⑦無駄なときめき〜Side春呼〜
彼は私に向かい、一枚の名刺を差し出した。
桐生 大河さん、か。
まるでドラマの主人公みたいな、格好いい名前。
普通の人間ならば、名前負けしてしまいそうなところだ。だけど……。
さっきはあまりに酷い状況のせいで気が付かなかったが、彼は、なんていうか……男性とは思えないぐらい、めちゃくちゃ綺麗な顔立ちをしていた。
スッと通った、鼻筋。少しだけ垂れ気味な、ミルクチョコレート色をした大きな瞳。
そしてその周りを縁取るようにびっしり生えた、長いまつ毛。
男性にしては色白で、滑らかな、まるで陶磁器みたいに美しい肌。
なのに決して、女性的というワケではなくて。
さっき私を支えてくれた腕はたくましく、力強かった。
しかし私が最も気になったのは、そこではなかった。
はっきりとは思い出せないけれど、この男に私は、以前逢ったことがある。
……なんとなくそんな気がしたのだ。
でもこんな芸能人も顔負けの爽やかイケメンと出会っていたら、面食いの私はきっと忘れるはずがない。
だからたぶんこれは、気のせいだろう。
それにこんな状況で、『どこかで私と、会った事がありますか?』なんて聞くのは、使い古されたナンパの常套句みたいに思われてしまいそうだ。
ただでさえMAX値に近いぐらいの、醜態を晒しているのだ。
短い期間とはいえ、今後もお世話になる可能性が高いというのに、それだけはなんとしても避けたい!
「……すみません、ありがとうございました」
準備してもらった椅子に腰を下ろし、かなり情けない気分で謝罪と感謝の言葉を口にした。
すると彼はなぜか一瞬、ちょっと戸惑ったような、困ったような表情を浮かべた後、柔和な笑みと共に穏やかな口調で答えた。
「どういたしまして。足を怪我されているみたいですし、もしよろしければ後程私にご自宅まで送らせて下さい」
彼の思わぬ申し出に驚き、反射的にガバッと立ち上がった。
その瞬間痛みがぶり返し、その場にうずくまる私。
慌ててまた駆け寄りって私の体を起こさせると、彼は呆れたように言った。
「ちょ……大丈夫!? ……ほんと、ほっとけない人だなぁ」
先ほどまでの丁寧なモノとはまるで異なる、ちょっとくだけた素の口調。
私の無事を確認すると、桐生さんはプッと小さく吹き出した。
そしてそのまま少しうつむいたかと思うと口元に手を当て、プククと肩を揺らして笑った。
さっきまでは綺麗な顔をしているなと思いながらもまったく食指が動かなかったはずなのに、その笑顔は意外にも、私の好みのどストライクだった。
チラリと唇から一瞬だけ覗いた、あの八重歯はさすがにズルい!!
それにドキリとさせられたのだけれど、次に顔を上げた時、男はまた先ほどまで同様、柔和でビジネスライクな笑みを浮かべていた。
「では、櫻木様。ちゃんと椅子に、座っていて下さいね? 私はフロントに行って、消毒液など必要な物を借りてきます。すぐに、戻りますから」
そう言うと彼はドアを開け、部屋を出ていってしまった。
数年ぶりに私に訪れた、『きゅん』。
しかもそれは軽いモノではなく、メガトン級の『どきゅん』だった。
胸元をぎゅっと押さえ付け、ひとりふるふると身悶える私。
なんなのよ、あの人。……ギャップ萌えが、過ぎるのでは?
だけど彼は、結婚相談所のスタッフなのだ。
私の結婚相手となる男性を、せっせと紹介してくれる予定の人間である。
その上あんな醜態を、晒したばかり。
好きになったとしても恋愛に発展する可能性は、0どころかマイナス値にも等しい。
確かに桐生さんは、イケメンだ。
しかし名前と見た目、そして職業以外は何も知らないこの状況である。
これはいわゆる、つり橋効果ってヤツに違いない。
あまりにも酷いこの惨状のせいで、脳がバグを起こしているんだ。
……そうじゃないと、困る。
……いくら私が肉食系だとしても、さすがにこれは、不毛過ぎるでしょ。
さっきの『きゅん』は、酔ってたせい……だよね?
あの人が優しくしてくれるのも、私が顧客だからなんだし!
フゥと大きく息を吐き出し、呼吸を整える。
ようやく大暴れしていた私の心臓も通常のペースを取り戻し、やっぱりきゅんは気のせいだと無理矢理結論付けた。
するとそのタイミングで、コンコンと軽く二度ほどドアをノックされた。
だからどうぞと私が答えると扉が開き、再び桐生さんが顔を覗かせた。
その瞬間ドクンと大きく跳ね上がる、私の心臓。
確かに私は、イケメンが好きだ。
特に可愛い系だったり、八重歯男子に目がない。
だけどそれはあくまで、観賞用としての話だ。
アイドルや俳優を愛でるのは好きだが、こんな風に見た目だけで誰かの事を惚れた事なんて、これまで一度もない。
中の人の性格を知ろうともせずに、一目惚れなんてするタイプの人間を、ちょっと小馬鹿にしていた節すらある。
なのに、どうしよう?
この『きゅん』、やっぱり勘違いなんかじゃないかもしれない!
かろうじて表面には表情を出さぬまま、そんな風にひとり脳内で悶絶していたら、いつの間にか桐生さんがしゃがみこみ、至近距離で私の顔をじっと心配そうに見上げていた。
「えっと……櫻木様? 大丈夫ですか?」
少し掠れたような、でも男性にしてはちょっとだけ高めな、耳に心地よいハスキーボイス。
……非常に、良い!!
「大丈夫です! お手数をおかけして、すみません!」
動揺のあまり、自分で思っていたよりもかなり大きな声が出てしまった。
それに驚き、大きく見開かれた瞳。
一瞬の間の後、彼は私からフイと顔を背け、耐えられないとでも言いたげにまたしてもプッと吹き出した。
ぐぬぬ……恥ずかし過ぎる。
「膝のところ、やはり軽く消毒だけしておきましょうか」
にっこりと穏やかに微笑む、桐生さん。
そこまでたいした怪我ではないものの、じんわり血がにじみ出てしまっているため、彼の言うように少し手当てはしておいた方がいいかもしれない。
しかしこの流れだとやはり、私が自分でするのではなく、彼がしてくれるということなのだろうか?
戸惑い、反応に迷う私。
すると桐生さんは私の困惑に気付いているのかいないのか、笑顔のまま告げた。
「このままでは出来ないので、膝辺りまで裾をまくり上げて頂けますか?」
既に消毒液をガーゼに染み込ませ、準備万端らしき彼を前に、動揺しながらも慌ててワイドパンツの裾をグッとまくった。
ショートタイプのストッキングを履いているため、剥き出しになった肌。
……ケチらずにきちんと永久脱毛をしておいて、本当によかった。
すると彼は失礼しますとだけ言って私の足首に手をやり、少しだけ膝を曲げさせると、そのまま傷口にガーゼで優しく触れた。
流れるように華麗な一連の動作は、お姫様にガラスの靴を履かせるあのおとぎ話のワンシーンを思わせる。
自分でもびっくりするぐらい、心臓が早鐘を打つ。
おそらく今の私の顔は、アルコールのせいだけではなく真っ赤になっているに違いない。
「すぐに終わるので、しみるとは思いますが少しだけ我慢して下さいね」
私がこくんと小さく頷くと、彼はまたクスリと笑った。
王子様じゃん。……こんなのもう、完全に王子様じゃん!