EP 4
空から降ってきたウサギ少女
ヴォルトが生まれてから三日が過ぎた。
この幼竜の成長速度は、レオンの獣医師としての常識を軽く凌駕していた。
「キュイッ!」
廃棄谷の底。人目を避けた岩陰で、ヴォルトが身軽に跳躍する。
狙いは、岩の上を這っていたトカゲだ。
青白い残像を残して飛びかかり、一瞬で獲物を捕らえる。そして、パクリ。
「……また食べたのか。お前、燃費が悪すぎるぞ」
レオンは呆れた声を出しながらも、その目には驚嘆の色が浮かんでいた。
生まれた直後は子猫サイズだったヴォルトは、たった三日で中型犬ほどの大きさに成長していた。
鱗の硬度は増し、角の輝きも鋭くなっている。
なにより――
バヂヂッ!
ヴォルトがゲップをすると、小さな雷球が吐き出され、地面の岩を黒焦げにした。
この火力。まだブレスとは呼べない「くしゃみ」程度だが、それでもゴブリンくらいなら黒焼きにできる威力がある。
「早く一人前になってくれよ。俺の給料じゃ、もう食費が限界だ……」
レオンが苦しい家計簿を脳内で計算していた、その時だった。
ピクリ。
レオンの犬耳が、上空からの異音を捉えた。
風切り音。それも、何かが猛スピードで落下してくる音だ。
「ヴォルト、下がれ!」
レオンが叫んだ直後。
頭上の崖の上から、白い影が降ってきた。
それは鳥ではない。人だ。
――ズドンッ!!
轟音と共に、レオンたちの目の前の地面が爆発したかのように舞い上がる。
土煙が晴れた後に残っていたのは、小さなクレーターと……その中心で倒れている、一人の少女だった。
「嘘だろ……崖の高さ、50メートルはあるぞ」
レオンは慌てて駆け寄った。
少女はピクリとも動かない。
透き通るような白磁の肌に、プラチナブロンドの長い髪。
そして頭には、特徴的な長くふさふさとした白い耳――。
「兎耳族……いや、この毛並みと耳の長さは、『月兎族』か?」
獣人の中でも希少な上位種だ。なぜこんな場所に?
疑問は尽きないが、今は救命が先だ。
レオンは職業病(獣医師モード)のスイッチを入れ、少女の体に手をかざした。
【生体構造理解】
> 対象: 月兎族
> 状態: 気絶、極度の空腹、右足首の捻挫
> 体力: 12/2500 (瀕死)
> 魔力: 5/800 (枯渇)
>
「体力お化けかよ……」
レオンは診断結果に戦慄した。
あの高さから落ちて、骨折ひとつしていない。ただの捻挫だ。
死因になりかけているのは落下ダメージではなく、「空腹」の方だった。
「……手当てをするぞ。ヴォルト、警戒を頼む」
「キュ!」
ヴォルトが周囲を睨む中、レオンは少女の右足に触れた。
ブーツを脱がそうとして、その靴の異常な重さに気づく。
ドワーフ製の鉄芯入り安全靴。こんな鉄塊を履いて空から降ってきたのか。
「う……ん……」
処置をしようとした瞬間、少女が薄っすらと目を開けた。
ルビーのような赤い瞳が、ぼんやりとレオンを捉える。
「……だ、誰……ですかぁ……?」
「俺はレオン。ブリーダーだ。君が空から降ってきたんだ」
「そら……? あ、私、お腹が空いて……目が回って……」
少女はフラフラと起き上がろうとして、右足の激痛に顔を歪めた。
「あっ、痛っ……!?」
「動くな。捻挫してる。今、冷やすから」
レオンは懐から湿布薬(これも手製だ)を取り出し、腫れ上がった足首に手際よく巻き付けた。
そして、次に手を伸ばしたのは――彼女の長い兎耳だ。
「ひゃっ!?」
少女がビクッと体を震わせ、顔を真っ赤にして身を引いた。
長い耳を手で隠し、涙目でレオンを睨む。
「な、ななな、何を触ろうとしてるんですかぁ!? 破廉恥です! 痴漢です! このエロ犬!」
「違う! 診察だ!」
レオンは真顔で反論した。
「獣人族、特に兎系は耳で体温調整をしているだろう? 耳の熱さと血流を見れば、内蔵ダメージがある程度わかるんだ。触診だよ、触診」
「しょ、触診……?」
「そうだ。医者が患者の脈を測るのと同じだ。……それとも、このまま足が腫れ上がって、自慢の脚力が使えなくなってもいいのか?」
レオンの理路整然とした(そして少し事務的な)説明に、少女は「うぅ……」と言葉を詰まらせた。
彼女はためらいがちに、隠していた耳を少しだけ前に突き出した。
「……ち、治療なら……特別に、許可しますぅ。でも、変な触り方したら、蹴り飛ばしますからね」
「はいはい。失礼するよ」
レオンはそっと、彼女の長く柔らかい耳の付け根に指を添えた。
温かい。そして、脈は早いが力強い。
絹のような毛並みの感触に、レオンの指先が少しだけピクリと反応するが、そこはプロの理性で抑え込む。
(……熱はない。内出血もなし。本当に頑丈だな)
「よし、大きな怪我はない。あとは栄養と安静だ」
レオンが手を離すと、少女は安堵したような、少し残念そうな(?)ため息をつき、胸元のポケットから何かを取り出した。
歪な形の人参が刺繍された、可愛らしいハンカチだ。それで額の脂汗を拭う。
「あ、ありがとう……ございますぅ。私、キャルルって言います」
「俺はレオンだ。……で、キャルル。なんで上位種族の月兎族が、こんなゴミ捨て場に降ってきたんだ?」
レオンが尋ねると、キャルルの表情が曇った。
彼女はお腹を「ぐぅ~」と盛大に鳴らしながら、深刻な顔で言った。
「逃げてきたんですぅ。……望まない、結婚から」
その言葉の裏に、ただならぬ事情と、追手の気配を感じ取り、レオンは眉をひそめた。
どうやら、拾ったのはただの迷子ではないらしい。
「キュウッ!」
その時、ヴォルトが短く警告の声を上げた。
谷の上、崖の方から、複数の足音と殺気が近づいてきていた。




