルルの悲鳴と、ヴォルトの怒声。
レオンは泥だらけになりながら、這いつくばってヴォルトの上に覆いかぶさった。
「渡さない……こいつは、俺の家族だ……!」
「家族ぅ? 道具だろ、魔獣なんてのは!」
グレンは容赦なく、レオンの背中をブーツで踏みつけた。
ミシミシと骨が軋む音が響く。
「いっ……ぐ……!」
「どけよ。皮を剥いで鞄にする前に、そのトカゲをよこせ」
グレンが手を伸ばす。その指先が、ヴォルトの首根っこを掴もうとした、その時だった。
――バヂヂヂヂヂッ!!!!
鼓膜をつんざくような破裂音が響いた。
発生源は、レオンの体の下に潜り込んでいたヴォルトだ。
「なっ……!?」
グレンが反射的に手を引っ込める。
ヴォルトの全身から、青白いプラズマが噴き出していた。
幼い金色の瞳が、怒りで真っ赤に染まっている。
親を傷つけた敵。
許さない。絶対に。
「ギャオオオオオオオッ!!」
それは、まだ声変わりもしていない、高い鳴き声だったかもしれない。
だが、放たれた熱量は本物だった。
ヴォルトの口が大きく開かれ、そこから一条の閃光が奔流となって迸る。
【雷撃のブレス(サンダー・ブレス)】。
まだ未熟ゆえの、直線的で細い雷。
しかし、その一撃は正確にグレンの顔面を捉えた。
「ぐアアアアアアッ!?」
グレンが悲鳴を上げて吹き飛んだ。
顔の半分が黒く焦げ、自慢の豹耳から煙が上がっている。
「グレン様!?」
虎耳族たちが足を止める。
信じられないものを見る目だった。生まれて数日の幼竜が、実戦経験のある戦士の闘気防御を貫いたのだ。
「はぁ……はぁ……」
ブレスを吐ききったヴォルトは、反動でフラフラとよろめいた。
まだ一発が限界だ。それでも、彼は小さな体でレオンの前に立ちふさがり、「これ以上やるなら相手になるぞ」とばかりに牙を剥いた。
「ヴォルト……お前……」
レオンは痛む体を起こし、頼もしい背中(と言ってもまだ小さいが)を見つめた。
グレンは地面を転げ回りながら、怒りで顔を歪めて叫んだ。
「殺せ……ッ! あのクソトカゲごと、全員殺してしまえッ!!」
逆上したグレンの命令で、虎耳族の二人が巨大な戦斧を構える。
本気の殺意。
ヴォルトはガス欠。レオンは満身創痍。キャルルは動けない。
絶体絶命の状況。
――だが。
レオンは気づいていた。
先ほどグレンが吹き飛んだ際、その衝撃で何かが弾け飛んだことに。
それは、キャルルの足元に転がっていた「魔法鞄」に入っていた、保存食の包みだった。
そして、その中身(干し人参と堅焼きビスケット)が、散乱していることに。
パリ、ボリ、ムシャア。
静かな咀嚼音が、戦場に響いた。
「……んぐっ。ふぅ」
満足げな吐息。
虎耳族たちが斧を振り上げた瞬間、レオンの背後から、信じられないほどのプレッシャー(闘気)が膨れ上がった。
「レオンさん、ヴォルトちゃん。……よく頑張りましたね」
凛とした声。
振り返れば、そこには片足立ちで、しかし悠然と構えるウサギ少女の姿があった。
その瞳は、もはや怯えた迷子のそれではない。
獲物を狩る捕食者の、冷たく美しい紅玉の輝き。
「あとは、お任せくださいですぅ」
空腹を満たした「音速の脚」が、今、目覚める。




