第1章 25「会社員が辞めない理由~準備だけで勝つ男~」
全面的に自己責任でお願いします。
第25話「最初の重さ、最初の静けさ」
ココナラに登録してから、早数日。
サイトの画面は、驚くほど静かだった。
通知なし。
メッセージなし。
依頼ゼロ。
(……まあ、こんなもんだよな~)
優守は特に気にした様子もなく、管理画面を閉じた。
焦る理由はない。
この手の場所は、“動き出すまでの時間が長い”からだ。
◆◆◆
最初に来たのは、軽い依頼だった。
《英語→日本語/短文翻訳(200ワード程度)》
内容は、個人ブログの記事。
期限も、緩い。
(……肩慣らしだな)
優守は、淡々と作業した。
正確さ。
自然さ。
過剰にならない表現。
三十分もかからず、提出。
特別な感想は、ない。
《ありがとうございました。とても読みやすいです》
短いメッセージ。
評価は、まだ付かない。
(……これも、想定内。これで五千円~一万円。今回は五千円だったけど、短文だし仕方ない)
初めての依頼は、そうやって冷静に、問題なく処理された。
◆◆◆
数日後。
今度は、明らかに“重い”依頼だった。
《中国語(簡体)→日本語/契約書全文翻訳》
ページ数は多い。
専門用語も多い。
期限は、三日。
(……いきなり来たな。普通なら中国語原文百文字で千~千五百円。でも今回は契約書、少し高くなる)
断る理由はなかった。
正確さが求められる文書。
誤訳は、許されない。
優守はPCの前に座り、呼吸を整える。
《スキル:言語理解 Lv10》
《スキル:完全記憶》
一文ずつ、意味を崩さず、構造を保ったまま訳す。
条文。
但し書き。
例外規定。
すべてが、自然に頭の中で組み替えられていく。
作業時間は、実質半日。
だが、それは表に出さない。
あくまで、“普通にこなした”時間として提出する。
期限は三日。
優守は、二日半で納品した。
◆◆◆
提出後。
――沈黙。
一日。
二日。
評価も、返信も、ない。
(……これが、無音の期間か)
不安は、ない。
だが、確信も、まだない。
この沈黙は、失敗ではない。
確認の時間だ。
相手が慎重になっているだけ。
◆◆◆
三日目。
通知が鳴った。
《非常に正確で助かりました》
《またお願いしたいです》
評価:★5。
短い文章。
だが、重みは十分だった。
(……ふぅ。通ったな)
◆◆◆
ある日の午後。
本職の外回り中、スマートフォンが鳴った。
知らない番号。
「はい、本堂です」
『あ、突然すみません。通訳案内士協会の者です』
耳に入った単語に、優守は一瞬だけ意識を向ける。
『実は……少しご相談がありまして』
話は、簡単だった。
日本では珍しい言語の翻訳家が、なかなか見つからない。
特にカタルーニャ語やシンハラ語は極端に少ない。
スペイン語、ロシア語、アラビア語、ベトナム語、
ギリシャ語、スウェーデン語も、
通訳・翻訳師自体が少数派だ。
複数資格を持つ優守の名前が、名簿で目に留まったらしい。
『もし、通訳や翻訳の案件が出た場合、ご相談させていただいても……?』
優守は、即答しなかった。
少し間を置いてから、穏やかに答える。
「直接受けるというより……
今、ココナラに登録していまして。
そちら経由でご依頼いただければ対応できます。
ただ、私は翻訳のみで、通訳はしておりませんが……」
電話口が、一瞬静かになる。
『……なるほど。分かりました。翻訳だけでも引き受けていただけるなら、ありがたいです』
(……融通が利くな)
「個人間の取引より、その方が、双方安心ですから」
「では、私のハンドルネームとIDをお伝えします。
ご依頼があれば、指名してください」
それで話は終わった。
◆◆◆
電話を切ったあと。
優守は、椅子に深く座り直す。
軽い依頼。
重い依頼。
評価。
無音。
そして、協会からの連絡。
(……線になってきたかな)
派手な成功ではない。
だが、確実に。
“翻訳家・本堂優守”という存在が、
静かに、現実側に形を持ち始めていた。
評価は、まだ一つ。
だが、それでいい。
積み上げるのは、これからだ。
無音の時間も、
重い仕事も、
すべて想定通り。
優守は、再びPCの画面に視線を戻し、ココナラを開いた。
マイページを少しだけ更新する。
依頼受付は変更せず、
表向きは――英語と中国語のみ。
ただし、指名依頼の欄には、こう追記した。
フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、
ロシア語、アラビア語、朝鮮語、ベトナム語、
ポルトガル語、オランダ語、カタルーニャ語、
インドネシア語、ギリシャ語、スウェーデン語、
タイ語、シンハラ語。
※納期と依頼金額次第で対応可能。
「……これでいい」
次の通知は――
もう、そう遠くない。
読み終わってのクレームは、お止めください。
自己責任です。




