第11話 境界世界 ― アイナの心層
光と影が混じる奔流の中へ落ちた瞬間、
リアンの感覚はすべて千切れた。
音が消えた。
地面が消えた。
重力も、空も、温度すら存在しない。
だが――
アイナの手だけは離さなかった。
「……アイナ……!」
声を出したつもりでも、音は生まれない。
けれど、アイナの手がかすかに震えた。
次の瞬間、世界が反転した。
◆
リアンの足が、柔らかい草地に着地した。
風が吹き、青空が広がる。
遠くには白い丘の連なりと、虹色の水面。
「……ここは……?」
現実に近い。
だが違う。
“美しすぎる”のだ。
リアンは息を呑んだ。
「これは――アイナの心の……」
声が震えた。
「“内側”だ」
◆
ふいに、風の中から少女の声が響いた。
『……リアン……』
「アイナ!」
振り向くと、
白い丘の上にアイナが立っていた。
光と影の揺らぎはなく、
胸の核の輝きも弱い。
ただ――
本当に儚い少女の姿。
リアンは駆け寄った。
だがアイナは静かに首を振る。
「来ちゃだめ……」
「なんでだよ……!」
「ここは私の……“心層”。
あなたを引きずり込んじゃった。
本当は……来させたくなかった……」
アイナは胸を抱きしめ、涙をこぼす。
「だって……
ここは、私がずっと隠してきた世界だから……」
◆
「隠してきた……?」
リアンが問い返すと、
アイナは小さく頷いた。
「光の巫女って、
“心に影を持ってはいけない”って言われてきたの」
「は……?」
「怖がっちゃだめ。
悲しんじゃだめ。
怒っちゃだめ。
迷っちゃだめ」
アイナの指が震える。
「でも……そんなの、無理だった……。
本当は……いっぱい怖くて……
いっぱい泣きたくて……
でも全部隠したの。
見せちゃいけないって……教えられたから」
リアンは胸が締め付けられた。
あの戦場で、影核が結びついた理由。
ラグナが言った「光核が空白を抱えていた」という言葉。
――それは、無理に抑え込んだ“影”の空洞だったのだ。
「だから……影核が入ってきたとき……
“ああ、これが私の欠けてたものなんだ”って……
わかっちゃった……」
「アイナ……」
◆
アイナは泣き笑いになった顔で言った。
「でも……影が入ったら……
私は“光の巫女”じゃなくなるんだよ……?」
「そんなことどうでもいいだろ!」
「よくないよ……!
だって私は、それしか……
自分の価値を知らないのに……!」
アイナは顔を覆って泣いた。
「光しか持っちゃいけない世界で育てられて……
影を持ったら捨てられる。
誰からも、必要とされなくなる……
だから怖い……!」
リアンは迷わずアイナの肩を抱いた。
「おまえの価値なんて、そんなとこにねぇよ」
アイナの体が震える。
「光だとか影だとか……どうでもいい。
おまえは、おまえだろ」
その言葉に、アイナの泣き声が大きくなった。
「……そんなの……初めて言われた……
一度も……言ってもらったことなかった……」
「なら覚えとけ。
俺が言ってやる。
何度でも、しつこいほど言ってやる」
リアンはアイナの手を取った。
「光も影も……全部抱えて、
それでもおまえは“アイナ”だ」
アイナは顔を上げた。
その目から溢れた涙は、
光でも影でもない――ただの透明だった。
◆
その時。
世界が低い音を返した。
心層の空が暗くなる。
虹色の水面が黒ずんでいく。
「来た……」
アイナが震える声で呟く。
「何が来る?」
「私の“影”。
抑え込んでた全部……
恐怖も、劣等感も、孤独も……全部の形」
次の瞬間。
白い丘の上に、巨大な“影の少女”が姿を現した。
アイナと同じ輪郭。
同じ顔。
しかし目だけが黒く、涙も影でできている。
ラグナが言っていた“影核の本性”ではない。
これは――
「……アイナ、おまえ自身の……」
「うん……
“もう一人の私”」
影のアイナは、静かに口を開いた。
『――アイナは弱い。
光なんかに選ばれる器じゃない』
アイナが怯える。
影の少女は続けた。
『影を抱えたお前を……
誰が愛してくれるわけ?』
その言葉は、アイナの胸を直接刺した。
「……やめて……」
『リアンだってそう。
影を見たら……捨てるよ?
光巫女の価値がなくなったら――
ただの、役立たずの子ども』
アイナが震え、涙を落とす。
リアンの視界が赤くなる。
「……ふざけんなよ」
リアンは影のアイナを睨みつけた。
「おまえが何者でもかまわねえ。
だがな――」
その一歩で、地面が揺れた。
「アイナを傷つけるやつは……
たとえ本人であろうが俺が許さねぇ!!」
影アイナの瞳が、揺れた。
『……どうして……?
どうしてそこまで……?』
「簡単な話だ」
リアンはアイナの肩を抱き寄せ、
影に向かって言い放つ。
「俺はアイナの全部が好きだ。
光も影も、弱さも強さも、泣き顔も笑い顔も。
全部まとめて“アイナ”なんだよ!!」
心層世界が震える。
影アイナの輪郭が、揺れた。
その瞬間――
アイナの体が光に包まれた。
「……リアン……!」
「行くぞ。
おまえの影を――
“二人で”受け止めにいく」
影アイナが両手を広げ、世界を黒で覆いながら叫んだ。
『来い――アイナ!!
弱さを見せるくらいなら、いっそ消えてしまえ!!』
アイナは震えた脚を踏み出す。
「違う……!
私の弱さは……消すものじゃない……!」
リアンが隣で叫ぶ。
「見せていいんだよ!!!」
アイナの瞳に強い光が宿る。
「――うんっ!!」
アイナとリアンは影の少女へ向かって走り出した。
心層世界の最深部へ。




