EP 9
最強の鍋と、貧乏アイドルの晩餐
タローハイツ参番館、101号室のキッチン。
そこには、異様な緊張感が漂っていた。
「いいか、雷霆。火力は強火だ。だが、焦がすなよ?」
『フン。誰に口を聞いている。俺の熱伝導率は、オリハルコンすらバターのように溶かす。パン屑ごとき、瞬きする間に黄金に変えてやる』
レオンが握っているのは、銀色に輝く深底の中華鍋――変形した伝説の武具『雷霆』だ。
コンロ(魔導ガス式)に火をつけると、雷霆の底が瞬時に赤熱し、陽炎が立ち上る。
「リ、レオンさん……本当に、パンの耳だけで大丈夫なんですか?」
「ミルクもお砂糖もないですよぉ……?」
ダイニングテーブルから心配そうに覗き込むリーザとキャルル。
レオンはニヤリと笑い、ボウルに入れた卵液(卵2個+水+塩少々)に、大量のパンの耳を放り込んだ。
「本来なら、卵液に一晩漬け込むのがセオリーだ。だが、今の俺たちには時間もミルクもない。だからこそ――」
レオンは卵液を纏ったパンの耳を一気に、熱した雷霆へと投入した。
ジュワァァァァァァッ!!!!!
爆ぜるような音と共に、香ばしい蒸気がキッチンに充満する。
『オラァッ! 振れ! 回せ! 俺の熱を一点に留めるな!』
「分かってる!」
レオンの手首が高速で動く。
ガシャン、ガシャン!
中華鍋の中で、パンの耳たちが踊るように宙を舞う。
雷霆の特殊能力**『超・熱伝導』**。
それが、食材の表面を一瞬で焼き固め(キャラメリゼ)、内部に水分と旨味を閉じ込める。
通常ならベチャッとしてしまう「水増し卵液」が、神の火力によって魔法のような変化を遂げていく。
「仕上げだ!」
レオンは最後に、牛丼屋の紅生姜の汁を数滴、鍋肌に垂らした。
酸味が飛び、コクと香気だけが残る隠し味。
ザザッ。
皿に盛り付けられたのは、もはやパンの耳ではなかった。
黄金色に輝く、スティック状の宝の山。
「完成だ。名付けて――『黄金・パン・ペルデュ』」
◇
ダイニングテーブルの中央に、大皿が置かれた。
香ばしい卵と、焼けた小麦の香り。
「ご、ごくり……」
リーザが喉を鳴らす。
見た目は完全に、高級ホテルのフレンチトースト、あるいは揚げたてのチュロスのようだ。
「さあ、冷めないうちに食べてくれ」
「い、いただきますっ!」
リーザとキャルルが同時にフォークを伸ばし、黄金の棒を一本突き刺した。
口に運ぶ。
カリッ。
「……っ!?」
二人の目がカッと見開かれた。
外側は驚くほどクリスピー。しかし、歯を入れた瞬間に、中はプリンのようにトロリと溶ける。
「な、なにこれぇぇ!?」
リーザが叫んだ。
「これ、本当にパンの耳!? お砂糖もミルクも入ってないのに、なんでこんなに甘いの!?」
「卵の甘みだよ。雷霆の高火力で水分を一気に飛ばして、素材の甘みを凝縮させたんだ。塩味が逆に甘さを引き立ててる」
「おいひぃ……! おいひぃよぉ……!」
リーザの目から、またしても涙が溢れ出した。
パンの耳は、彼女にとって「惨めさ」の象徴だった。
それが今、世界で一番美味しい御馳走に変わっている。
「レオンさん、天才ですぅ! サクサクふわふわ、無限に食べられます!」
キャルルの手も止まらない。
リスのように頬張り、幸せそうに体を揺らしている。
「キュウッ!(ぼくも!)」
足元のヴォルトも、レオンから一本貰ってハフハフと食べている。
満足げに尻尾を振り、時折「バチッ」と放電して美味しさを表現した。
『フン。当然だ。俺にかかれば、泥団子でもクッキーにしてやるわ』
キッチンの洗い場で元の姿に戻った雷霆が、得意げに鼻を鳴らした(ような気がした)。
あっという間に、山盛りのパンの耳は消滅した。
リーザは最後の一欠片を名残惜しそうに口に入れ、うっとりとため息をついた。
「……決めたわ」
「ん?」
「レオンさん。私、一生あなたについていく。……胃袋、完全に掴まれちゃった」
リーザは真剣な眼差しで、レオンの手をギュッと握った。
「家賃なんてどうでもいいわ。あなたがここに居てくれるなら、私、毎日パンの耳拾ってくるから!」
「いや、だからちゃんと稼いで普通の飯を食おうぜ……」
レオンは苦笑したが、悪い気はしなかった。
守るべき仲間。帰るべき家。そして、囲む食卓。
かつて「ゴミ処理係」として孤独だった彼が、一番欲しかったものがここにある。
「さて……腹も満たされたことだし」
レオンは立ち上がり、窓の外――タロー国の中心部に聳え立つ冒険者ギルドのビルを見上げた。
「稼ぎに行きますか。家賃と、今夜の夕飯代を」
「はいっ! 私、歌って踊って稼ぎますぅ!」
「私も! もうミカン箱の上だけじゃない、もっと大きなステージを目指すわ!」
それぞれの決意を胸に、三人はハイタッチを交わした。
最強の鍋で作った朝食が、彼らの新たな冒険のエネルギーとなったのだ。




