⑥水面下での策略〜Side大河〜
「素敵ですね! とはいえ僕は、できれば妻になる人には、家庭に入ってもらえたらなって思っています。家族を養える程度の収入は、充分にありますし」
嬉しそうに笑いながら、篠崎さんの絶対本心ではないあざと発言に答える木ノ下さん。
こういった仕事をしていると、世間では絶滅したと思われているこんな人種にいまだに遭遇することが多々ある。
そういう生活を望む女性もいるから、それが一概に悪だとも思わないけれど。
しかし以前話した感じだと春呼さんは仕事大好き人間といった様子だったから、おそらくこの手のタイプの男性とは合わないだろう。
それに少しだけ不謹慎ながらホッとしたというのに、次の瞬間彼女は可憐な笑みを浮かべて告げたのだ。
「たしかに、素敵ですよね。私もそういう生活、憧れます」
……なん……だと?
その言葉に、激しく動揺する俺。
……佐藤さんの、お前はいったいなにがしたいんだとでもいうような、俺を見る冷ややかな視線が痛い。
しかし春呼さんはほほ笑んだまま、とんでもない爆弾を投下した。
「それなりに私も、収入はあります。結婚しても仕事を辞めるつもりはないので、そんな風に家で待っていてくれる、優しくて料理上手な素敵な旦那さまが私も欲しいです。お互い、頑張りましょう」
見る間に変わる、木ノ下さんの顔色。
凍りつく、パーティー会場内の空気。
だけどそんなモノにはもう見向きもせず、いそいそとビュッフェコーナーに移動して、料理を物色し始める春呼さん。
誰も飲み食いなんかほとんどしていないため、ひとりバイキング状態と化しているから、まるで異質なモンスターでも見るみたいな、信じられないとでもいうような視線が彼女に集まる。
ヤバい。この子、めちゃくちゃ面白い!
……やっぱり、いいなぁ。
噴き出すのはギリギリ堪えたが、それでもじわじわと笑いが込み上げ、ふるふると震える肩。
それに気付いたらしき佐藤さんが、つぶらな瞳をぎょっとしたように見開いた。
そして俺だけに聞こえるくらいの小さな声で、『なにを笑ってるんですか。いい加減にしてください』『ホント、さっさと奥に引っ込んで』などと囁いて来た。
だけどこんなの、無理だ。我慢できない。
篠崎さんとほぼ同じタイミングで、思わずブハッと噴き出したその瞬間。
……春呼さんと、目があった気がした。
そのことに一瞬ドキッとしたけれど、それは残念ながら気のせいだったようだ。
だって彼女の視線は再び俺ではなく、テーブルに綺麗に料理に並べられた料理に向かい、そのまま嬉しそうにワインを物色し始めたから。
選んだワインをひとくち口に含み、満足そうに、そして幸せそうにほころぶ彼女の表情。
実をいうと、安価ながらも美味しいワインを手ずから厳選し、今日のために取り寄せて置いてもらったのだ。
中でも俺のお気に入りの赤ワインの味を彼女も気に入ってくれたらしき様子を目にして、密かにガッツポーズ。
自分自身食べるのが好きだし、おいしそうに飲み食いする人の姿を見るのも好きだ。
以前話した際にも感じたが、やはりこの子とは食の好みも似ている気がする。
そしてそれは、食いしん坊な俺の中ではかなり重要なポイントで。
……この子と仲良くなりたいと、改めて感じた。
とはいえ現状では、それはかなり困難なことと言えよう。
パーティー当日から、当結婚相談所 ハッピー・ブルーバードのマッチングシステムを利用出来る期限は1ヶ月間。
ということは、つまり。
……期間を延長させることも、婚カツを成功させることもないまま、円満に彼女を退会させる必要がある。
さて、ではどうやって距離を詰めるのが正解か?
そんな風にひとり策略を巡らせていたら、いつの間にか彼女の側には篠崎さんの姿が。
演技をやめて、いきなり素をさらす篠崎さんに最初春呼さんは相当驚いた様子だったが、すぐに意気投合したようだ。
そしてふたりの周りには、今日の闘いを投げたらしき女性のお客様たちがちらほら集まり始めた。
俺が母親の会社を手伝うようになり、既に10年以上経過している。
だけどこんな展開は、本当に初めてだった。
これまでこういったパーティーの場では、表面上は仲良く会話をしていても、水面下ではいつも同性同士、火花をバチバチ散らし合っていて。
そして俺もそれが当たり前だと思い込んでいたから、特に改善する必要もないだろうと考えていた。
だけど別に女性たちは、皆が皆敵同士というわけじゃない。
不安に思うこともあれば、色々とストレスを溜めることもあるかもしれない。
それを共有し、発散出来る戦友のような相手がいたら、さぞかし心強いに違いない。
何らかの形で今日の出来事を、生かせないだろうか?
これは母親と遼河にも、報告案件だな。
それにしても。……やっぱりあの子は、すごい。
どんな状況でも、楽しもうとするところも。
そしていつの間にかそれに、周囲の人間を巻き込んでしまうところも。
篠崎さんだって春呼さん相手じゃなければきっと、あの場であんな行動に出たりはしなかったに違いない。
だってこれまでどれだけうちのスタッフが素の方が魅力的ですよと諭しても、ガンとしてスタイルを崩さなかったのだから。
和やかな雰囲気に包まれた、会場内。
恨みがましい視線を彼女たちに向けている男性も何人かいるにはいるが、ここはご縁がなかったということであきらめていただこう。
もう今日はこれ以上何も起こらないだろうと考え、トラブル処理要員の俺はこっそり控え室に戻ろうとしたタイミングで。
……再び春呼さんが、やらかした。
テーブルに足を引っ掛けてしまったらしい彼女はガシャーンと大きな音を立て、そのまま地面に向かい強烈にダイブしたのだ。
この時かなり彼女との間には距離があったけれど、気付くと駆け出していた。
「櫻木様、大丈夫ですか!?」
彼女の腰を支えるようにして、そっと肩を貸す。
あまりの恥ずかしさに、見る間に赤く染まる彼女の顔。
それが妙に艶っぽくて、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
立ち去れ、煩悩! ……今はさすがに、そんな場合じゃないだろ。
「あぁ……。膝のところ、擦りむいてしまいましたね。とりあえず、控え室に行きましょう」
子どもみたいに擦り切れた、ワイドパンツの膝小僧。
恥ずかしいのをごまかすみたいにヘラヘラと笑う彼女に肩を貸したまま、彼女にだけ聞こえるくらいの大きさの声でささやいた。
惑うように揺れる、彼女の瞳。
……きっと今は羞恥心から変なアドレナリンが出ていて平気なように思えるかもしれないが、心配だから念のため消毒だけでもさせて欲しい。
すると春呼さんはもう一度にへらと笑って俺の顔も見ないままその言葉に従い、ありがとうございますとだけ答えた。